見出し画像

#033 失った世界で生きること

当たり前を失う

ここ数年で失ったものがいくつもある

当たり前は自ら作ったり作られたりして そしていつか自ら手放したり 失われていったりする
身近な人 もしくは遠くにいるはずなのに ずっと身近に感じていた人の決断や運命が わたしたちに喪失感をもたらすことがある


以前とある映画を観た タイトルは「陽光普照」台湾映画のそれは英題が「A SUN」邦題は「ひとつの太陽」である

次男がある事件を起こしたことをきっかけに 家族がそれぞれその罪意識の中で生きていく物語だ わたしがこの映画の中で一番印象的だったのは 優秀な長男が選んだ道 そして彼と親交があった女性が彼のことを語った時のセリフ

”他把所有的好都給別人,忘了留一點給自己”

彼は自分が持つすべての良さを他人にあげてしまった ほんの少しも自分の中に留めておくこともなく

つまり 彼は自分が持ち得るすべてを余すことなく他人に捧げた といった意味だろう

この映画の中にはこのように胸に刺さる名言がいくつか出てくるのだが わたしが一番印象的だったのがこれだ 映画を観たその時ではなく 観た後に起きた出来事がこのセリフの印象を強くしたのだった


この映画を観た翌日 飛び込んできたニュースに衝撃が走った とある芸能人の訃報だった しばらくの間感情が自分の元から離れていったような日々が続いた 自分でも驚いた ものすごくファンだったわけじゃないし すべての作品を追ってきたわけでもない 普通にいいよね くらいで観ていたと思う でもずっと当たり前に目にしてきた人だった

実は過去に似た経験をしたことがあった 突然にして訪れた 取り返せないその瞬間を いつまでも受け入れられないまま押し流された日々 本当に悲しい時には一滴も涙が出ないのだと知ったあの日 あるいはその事実を理解できなかったから 悲しむことすらできなかったのかもしれない

この芸能人のことも理解などできなかった 人々は色々な憶測で言葉を並べた どれかは本当かもしれないし どれも違うかもしれない でも失った世界で生きていくわたしたちにとって 何かしらそれを受け入れるための言葉が必要だから たとえそれが真実でなかったとしても 納得していなくても 自分の意思に関わらず動き出す時間という列車の中で姿勢を保っていられるだけの何かが必要だから みんなそれを求めて言葉を探した

数日が経って ふと思い出した映画のあのセリフ あの人も同じ きっとすべてを他人にあげてしまったんだ 一つ残らず 

それが唯一自分の姿勢を保つためのものだった それが真実でなくても わたしがその人を失った世界で生きていくために必要な答えだったのだ


失っても時間は流れていく
失ってもこの身はここにある 失った世界で生きていく

そうして何度も何度も人生の中でたくさんのものを失って それらを失った時間の中で生きている

あったはずのものが失われた瞬間 心の時計が止まる

だけど自分自身はひたすら時間に流されて推し進められて どんどんその失った瞬間から遠ざかっていく

新たなものを受け入れたり また違う何かを失って 時には自らの手で捨てることもある


自分が意識して歩いていなくても
自分が動いてるかのようにして時間はわたしの目の前を通り過ぎていく
こちらは停車しているのに反対側の列車が動き出したときのようだ

立ち止まっても進んでも
手に入れても失っても
納得してもしていなくても

前を見て進んでいるわけじゃないのにずっと流れていて
列車の進行方向とは逆向きに座っているかのようだ


この世のすべては当たり前に存在し続けるものなんてないのに 当たり前を錯覚してしまうように存在するものが多すぎる わかっていてもその時がきた瞬間はうまく受け入れられないものだ

どんなに時間を費やしても 過ぎた場所に戻ることはできない 同じ場所に立っても もうあの日のあの場所ではない 

我々はたくさんのものを失って生きている 失ったものを数えて これから失われていくものの尊さに目を向けずに時を進む そしてまた何かを失った時に 失ったものとして胸に抱えることになる

今あるものがいつか失われるものだと思って生きるのは難しい でも失ったものばかり数えて生きるのはあまりにも悲しいから 満たされる意味を時には感じられるような生き方をしたい それが失った世界で生きるということ

陽の光は この世のすべてをあまねく照らす



*中国語

陽光普照  yang2 guang1 pu3 zhao4 / ㄧㄤˊ ㄍㄨㄤ ㄆㄨˇ ㄓㄠˋ


Netflix↓


小噺付きSpotify↓



見出し画像:阿里山から望む玉山越しの来光(台湾)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?