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旅と夢

ここ数日毎日この動画を見ている。

二年くらい前に唐突に一度だけ広告として出てきた時は何も思わなかったが、ふとした時にあのCMのピアノをまた聞きたいと思い、自ら検索して見るようになってしまった。結果的にルイ・ヴィトンの広告だったことに後から気づいて驚いたが、それにしてもよくできたCMだと思う。

企業の根幹になる哲学というか、コンセプトが非常にこだわって作り込まれている。それは僕の解釈だと「旅と夢に寄り添うものを提供する」ことかなと思っている。
このCMではヴィトンの商品は殆ど映らない。自然の中で遊ぶ子供たちが中心である。そこに文明や社会も存在せず、大人もいないので却って非現実的で、子供が自然の中で遊び続けていること自体が「夢」のように思える。

この「夢」は当たり前の光景に思えるが生活感もなくよく考えると不自然である。言い換えれば我々が生きている「現実」は当たり前だがもっと現実的であることを間接的に語っている気がする。

そして、そこから脱却するひとつの方法としてルイ・ヴィトンは「旅」を意識しているような気がする。
元々旅行用のトランクの会社としてスタートしたらしいが、旅に出れば、何か糸口があるかもしれない。という希望をこのCMの自然の風景の撮り方から感じる。
自然光を少し眩しく感じるアングルで撮っているのが印象的である。自然とカメラの距離が近い感じが、原始人が自然を見ているような感覚を生む。

そういう原始的なところに回帰するための「旅」。そして、その旅を支えるために頑丈なトランクや鞄を作る企業。ということを押しつけがましくなく、製品を映す時間を最小限にして伝えようとしていると思う。

これを見て、さぁヴィトン買うぞ。とは思わない。
でも、旅に出て美しい景色や光を浴びて、子供の無邪気さとは何かを改めて考えたい気持ちにはなる思う。その時に、頑丈なトランクが必要だからといってすぐヴィトンにはならないと思うが、旅と夢を売っている企業であることはなんとなく伝わる。
仮にそこまで伝わらなくても、全体を通してはっきりと流れ続けるメロウでノスタルジックなピアノの印象は避けられない。
絶対に自然って儚くて綺麗だなぁと思うはずである。

それだけでもゴールというか、もうそこまでモノを買わせようとしてこないCMの作り方をしている気がする。一番最後の、なんか綺麗だなぁ、と思わせてその意味を見ている側に言語化させず、抽象的な状態でフィニッシュしてもブランドの価値は落ちないような作り方をしている。

それは、商品がはっきり映る1カットだけが大事!みたいな作りではないからだと思う。このCMはずっと同じテンションで1秒目から始まり、ずっと同じ尊さと儚さを抱えて進行していくので、見た側は全体として解釈するしかない構造になっている。

極めて抽象的な方法で企業のコンセプト、哲学をより純度の高い状態で映像化している気がした。
もはや知名度は圧倒的で、売ろうとする必要はなく、哲学を作品みたいな映像にしてそれをCMとして使っている。という、普通の広告とは完全に逆で素晴らしい。


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