巫蠱(ふこ)第十巻【小説】
▼楼塔皇と流杯①
湖につかって話している巫女(ふじょ)たちを見て、皇(すべら)と流杯(りゅうぱい)はほほえんだ。
「よかった。仲直りはできたみたい。ところで流杯はおこらないの」
「ねーさんがいなくなるのはいつものことだから。とにかく顔を見せてくれればいいよ。とくに、ねーちゃんにさ」
▼楼塔流杯と桃西社鯨歯③
「さっきから気になってたんですが楼塔(ろうとう)の三女さんがなんでここに。阿国(あぐに)に用でもあったんですか」
あたまだけ湖面にだした状態の鯨歯(げいは)が流杯(りゅうぱい)に問うてきた。
「絖(ぬめ)が桃西社(ももにしゃ)でねーさん見つかりそうって言ったから」
「へー、絖さんもすごいですね」
▼楼塔皇と赤泉院蓍⑤
さて彼女たちの話が一段落してから、皇(すべら)は阿国(あぐに)の肩をもみはじめた。
流杯(りゅうぱい)の肩のほうはすでにほぐし終わっている。
陸地にあがった蓍(めどぎ)がそれを見つめる。
「皇。じゃあきのう確認したとおりに。八人での話し合いは桃西社(ももにしゃ)に氷が張ってからだから、それまでに終わらせといて」
▼楼塔流杯と桃西社鯨歯④
阿国(あぐに)はそのまま湖に。皇(すべら)と蓍(めどぎ)はおのおのが管轄する地にもどる。
流杯(りゅうぱい)と鯨歯(げいは)に関しては別れ際にこんな会話があった。
「……あやまります」
「いやわたしに謝罪することはないだろ」
「御天(みあめ)さまの件です。めでたいと押し付けがましく言ったので」
「べつにいいって」
▼巫女たち④
八日……いや九日ぶりだろうか。
夜遅くになって蓍(めどぎ)と鯨歯(げいは)は赤泉院(せきせんいん)の屋敷に帰ってきた。
月のあかりがふっている。玄関のそとにだれか立っているのがみえる。
「睡眠(すいみん)だな」
歩きつかれて棒になった足をがくがくさせながら蓍は彼女にたおれこむ。
▼赤泉院蓍と桃西社睡眠①
筆頭巫女(ひっとうふじょ)がよりかかったとき、桃西社睡眠(ももにしゃすいみん)の二の腕のふくらんだ部分が左右ともにつぶれた。
うずめた顔から寝息がもれる。
睡眠は両の前腕をぴたりとくっつけ持ち上げた。
彼女自身はひじから手首までのその部分を、二の腕に対して一の腕と呼ぶ。
▼桃西社睡眠と鯨歯①
蓍(めどぎ)を持ち上げる姉を手伝うべきか、鯨歯(げいは)は考えなかった。
手伝おうかと声をかけることさえよくないと思った。
だから姉妹はおたがいにねぎらいと再会の言葉をかわすだけであった。
そして鯨歯はその場に正座する。
玄関のすぐそとだ。地面の小石が、はぎに貼り付く。
▼赤泉院岐美と桃西社鯨歯②
「ありがとう。蓍(めどぎ)ちゃんにずっとついていてくれて」
姉が屋敷のなかに消えてなお、ひとり正座したままの鯨歯(げいは)の目に、赤泉院岐美(せきせんいんきみ)の足が映った。
「次女さんこそ阿国(あぐに)に知らせてくれたようで感謝です」
「仕事だもの」
ひざを折り、岐美がしゃがむ。
▼赤泉院岐美と桃西社鯨歯③
岐美(きみ)は鯨歯(げいは)に顔を近づけて言う。
「蓍(めどぎ)ちゃん、わたしのこと、なんか言ってなかった?」
「いえ、とくには。……あ! ほめられたいんですね。それなら筆頭も次女さんに直接伝えると思いますよ」
「直接……うん、そうかな。ともかく鯨歯、なかに。あしたは雨だと思うから」
▼巫女たち⑤
さきに岐美(きみ)が立って手を引こうとした。
しかし鯨歯(げいは)は立たなかった。正座したままうごかない。
「気持ちだけ受け取ります。うたれたいんです。筆頭と歩いた十日弱……都合よくなにもふりませんでした。
「そのもやもやを洗いたくて。阿国(あぐに)のまねを許してください」
▼桃西社鯨歯⑥
深夜、ひとり正座する鯨歯(げいは)めがけて、冷たい雨がやってきた。
彼女は顔を天に向け、まぶたを閉じずに受け止めた。
くちはひらかない。全身で水を飲む。たまにまばたきをまぜるたび、しずくがこまかくはじけとぶ。
鯨歯はあの日を思い出し、しだいにからだを忘れていった。
▼桃西社鯨歯⑦
あの日とは、いまだ桃西社鯨歯(ももにしゃげいは)が巫女(ふじょ)でなく別の名前を持っていた日だ。
彼女はその雨の日に、家出した。
……なぜ。家族は優しい人だったし、生活も苦しくなかった。
幸せがこわくなったのではない。なんとなくですらない。
ただ彼女は、そうしなければならないと思ったのだ。
▼桃西社鯨歯と阿国⑤
家出の理由かは分からないが、「海にいきたい」という思いも彼女にはあった。だからまず潮風を求めた。
すれちがう人々に道をたずねながら、海岸を目指した。
その途上、街道のひとつをたどっているときだ。
彼女は道のまんなかに立つ、阿国(あぐに)と名乗る少女と出会った。
▼桃西社阿国③
阿国(あぐに)は巫女(ふじょ)になるまえから、自分を阿国と言っていた。
ただし名字はない。ただの阿国である。
彼女の生計の立て方は、道のまんなかに突っ立って、ずっと空を見ることだ。
すると通行人がお金や食べ物を投げてくれる。
生まれたときからそうしている。
▼桃西社鯨歯と阿国⑥
……第一印象は、背の高さ。
海の方向を問うてきた彼女は、阿国(あぐに)にお金も食べ物もなにもやらなかった。
ただお礼だけ言って、あっさり去った。
阿国にはそれがおかしかった。
同情や優しさ、軽蔑に無視に打算、そのどれでもないかたちで人と対したのは、はじめてだったから。
▼桃西社阿国④
それからどれくらい経ったか。いま湖にて桃西社阿国(ももにしゃあぐに)も、鯨歯(げいは)と出会った日のことを思い出していた。
雨は関係ない。別れを思ったからである。
筆頭たちが終わりに向けて歩き始めた。もうさけられない。
落ちる雨粒は数えきれない。湖全体に波紋を作る。
自分もそのひとつだ。
▼赤泉院②
……雨がつよいためか、朝がきたかも分からない。
しかし赤泉院(せきせんいん)の三女、身身乎(みみこ)は定刻に起床する。
ふりしきる音のなか、例の泉をながめていた。
姉がいつも瞑想するその場所は赤泉院の屋敷からみえる距離にある。
水であふれかえっている。
▼赤泉院岐美と身身乎①
「身身乎(みみこ)、起きてたの」
赤泉院(せきせんいん)の次女、岐美(きみ)が身身乎の隣にすわる。
屋敷の部屋のなかから、雨をうかがう。
「岐美姉様」
身身乎が姉にやや、すりよる。
「蓍(めどぎ)姉様、やっと帰ってきたみたいですね。睡眠(すいみん)がついているようで」
「熟睡中だよ」
▼赤泉院身身乎①
「起きるまで待つことにします。蓍(めどぎ)姉様とは、しっかりとお話を」
そう言って身身乎(みみこ)は、そとに向かって利き手を伸ばした。
指先に雨粒が当たり、はじける。
冷たかったのか、彼女の肩がすこしふるえた。
「……岐美(きみ)姉様、鯨歯(げいは)は雨にうたれていますか」
▼赤泉院岐美と桃西社鯨歯④
「それが……鯨歯(げいは)、なかに、はいらなかったの。雨のことは教えたんだけどね。
「念のためわたし、もう一度見にいったんだよ。
「案の定、鯨歯は正座したまま寝てた。さすがに風邪ひきそうだったから屋敷にいれて、からだもふいて、服もとりかえた」
「そういうことでしたか」
▼赤泉院岐美と桃西社鯨歯⑤
返事は身身乎(みみこ)のものではなかった。岐美(きみ)は首をうしろに向け、声のしたほうへ呼びかける。
「ごめんね、放置できなくて」
こう言われた鯨歯(げいは)は、岐美のそばに腰をおろす。
「いえ、次女さんの判断でいいんですよ。やっぱりわたしは、阿国(あぐに)じゃないんですね」
▼赤泉院身身乎と桃西社鯨歯①
そして鯨歯(げいは)と身身乎(みみこ)が、岐美(きみ)をあいだにはさんだ状態で会話をかわしはじめる。
「三女さん、うちの姉がお世話になりました」
「ちがいます、わたしがお世話になりました」
「でしょうね」
「……鯨歯、その支離滅裂な慇懃無礼さ、わたしは好きですよ」
「うれしいです」
▼赤泉院身身乎②
身身乎(みみこ)は鯨歯(げいは)からこれまでの話を聞き、現状を整理する。
「……確定しているのはふたつ。御天(みあめ)の仕事が終結間近であること。その情報が巫蠱(ふこ)二十四人全員に共有されたこと。
「考えるべき課題もふたつ。外部への対処と、わたしたち自身の今後」
▼赤泉院身身乎と桃西社鯨歯②
「なんでそとを気にするんです。御天(みあめ)さまが思われなくなれば蠱女(こじょ)だけでなく巫女(ふじょ)もあやういのは理解しました。
「だから身のふりかたを考えるのは当然です。けれどこれはわたしたちの問題ですよね」
「蓍(めどぎ)姉様か十我(とが)に聞かなかったのですか」
「忘れてました」
▼赤泉院身身乎と桃西社鯨歯③
「御天(みあめ)が終わったとき世界は平和になります、鯨歯(げいは)、ここまではいいですか」
「はい」
「これで、そとの人たちの一番の脅威が解決されました。なら、つぎは」
「二番目の脅威に立ち向かうでしょう」
「……その二番目の脅威とは」
「わたしたちですか」
「わたしたちです」
(つづく)
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