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小説を書く

 僕は結局のところ小説家志望で、中々思うように這い上がる事が出来ない。

 だからといって『諦めるのか?』といったら、諦める訳がない。

 何故か?

 SNSを始めてから『小説家志望』の仲間たちが沢山いる事に気付いてしまった。

『小説家志望』の仲間。

 徐々にSNSで仲間たちが繋がり、小説をそれぞれのサイトで投稿し、読み合って、感想をDMで送り合う。

 それこそこれが活性化に(僕にとってはそうだと信じている)繋がって、僕の小説のネタになっているのも確かである。

 これが良いか悪いかでいったら、その正解は『良い』に決まっている。

 結局その繋がりは大事であり、お互いを意識し合い、切磋琢磨し合う。

 好敵手なのだ。

『小説』という媒体を通じて、SNSを始めて自分が思いもしなかった形で、それぞれが『小説家志望』として頑張っている。

 web小説から這い上がろうとする者。

 新人賞から這い上がろうとする者。

 自費出版から這い上がろうとする者。

 様々な切り口を様々な視点で見つけ出し、僕らはそれで張り合って刺激し合っている。

 これが諦められない要因の一つでもあるが、個人的な理由も皆それぞれあると思う。

 僕だって諦めたくない理由はある。

『小説を書く』

 それは『面白いもの』を『文字』だけで表現する。

 こんなに画期的な方法、使わずにはいられない。

 オリジナリティを求め、量産される似たり寄ったりの小説など、僕は認めたくはない。

 しかし現実は、量産される似たり寄ったりの作品がウケる傾向にある。

 僕はその度に「何故ウケるのか?」と、必死になって考えた事もある。

 その心は結構簡単だったりする。

 敢えて言えば『異世界もの』には、読者が求めるものが「これでもか!」というほど、色々なエッセンスが入っている。

 例えばリアルな生活。

 その日1日、学校や仕事で疲れて帰ってきて、ストレスや不満が心に引っ掛かっているとしよう。

 誰でも『現実逃避』はしたいはずだ。

 今の世の中は『ストレス社会』だ。

SNSでも相手にマウントを取り、論破という単語を使い優位に立とうとする。

 それは見ていて滑稽にしか映らない。

 しかし目の前に蔓延る『リアル』でもある。

 これを『異世界もの』に置き換えるとしよう。

 これほどうってつけのコンテンツは中々ない。

『現実逃避』のコンテンツ。

 読者はこれを求めている。

 僕は様々な角度から見て、そんな風に思った。

 それじゃあ『異世界もの』を、僕が書くのか?

 答えは「ノー」だ。

 僕には僕の『面白い』と思うものがある。

 僕が思うにこれは肯定や否定でもなく、個人的に思った事であり、SNSの『小説家志望』の仲間たちの関係性からみた、ひとつの答えでもあったりする。

 間口が何であろうと、読者に「面白い!」「次回作が読みたい!」

 そう思わせたら僕の勝ちだ。

『異世界もの』ではなく、自分の「面白い」作品を投稿する。

 これが僕のへそ曲がりなやり方でもあり、信念であったりする。

 そしてもし、商業小説家になったとしたら、新たな大きな壁にぶち当たる可能性は無きにしも非ず。

 じゃあそれが怖いか? と思ったらそんな事はない。

 ワクワクして仕方がない。

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