P9220001_-_コピー

友人と無になる時間

高校生の時に出会った友人と日曜日の朝7時にハチ公前で待ち合わせた。
今日は念願の「人気のない早朝の渋谷で、コーヒーを飲みながら、窓の向こうの景色をひたすらぼんやりと見つめる日」である。

とりあえず、あの交差点を渡った。朝日は昇り終えていたが、アスファルトはまだ青白い光を反射させていて、普段は人で埋まって何も見えない白線がきれいだと思った。
渡った先では、オール明けの女の子が体育座りのまま絶望しており、我々は生気のないお兄さんに「朝キャバどうですか?」と話しかけられた。
友人は「キャバクラとかガールズバーに行くといっつも俺が一番喋ってる」と乾いた声で言っていた。

画像1

事前にネットで調べてきた、早朝からやっているパン屋の前に行くと、更地にバリケートが敷かれていた。潰れたんかい。
(と、思って帰ってから調べるとグーグルマップの示したピンがずれていただけだった)

我々はこの程度では落胆しない。今日の目的は、目的を限定せずに歩き続けて、ぼうっとすることだからだ。(最初の目的よりハードルが下がってる)美味しいコーヒーは飲みたいけれど、店がなければ縁石の上に座って缶コーヒーとコンビニのパンでもいい。失敗を恐れてはいない。「女の子とするデートとは違うのだよ、女の子とは!」という、投げやりな無敵感が漂っていた。

結局、109の横にあるエクセルシオールカフェでモーニングを食べた。

画像2

チェーン店だからどうせ「ポチっと押すだけで全部やってくれるマシンやろ」と思っていたが、エスプレッソを豆から挽いてドリップし、フォームミルクをスチームで温めて…。バリスタが作ってくれてびっくりした。牛乳がまろやかでエスプレッソ部分もしっかり苦く、めっちゃおいしかった。パンとサラダ込みで500円くらだったと思う。とても安い。一時間半くらい話をして、移動した。

道玄坂を上がってアレなゴミが落ちている無音のラブホ街を歩いていると、突如が公園現れた。申し訳程度の広場に絶対に乗っていけなさそうな遊具があった。ライオンの、神様?

画像3

画像4

この遊具はこの街で起きていることの全てを知っていると思った。当初はもっと縦髪がたくさんあったのかもしれない。目も黄色ではなく綺麗な黒目だったのだろう。それでもこのライオン様には今も魂があると感じた。それは、無数の人がひしめく渋谷だから……。人の囁き声や奇声の悲喜こもごもをこのライオン様に集積し、そして魂が形成……という仮説の筋は一応通った。

それから、松濤の防犯カメラだらけの高級?住宅街を歩いた。息苦しく、人気がなさすぎて疲れたので鍋島公園で休んだ。

P9220019 - コピー

公園には英語ではしゃぐキッズと元気なネズミと亀とアメンボと謎の稚魚がいた。友人の彼曰く、水車小屋の中には半裸の老婆がいるらしい。

そこから、代々木公園まで歩いた。NHKホールの近くに来ると彼はリュックからおもむろに折り畳みの日傘を取り出し「これめっちゃええで」とアピールしてきた。彼は「男の日傘=変」という日本の同調圧力に屈さず、自分の考えを自力で確立し、行動できるタイプであることを知っていたので、日傘をきっかけにその点を褒めようと思った。が、彼が日傘と関係ないボケを連発するので、その点を糾弾して終わった。

代々木公園でソフトクリームを食べて休憩した。噴水の放物線が●●に見えるとか彼が言ったが、僕は何も言わなかった。こんなに堂々と人間の声を無視できるのは、この友人だけかもしれないと思った。

画像6


メインの目的である、表参道のGYREに移動して「現代 アウトサイダーアート リアル」というのを観た。
アウトサイダーというのは障害者の方のことで、彼らが描いた作品が入場無料で展示されていた。
額面から理論武装してこない感じが、小学校の時にクラスにいた、いじめられっ子もいじめっ子も咎めない障害者の子の距離感に似ていると感じた。彼は誰も悪者扱いしていなかった――。
優しそう・中立・子供っぽい、そういった一つの言葉でアウトサイダーの方を表現するのはナンセンスだ。そもそも、彼らと普通の人(そんな人いるのか)の境界も分からないし、彼らはアウトサイダーという集団に属しているだけで、同じ「人間」が描いたアート作品であるという点では何も変わらないと思う。

画像7

画像8

彼に「どれが一番好きやった?」と聞かれて僕が答えると「俺も!」となった。二番目でも同じことが起きて、そんな訳ないやん。ヤラセかよキモって思った。嬉しいけど恥ずかしいから、僕は強い言葉で自分の心のデリケートな部分を守った。

それから昼を食べ、夏目漱石のお墓参りをしに雑司ヶ谷霊園に行った。
残暑だった。蝉が普通にたくさん鳴いていて、漱石の墓石はメルセデス・ベンツのボンネットの中ぐらい大きかった。

画像9

雑司ヶ谷霊園の中に水道の蛇口はあるが、共用の桶や柄杓、たわしなどはない。献花と線香を買おうと、霊園の中央にあった売場で値段を聞くと
「線香と献花、1セットで2,500円です」と言われた。んなわけあるかよと思った。それに、値段はどこにも書いてなかった。僕が関西弁で話しかけたから、初めて来た田舎者だと思われたのかもしれない。
献花を売るおばさんに「結構するんですね……」と言い残し、手だけ合わせて霊園を出た。

彼は昨夜3時間半しか眠る時間がなかったらしく、14時頃に睡魔がやってきて解散した。「じゃあなんで7時に待ち合わせたの!」そういうツッコみは存在しない。成り行きでよい。会話したことも87%くらい忘れてしまった。でも、日ごろ無意識に蓄積していた肩の荷が下りた気がした。

時々、というか頻繁に、彼は僕が話している最中に自分が思いついた話を被せるし、途中で僕の話を聞くのをやめて次に自分が何を言うか考えているような気がすることがある。腹立つけど、でも僕も深い理解を求めている訳ではない。
理解して欲しいことを、直接言わなくても、関係のない他の会話から、今の僕を感じていると思うから。

時間と空間と無意味な発言を共有して、でいい。そういう関係なのかもしれない。究極というほどでもないが、無形の目的に時間を費やして早起きするのは心が充実する行為だと思った。良い休日をありがとう。



小説を書きまくってます。応援してくれると嬉しいです。