【日記】無推敲

今日は推敲なしの走り書きで書いてみようと思う。
何が真実か編集しすぎると分からなくなり、人から気に入られようとする文章の寄っている気がしたので、それを避けたくて実験する。

最近思うのは気温が異常なくらい丁度よい。である。
横浜の気候なのか、東京の世田谷の五月と全然違う。ずっと涼しい。滅多に冷房つけなくてよく、家の外の街も涼しい。潮風とガソリン臭さ、船の燃料(軽油?)みたいな車の燃料とは違う燃料の匂いなど、色々あるが、なんだかんだ空気は悪く川の水は汚いが気候は良い。
あと歴史のプライド非常に高く、歴史的な建物が大事に保管されている。大阪との決定的な違い。それを主導したのが民間なのか市政なのか不明だが、町並みに威厳があるということはそれをささえる市民のマインドが高いということなのだろう。
大阪だったらランドマークタワーの周りに同じような高層ビルをどすどす建てていくだろう。いや、数日前の平日の夜にみなとみらいの夜景を見たら感動した。感動というか、有料級の景観というか、ランドマークからクイーズタワー三つと観覧車とヨット形で有名なインターコンチネンタルが横一列に並んでる景色。世界遺産レベルではないのかね。東京にも大阪にもない美意識の街。神戸に近い。神戸もなんかあの対して高くもない赤いポートタワーと白い海洋博物館を大事に大事にしている。しかしながらメリケンパークという致命的なネーミングセンスのなさにより、持ち点がかなり低いと思わざるをえない。メリケンとはおそらく戦後にアメリカ人が駐留し、ネイティブが言うアメリカンは日本人には「メリケン」に聞こえたらしく、そういう経緯がメリケンパークの由来らしい。なんともダサいストーリーというか、これが本当かどうかははっきり知らないけど、聞き間違いがそのまま令和まで続いているという…。
そういえば鉄板焼きというのも戦後にフライパンがなく、または加工する機械がなく、ドーンと一枚の鉄板ならあったから、そしてアメリカで大量の小麦が余っていたから、鉄板とアメリカの余った小麦粉でお好み焼きやたこ焼きなどが発展したらしい。所説あるっぽいが、なんとなくそこもダサいと思う。

このように、日本人は適応する能力が高いような気がする。急に話が壮大になるが、感情を表に出さず、プライベートでも出さず、自分の心の窓ガラスを自分で破壊し酒でうやむやにしまた窓ガラスを再生させる謎の能力を秘めている。という点が強みでもあり弱みだと思う。あと、言葉遣い。異様なほど複雑で、丁寧な文体から裸婦(ラフと打ちたかったのに急に出てきてびっくり)ラフな文体まで幅が広すぎる。英語の10倍くらい「ありがとう」のバリエーション、イントネーションがある。そもそもありがとうを純粋な感謝として使うこともあれば、最悪な手法として「嫌味」というニュアンスでも使用可能である。本来の用法とは全く逆の意味を「文脈」によって加工する技術。すごすぎる。
海外の人も横浜で多く見かけるが、どこか居心地悪そう、多分色々狭いのだろう、決して快適そうには見えない。大阪駅の改札前で人が多すぎて途方に暮れている観光客も見たことある。あと、原宿で50代くらいのフランス人っぽい夫婦が東京の緑色のガードレールに座ってクレープを食べていたのはなかなかシュールだった。彼らにとって日本は異様な僻地。何をしても多分びっくりの連続で、牛丼屋の食券マシンや、そもそも電車が正確に来たり、コンビニがある。自販機がある。あと、謎のカラーコーンがやたらあることにびっくりするらしい。
でも、そういうのは表層的な部分に過ぎず、多分、だけど本質的な楽しさの見出しかたは「そういう表面的な文化のちがいはたくさんあるけど、みんな人間で、美味しい食べ物と酒とおしゃべりを楽しんでいる」ということに気付くことなのではないかと思う。ロシア人もウクライナ人もアメリカ人も日本人も、パラグライもクロアチアもイランもブルキナファソもUAEもそこは同じだと思う。ちゃんと繋がっている。多分、横浜に初めてきた海外の人は「川の水きったねえ」と思うかもしれない。しかしながらそれは表層的な部分だと思う。
なんの話やねんと広がりまくったが、要するに最近気候が丁度良いので、川の水汚いけどそこまで蒸れた悪臭は漂ってこないので快適。である。本当に元町の横の高速の高架下の川は軽油みたいなうす水色&黄色のドブみたいな川である。面白いね。

小説を書きまくってます。応援してくれると嬉しいです。