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一貫性のない自分

自分のnote一貫性ないな と思う

台湾のこと書いたり 過去のこと書いたり その都度 ほぼ気分で書いているから


少し前にnoteの勉強会に参加してみた そこで「作品に一貫性がある方がいいのか」という質問をしている方がいた 運営側の回答は「もちろん一貫性があると 読者にとっては得られる情報がわかりやすいのでメリットも多い ただし一貫性を持たなければならないかといえばそんなことはないので自分の創作意欲を重視してほしい」 ということだった 

納得だ 一貫性がある方がわかりやすい でも創作側としてテーマを絞るとなるとその制限がストレスになって 書きたいことを書けなかったり ネタに困ったりする

例えば 台北在住というのを生かして 台湾に関する内容に絞ってこのnoteを創っていくとする その場合台湾に関する情報を求める人が読者になってくれるだろう

でも台湾は毎年人気の旅行先ランキングに入るほどメジャーだし 在住の日本人も多い 台湾に関する情報や素晴らしい作品は溢れるほどある だから正直それ以上にいい作品を創り出す自信はない

かと言って他に記事をコンスタントに書き続けられるほどのネタも持ち合わせていないし 生活がここにある以上は 台湾のことも避けきれないと思う

そして どんなことを書いたら読んでもらえるかってことに執着して書こうとすると やっぱり書けない 


最近そんなことを考えながらnoteって本当に自分自身だなと思った

これと言って大きな強みみたいなのはなくて ちょこちょこっと世の中を生きてきたから 小ネタみたいなのはいくつかある でも一貫性に欠ける そしてその小ネタのすべてに上がいる 自分がそれをやるもしくは語るなど おこがましいと思ってしまう

時々自分の今後の人生を考えると不安になる ぼんやり働きたいなと思いつつも 何ができるか考えるとこれってものがないから思い浮かばない 自分の能力や興味の他に家庭のことを考えたりすると難しい 言い訳みたいに聞こえるかもしれないけど 同じように悩む人は結構いるんじゃないかと思う

わたしの周りには素敵な大人が多くて 基本的にみんな向上心が高い 子供を介して知り合った人の多くは それぞれ様々な業界で懸命に社会を支えてきた人たちだ

彼女らの現役時代を想像するだけで一本の映画になりそうだななんて思う

台湾に来て子供を産んで それまでの人生では絶対に知り合えなかった人たちと出会えたことはとても幸せなことだ 

そんな彼女たちを含め わたしの周りのママたちはここ数年で社会復帰をしている人が多い 以前の職場に復帰したり 経験を生かす職に就いたり 新たな分野に挑戦する人もいる 彼女らの輝く姿はとてもいい刺激になっている 自分の今後の人生にヒントをくれている気がして

一年前くらいから自分でもやってみたいなと思うことをノートに書き出しすようにした その隣のページには自分が持ち合わせる能力や好きなことを書く

やりたいことはさておき 持ち合わせているもの欄を見て自分のスペックの低さに絶望した あまりにありきたりな人間だった というか この能力って上には上がいるんだよな と思うものばかりで胸をはれるものじゃないことに悲しくなったのだ

何か一つで戦えるほど優秀だったならそもそもこんな露頭に迷うことだってないのかもしれないけど


元〇〇って自分の以前の職業を話すと なんでもできるじゃん!とよく言われるけど 実際には何にもできない PCも使いこなせないし 特別有利な資格を持っているわけでもない この業界なんでもできそうというイメージがあるらしいが やめた後の仕事に悩む人は結構いると思う 


そんなことをうだうだ考えながらも とりあえず続けているのは中国語の勉強とこうしてnoteを更新することぐらいで とてもじゃないけど社会に貢献などできない

でもやめられないのはやっぱり自分が好きだからだ 勉強は好きというよりは納得いくとこまでいけてないからやめられないだけなんだけど 書くことに関してはずっといってるけど好きでやってる

とりあえず思ったこと書きながら自分の今後のこと 考えていけたらいいかななんて 呑気なこと言わせてもらえること 夫と娘には感謝している


結局宙ぶらりんのまま世の中に揺らされて 一貫性のない人生を歩き続けている

誰かこの悩み グダグダ共有しながら一緒に抜け道探しませんか?






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