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AIの問題は、心の問題かもしれない

AI作曲サービス「Suno」のV3が無料で使えるという記事を読みまして。

死ぬまでに曲が作れるようになりたい!と思っている自分にとっては、いよいよ自分も作曲できる時代が来たか!という感覚でした。

その感覚のまま「これで自分も曲が作れるぞ!」とテンション高めで奥さんに話したところ、ちらっと眉をひそめて「それは、ちょっと慎重になった方がいいかもね」と言われたところから、今日のnoteは始まります。


ハンドメイド作家の奥さん&モノづくりが苦手な私

私の奥さんは、ハンドメイド作家として活動しています。

5年ほど活動しオンラインショップはもちろん、大型のイベントに出ては1日20~30点ほどアクセサリーを買って下さる方がいるという意味では、私からすると「モノづくりが得意な人」と呼んでもいいんじゃないかな、と思っています。

一方の私はといえば、幼い頃よりモノづくりが大の苦手。

雑誌の付録は兄に作らせてましたし、図工や美術も憂鬱な時間でした。

つい先日も、子どもと「ねるねるねるね」でお馴染みのクラシエさんの「ハンバーガーやさん」という知育菓子を作っていたのですが、喜ぶ子どもの横で「なんでお菓子を食べるのに面倒な工程を経る必要があるのだ・・・?」と思ってしまうのが私。

そのぐらい、モノづくりへの苦手意識があるのです。

AI作曲は「自分が作った」と言えるのか?

音楽自体は大好きで、大学時代には動画を見たり本を読んだりMIDIキーボードを購入してDTM(PCでの作曲)にチャレンジしたりしていましたが、結局形になることはありませんでした。
(努力不足と言えばそれまで、ですが)

そんな自分からすると、AI作曲は間違いなく画期的なサービスです。

奥さんからしても、その部分は認めつつも眉をひそめたのは、私が「曲が作れる」と言った部分のようでした。

つまりそこには、「新しいものを作る」ということを考えたときに大切な何かが欠けているのではないか?ということです。

奥さんの念頭にあったのは、昨今の「AIでのイラスト作成」をめぐる混乱のようでした。

ご存知の方も多いかもしれませんが、多くのイラストレーターさんや漫画家さんの絵を学習素材としたAIが次々と開発されたり、「ファンアート」と称してVtuberのAIイラストがバンバンXに投稿される現状があります。

明確に禁止されているにも関わらずその状況で、中には公序良俗に反するようなイラストを生成することで、作家さんやクリエイターさんが精神的な苦痛だけでなく、実際に被害を受けているケースもあるようです。

そうした状況を日々見聞きしている奥さんが、「AI作曲って、そんな軽々しくやって大丈夫?」と思うのも当然です。

でも、私としては「モノづくりが苦手な自分でも、ようやく作曲ができる時代が来た」とワクワクする気持ちがあるのも事実です。

このギャップはどこにあって、どうしたら埋めることができるだろうか?

そんな話をしていたら「機織り機とぬいぐるみの型紙の違い」というテーマが見えてきました。

機織り機・ぬいぐるみの型紙・AI

道具が人間を脅かす、という流れは過去の歴史においてもありました。

たとえば世界史で学んだ方もいるであろう「ラッダイト運動」では、1810年代にイギリスの労働者が、機織り機を打ち壊して自分達の仕事を守ろうとしました。

200年後の今ではそんなことをしよう!という人はほとんど居ないと思います。

それは、機織り機が当たり前のものになったのもそうですが、役割として「作業工程を効率化する」ことに重きをおいており、最終的な制作物の質自体を大きく左右するものではないから、とも言えそうです。
(もちろん、手作業で織り上げた方が繊細で精緻なものができる、という場面もあると思いますが、今回はその議論は置かせてください。)

一方で、ぬいぐるみを作る際には「型紙」というものが必要です。

これは洋服もそうですが、布や綿や糸があればできるというものではなく、その造形やデザインにおいては、「型紙」という設計図が不可欠です。

そして、この「型紙」は、勝手に使うことは許されません。

そのことを奥さんは「無償公開や商用利用可にしてくれている人がいたら感謝の心を持って然るべきだし、明記されてなくても「〇〇さんの型紙を使いました」と書いた方がよいぐらい」と表現していました。

では、今回のメインテーマであるAIを考えてみると、どうでしょう?

果たして道具としてのAIは、機織り機に近いのか、それともぬいぐるみの型紙に近いのでしょうか?

私と奥さんとの会話では「モノづくりの観点ではぬいぐるみの型紙に近いのではないか」という結論になりました。

それは、最終的な成果物に対して、AIを活用することの影響が、あまりにも大きいと言わざるを得ないからです。

そもそも、作曲AIがなければ、私は曲を作れないわけです。

そして、その作曲AIは、これまでの多くの作曲家やアーティストの方々の成果物がなければ、存在しえないものです。

とするならば私は、もしもそのサービスが不適切な形で作られているのであれば、その方々への恩義の観点から「それを使わない」という判断も行わなければなりません。

少なくとも私たち夫婦の間では、それは「利用を許可されていない型紙を使って作ったぬいぐるみを販売したり自慢したりする」ことと同じ行為になってしまうからです。

AIの問題か、心の問題か

こうして考えてみると、AIによる作曲やイラスト作成の問題は、決してAIだけに特有の問題ではないことが分かります。

もちろん、AIの「軽々しさ」によって助長されている部分はありますが、その根底には「作り手への恩義=リスペクト」というテーマがあることが見えてきます。

ぬいぐるみの型紙であれ、音楽の楽譜であれ、モノづくりの技法であれ、そのアイデアを考え、形にし、実現させた人の苦労というものに対してありがたいと思う気持ちは、ある程度は素直に持てるのではないか、と思います。

その気持ちがあればあるほど、「軽々しく」その人の努力を踏みにじるようなことは無いでしょう。

一方で、ソフトウェアやハードウェアを解析・分解するリバースエンジリアニングが原則著作権法違反とならず、ビジネス上は重要な取り組みであるように、リスペクトだけではどうしようもない部分も存在します。

ただ、上記で述べたような「一切許可をしておらず、むしろ止めてほしいとお願いしているイラストレーターの絵を学習させ、公序良俗に反するイラストをAIで生成する」といった行為は、リスペクトに欠けるどころか悪意に基づく行為であり、これはAI利用関係なく明らかに人を不幸にする行為です。

(AIが悪いと言う奥さんに「一生懸命その人の絵柄を練習して、似た絵が描けるようになって、同じように嫌がるイラストを描けば許されるのか?」と言って初めて「たしかにそれは違う気がする」となるぐらい、微妙な問題だとは思います。)

その意味では、モノを作る人の「自分が生み出したものが、AIに学習されて不本意な形で弄られるかもしれない」という現実に対する心。

これからAIでモノを作りたい人の「AIさえ使えば自分がモノを作り出せる人になれる」という、先駆者に対するリスペクトに欠けてしまう心。

この2つの心が重なる部分に起きてしまうのが、冒頭にお伝えした「作曲AIがあれば曲作りができる!」と言った私と、それに眉をひそめた奥さんの間にあった「見えない溝」だったのではないか、という接続点が見えて、夫婦の会話も円滑に終わったのでした。

AI時代を「非クリエイター」として生きるために

正直私自身は、「AIは使い倒してなんぼ、どうせ10~20年もすればあるのが当たり前の世になるのだから、使わない方が損」ぐらいに思っている部分がありました。

ただ、AIによってすでに嫌な想いをしている人、現実的に生活が辛くなっている人。

あるいは、悪意を持って誰かを傷つけようとしている人、軽々しくその行動を取ってしまう人。

そういう人が居る中で、「使わない方が損」と無邪気に言っていては、大事なものを見失ってしまいそうだなと、奥さんとの会話を通じて気づくことができました。

それは、あまりにも基本的なことではありますが、「何かを生み出している人」と「それを享受している自分」という関係性を忘れないことにもつながるな、と。

そういえば、ChatGPTが盛り上がり始めた頃にも「結局過去の学習データから出力しているのだから、創造が無くなれば新しいものが生まれなくなる」といった意見も見たことがある気がします。

その意味では、一人の「非クリエイター」として生きる人間としては、新しいものを生み出す人へのリスペクトは、常に忘れないようにしたいと思うのでした。

・・・そうなると、今度は「本当に新たな創造と呼べる行為とはなにか?」という、また厄介な問題が立ち上がってくるのですが。

これについては、ちょうど最近AI生成の画像を使い議論になっていた、ゴールデンボンバーの鬼龍院さんの以下投稿が、とても示唆的だと思います。


『アイデアのつくり方』という有名な本のAmazonページにも「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない」と書いてあります。

ただ、この辺りに関しては、あくまでも「非クリエイター」として関わるに留めたいと思います。

で、どんな曲ができたのさ?

ここまでの文章は一切AIを使っていませんが、以下、曲と歌詞はAIしか使っていません。

どんな曲がいいかな~と思ったときに、普段はキャリアデザイナーをしているので、「なんかキャリアに役立つ歌にしたらいいじゃん」と思ったんですよね。

で、そこから1分ぐらいでできたのがこちら。

一応歌詞も載せときます。ChatGPTが作ってくれたものを多少切り貼りしました。

朝の光が窓を叩く
新しい扉を開ける準備
「顔合わせだけ」と思ってた
でも最終面接、意外と落ちるんだ

コーヒーの香りに包まれて
緊張の中にも希望を見つける
熱意が鍵を握るって
自分を信じる力を忘れずに

夢への一歩は踏み出したんだ
「自分ならでは」をもう一度確認
迷ったら最初の想いに
立ち返るんだ、それが答えだから

一応「最終面接が意外と落ちる」ことと「最初の想いに立ち返ろう」ということ、そして応援したい気持ちだけは伝わる・・・かもしれません。

作業中、一切「曲を作っている」とは思えなかったですし、楽しかったか?と言われると悩ましいですが、言葉を伝える方法が増えそうだというのは、どうしてもワクワクしてしまいます。

このワクワク心とどう付き合いながら、出来る限り人を不幸にせずに生きていくのか。

AI時代に問われているのは、そんな一人ひとりの自分の心との向き合い方、かもしれません。


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