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宝塚の演出・脚本に求めたいこと

「音楽奇譚 龍の宮物語」と「ロックオペラ モーツァルト」の感想、それぞれ反響いただき嬉しい限りです。

「龍の宮物語」の記事は公演中の興奮冷めやらぬ中リアルタイムで書いたものなので、今落ち着いて考えてみると無茶な解釈も多々あるのですが…。それくらい考察が楽しかった!という思い出としても、このままに置いておきたいと思います。作品の作り込みが細かいと、考察のし甲斐があるというか、考察せずにはいられないというか。夢中になった作品でした。再演を望みます。

「ロックオペラ モーツァルト」の方は、公演を観終わってからぐるぐるぐるぐる考え続け、それでもやっぱり…と抑えきれず書いたものなのでとっても感情的ですね。反省です。公演が終わってしばらく経ち、プレお披露目の熱狂が落ち着いてきた最近になって、「自分も同じことを感じていた」とメッセージくださる方がちらほらいらっしゃり、少しほっとした気持ちです。(批判的なことを言ってもいいのだ、と少し許されたような。)

二つの作品を同時期に観たことで、脚本・演出の持つ力をあらためて思い知らされました。小川理事長の新年の会見では、作品についてこのようなコメントがありましたね。

宝塚小川理事長、新旧OGで構成「夢組」プラン語る

好況に甘んじることなく「量を追うな。質を求めろ」と制作陣にも厳命。「人気なんか一瞬でなくなる。コンティニューはたいへんだけど、一度落ちたものを上げるのはさらにたいへん。1作でも駄作を出すと、終わり。みなそれぞれ、1作1作が勝負と思ってやってほしい」と制作側にも伝えていることも吐露した。

この記事が出たことをきっかけに、ツイッター上で「駄作」についての様々なコメントを見ました。そんな中で、「自分が駄作だと思った作品も誰かにとっては良作なのだからおいそれと批判するべきではない」という意味のコメントを見て感じたことがあり、このnoteを書いています。「駄作」という言葉が指し示す部分についてです。

あらゆる芝居作品には、お芝居自体の物語(脚本・演出)と、演者の物語とがあって、宝塚は外部のミュージカルに比べて後者の比重が大きいと思うのです(だいきほがファントム!とか、こっとんのお披露目!とか、れいこちゃんが二番手羽根!とかそういうやつです)。

「自分が駄作だと思った作品も誰かにとっては良作」、それはそれで正しいと思います。ただ、この場合の「作品」は、”脚本・演出+演者の物語をひっくるめての作品全体”を指しているのではないでしょうか?

わたしは、宝塚の「ロックオペラ モーツァルト」(以下「ロクモ」)は駄作だったと思います。ツイッター上でも、「駄作」という言葉こそ出しませんでしたが、批判的なツイートを繰り返してきました。でも、わたしはロクモという作品全体を「駄作」だと感じたのではありません。ロクモの脚本・演出の拙さ、至らなさを「駄作」だと感じたのです。

作品全体から演者の持つ物語を取り除いても面白いと思えるもの、脚本だけを読んでも面白いと思えるものをわたしは観たいのです。なんらかのカタルシスがあり、ストーリーがあり、語られるべき言葉がある作品を。
つまらない脚本、至らない演出をなんとかして面白くするのが演者の仕事だ、とはわたしは思いません。演者がベストを尽くしたパフォーマンスを観客に見せるなら、演出家はそれに応えられるだけの素地を持った脚本・演出を用意するべきだと思います。長くファンをやっていらっしゃる方の「駄作をこなしてこそのスター」、なんと悲しい言葉でしょうか。限られた、決して長くはないタカラジェンヌ人生の貴重な時間です。ご贔屓様に限らず、どんなスターさんにも、1分だって駄作に時間を費やしてほしくありません。

すみません、すこし主語が大きくなりました。宝塚の観客の中でも、脚本・演出の物語と、演者の物語とをそれぞれどれくらい大切に思うかの比重は人それぞれだと思います。わたしの場合は脚本だけを読んでも面白いと思えるレベルのものが好き、という話です。(具体的には「龍の宮物語」、「金色の砂漠」、「グランドホテル」辺りがこれに該当します。どれも本当に大好き!)

これからの宝塚に、どうか美しい物語と言葉があふれますように。一作でも多くの傑作が生まれますように。祈ってばかりいてもしょうがないので、まずは大好きな演出家さんにお手紙を書いて感想を伝えることから始めたいと思います。

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