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なぜか気づかなかった宇多田ヒカルの音楽的特徴

宇多田ヒカルの音楽性について彼と話していたら、2つの音を交互に繰り返すメロディーが思いのほかたくさんあることに気づいた。ファーストアルバムから順に調べたらなんと54曲も見つかり、これって宇多田音楽の根幹を成す重要な要素では!と興奮した勢いで動画にまとめた。

2.5回の反復(5音)は一般的によく使われるので、3回以上を基準にカウントした。『甘いワナ』や『For You』のサビ頭など印象的で目立つものは2〜2.5でも含めた。(つまり主観的ないい加減なものではある)

デビュー当時から聴いてるけど、こんなに目立った特徴になんでこれまで気づかなかったのか!楽曲制作の知識はほぼ無いパンピーリスナーとして考えたことを書いてみる。

誰もが持っているメロディー

すぐに思い当たったのは「心音がそうだから」。彼の胸に耳を当ててみたら(詞?)やはり心臓は音階が違う2つの音でビートを刻んでいた。”2音反復メロ”は人間を構成する基本要素なのだ。
あまりに身近、というか私たちの一部になってるあたりまえのメロディーだから「特徴だ」と認識できなかった?水や青空を見て「地球の特徴だ、個性だ」と思わないのと同じで。

彼女の音楽が幅広い層に愛される理由も(声に魅力があるのは大前提として)「誰もが内側に持っている心音、鼓動の音楽なのだ」と考えると腑に落ちるところがある。
一定のリズムの音楽に安心感があるのは人間の脈が規則的な整脈だからだと言われる(犬などは不整脈)。彼女はリズムだけでなくメロディーにまで何度もその反復を落とし込んでいる。より私たちの生理に馴染む、公共性の高い音楽になっている秘密だろうか。

迂闊に手を出せないメロディー

でも、たとえば『PINK BLOOD』の冒頭「♪誰にも見せなくてもキレイなものはキレイ(0:19~)」のまさに鼓動という簡素なメロディーを聴いたとき私は「宇多田っぽいなぁ、今回も良いなぁ」と感じた。ここが矛盾しているようでおもしろい。特徴とすら認識できないほどすごく単純なメロディーのはずなのに、そこを特徴、個性と感じ魅かれている…。

それはやはり彼女の音楽的センスが抜群だから実現できているんだろう。音楽好きで作曲が趣味の彼いわく、普通はここまで単純なメロディーにはしないと。ポップスとして成立させるのが難しく、単調で退屈、または童謡のようにダサくなりやすいからと。

前述の冒頭部分を改めて聴いてみる。一聴しただけでは何を言ってるか分からない、センテンスの途中でブツブツと切る不自然な譜割りがまずフックになっているのが分かる。それとは対照的な滑らかなフェイクと水面のように揺れる伴奏がその上にゆったりと重なる。その下では複雑なビートがボーカルと駆け引きをするように緻密に鳴る。
非常に少ない音数で、明確なコントラストを付けている。この編成と音色選びの妙などもあり、単調なメロディーを耳に残る洗練されたポップスとして成立させているんだろう。

要は、
1.ここまで単純なメロディーは彼女くらいセンスがある人じゃないと迂闊に手を出せないから世の中にあまり無い。
2.あまり無いからこれが彼女の特徴になる。
3.でもそれは単純すぎて(心音のように当たり前すぎて)特徴として認識できない。
4.認識できないけど、卓越した技術とセンスで昇華され「らしさ、ぽさ」としてふわっと感受される

ということ?何だか分かったような分からないような話。まだ足りない気がする…。

反復から抜ける瞬間がポイント?

交互ではないけど2音だけで構成された反復メロも15曲見つかったので別動画でまとめた。

こうして何曲も調べていたら、反復の前後でエモく(感情的に)なっている曲が多いことに気づいた。特に後。Uh~やOh~などフェイクが入ることも多い。

『あなた』はサビの「♪大概の問題は取るに足らない 多くは望まない」のところ。(0:53~)

歌詞は「取るに足らない 多くは〜」とあるけど実際は「取るに足らないよ~Oh多くは〜」と歌っている。反復を抜けた直後エモさが爆発し、歌詞にはない言葉とフェイクが衝動的に発せられ、再び「多くは望まない」の反復メロへとシームレスに軟着陸する。私はこの曲でここが最も印象的でエモく感じた。そしてその前後には反復メロが配置されている。

『Beautiful World』だとBメロ「♪言いたいことなんか無い ただもう一度会いたい」。(1:37~)

反復後の「会いたい」で高音へ跳ねてエモくなる。「会いた~Ah~い」と、フレーズの途中でフェイクと溶け合う歌唱が耳に残る。

象徴的なのが『Play A Love Song』のサビ「♪長い冬が終わる瞬間 笑顔で迎えたいから」。(0:55~)

中音域の平坦な反復を「瞬間」でポンと抜ける。そのテンションのままミックスボイスの弾んだメロディーで「笑顔で迎えたいから」。長く沈んでいた人生の冬の時期が終わり、明るく快活な気分へと変わっていく過程がミニマムかつダイナミックに活写される。
その「終わる瞬間」の景色が切替わる最もドラマチックなポイントで反復から抜ける。

(次で最後にしますね)
『The Workout』のサビ「♪Five ripples running up and down my spine 6.0」の部分は低音を効果的に使っている。(1:00~)

このサビは究極で、ほぼ2音反復だけで構成されている。でも「6.0(シックス・ポイント・オー)」の「シックス・ポイント」の2音だけは低くなる。機械的な反復メロを途中でエモくさせる変則技?
低くしたことでトランポリン効果が生まれ、次の「オー」が元の音に戻っただけなのに「Oh!」と叫ぶように跳ねて聴こえる。イントロから小さく漏れていた「Oh Oh…」がここで最高潮に達するという筋書き?
『The Workout』は歌詞、歌唱、編曲あらゆる面でセックスを連想せざるを得ない曲だ。サビ="本番"で徐々に加速する反復メロ=ピストン運動が激しくなっていき、「オー(Oh!)」で絶頂を迎えるようトランポリンと歌詞の配置が調整されているとしか思えない。
その生々しい喘ぎ声と無機的な「0(ゼロ)」を掛け合わせるのがなんとも宇多田らしい。

…ゼロ…1と0…ピストン運動と電気信号…鼓動…
変化というものは要素が2つあれば起こせて、この世界は分子レベルで2つの状態の反復で形作られていて…つまり宇多田音楽が内包する範囲は宇…!

閑話休題。

まとめ

「多くは望まない」「会いたい」「笑顔で迎えたい」「Oh!」
反復前後のメロディーには感情的なフレーズや感嘆詞など、強い言葉が配置されているものが多い。
普通のメロディーやフレーズでも、反復メロで挟むことでコントラストが強まり、より人間的にエモく響く、その瞬間つかまれる、という効果があるのかもしれない。
興奮や動揺をすると鼓動が早くなったり脈が乱れたりする。人間はエモくなるとき規則性が揺らぐ。宇多田音楽はそれをひっくり返す?まず規則性を用意し、そのあと乱すことでエモさを引き起こし人の心をつかむ。
いや、ひっくり返すというよりは順当に、平静な人が感情的に乱れる過程をメロディーでも描写することでリスナーは過去の体験が感覚的に呼び起こされエモくなる?
意図の有無は分からないけど結果的にそうなっていそうだなと思う。それをビードだけでなくメロディーでも何度となくやってのけていることも彼女の数ある特異性のひとつなんだろう。

というわけで
5.クールな反復パートで魅力をふわっと感受したあと爆発的エモポイントでガッチリつかまれすっかり虜

なんか急に雑だけど語呂いいからOK!
~また逢う日まで~

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