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全校臨時休校 かんもくの子どもたちへ、思うこと

場面緘黙(ばめんかんもく)
〈家では普通に話せるが、学校や園など特定の場面で話せなくなる不安症状〉

いま、全国の小学校、中学校、高校が休校になっています。
理屈のうえでは「学校で話せなくなる」子どもはいないということになります。

いつも場面緘黙で困っている子どもたちは、いまどんな気持ちでいるのでしょう。
どんなことを思い、どんなことを考えているのでしょうか。

●かんもくの子どもたちへ、思うこと

突然、春休みが長くなったような3月。全校臨時休校。こんなことは、めったにないことだとおもいます。皆さんは今、どんなふうに過ごしていますか?

子どもの頃の私だったら、どう感じただろう。突然のおどろきと、お休みがふえるうれしさと、学校に居る時間が減る安心感と。

いつもとはちがう大人たちの雰囲気。ニュースで見聞きする情報。そういった非日常への怯えと、学校に通うことについて、今後のことがわからない不安と。だけど、今は場面緘黙症が出ない家で過ごせるんだという気持ち。少し穏やかでいられそうです。

外はもう春めいていて、陽射しや風があたたかい日もあります。家で過ごす子もいれば、近所のお友だちと遊ぶ子もいるでしょう。「マスク、私語厳禁、ひとりひとりの距離を開けて」学校や学童で過ごす子もいるかもしれません。家で過ごさなければならないけれど、家がしんどい子もいるかもしれない。元気に外遊びする子もいるかもしれない。あるいは、かんもくでも、学校に行きたい子もいると思います。

緘黙のバリアフリーがあるとすれば、少しそのイメージに近いことが、はからずも起きているかもしれません。「マスク、私語厳禁、人との距離を開けて」読書をする時間があれば、かんもくだった私にはかなり安心な時間だったと思います。その間は緘黙は出ないでしょう。雑談できない環境です。もちろん、感染対策としての是非は別ですし、子どもたちみんなの中に、日常でないことへの不安もあるとは思います。

学校に通うことの意味、週5日、長時間家ではない場所で過ごすことの必然性、学ぶこと、遊ぶこととはなにか? 学校でしかできないこととはなにか? かんもくだった私が学校に求めていたもの、また、学校に求めていなかったものはなにか、考えさせられています。

学校は、私にとって最も場面緘黙が出やすい環境でした。苦痛が多かったですが、通ったことは無駄とは思っていません。ですが、学校でなされるすべてのことが必要だったとは、思えません。

かんもくの子も、そうでない子も、学校に長時間居ることが苦になってしまう場合は多々あります。今より安心感のある毎日を過ごせる子どもが増えるような学校のあり方、子どもの過ごし方に目を向ける機会だと感じています。

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