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大壹神楽闇夜 2章 卑 1疫病5

 よくよく考えてみると秦国を出て今の今までまともな食事にありつけていなかった。飯屋に来るのも二年と少し振りである。美味い酒に美味い飯…。と、行きたい所だが掘建小屋の様な店では余り期待は出来ない。しかも、中にはテーブルも椅子もない。地面に座り飯を食う。此れでは外で食べるのと同じだと麃煎(ひょうせん)は思った。だが、上機嫌な神楽達を見やり其れは口が裂けても言えないと思った。其れから直ぐに店の主人がやって来た。
「神楽殿…。久しぶりではないか。」
 嬉しそうに主人が言った。
「お〜。鰔丸殿。久しぶりじゃぁ。」
「風の噂で色々聞いてるぞ。」
「じゃかぁ…。」
「神楽殿は八重の英雄だ。今日は儂の奢りだ。一杯食べて行ってくれ。」
「な、なんと…。奢ってくれよるじゃか。」
 と、神楽と娘達は大いに喜んだ。
「当たり前だ。神楽殿の好きなタコもある。待っててくれ。」
 と、主人は厨房に戻って行った。
「神楽殿…。此処には良く来るのか ?」
 主人が戻るのを見計らい小声で麃煎(ひょうせん)が問うた。
「奴国に来よった時は必ず此の店に来よるんじゃ。」
「ほぅ…。」
「つまり…。美味しいのですね。」
 と、王嘉(おうか)が言った。
「フフフ…。食べてからのお楽しみじゃ。」
 と、神楽が言っていると店の娘が魚醤と山葵を持ってきた。魚醤とは醤油の先祖である。
「此れは ?」
 李禹(りう)が陽菜に問うた。
「魚醤じゃよ。刺身に付けて食べよるんじゃ。」
「ほぅ…。刺身 ?」
「生魚の事じゃよ。」
「生 ? 生 ? 魚を生で食べるのか ?」
 と、李禹(りう)は困惑しながら言った。秦国には海が無い。川はあるが何故か出回る魚は例外無く鮮度が悪く生で食べると必ず死んでしまう。しかも、鮮度が悪いから臭いのだ。その為味付けは必然的に濃くなっている。
 李禹(りう)は出された魚醤を指に付けてペロリと舐めてみる。矢張り其処まで濃い味では無い。李禹(りう)はチロリと陽菜を見やる。
「食べれば分かりよる。」
 と、陽菜はニヤリ。神楽も李禹(りう)を見やりニヤリ。香久耶も又ニヤリ。
「フフフ…。」
 と、綾乃は李禹(りう)を見やり、ゴリゴリと擦った山葵を李禹(りう)の前に置かれた魚醤の中に入れ混ぜてやった。
「此れは ?」
「魔法じゃ…。」
 と、綾乃が言っていると、タコの刺身と他三種類の魚の刺身、数種類の貝が木の板に置かれた。置かれた刺身は油が乗ってキラキラと輝き、其れは正に宝石である。
「お〜。此れは又…。美味しそうじゃぁ。」
 神楽達の口から涎がたらり…。
「さぁ、神楽殿。たらふく食ってくれ。」
 主人が言うや神楽達はパクパクと食べ始めた。神楽は先ず大好きなタコに箸を伸ばしてパクリ。魚醤と山葵がタコの旨味を際立たせ、噛めば噛むほど味が吹き出して来る。
「し…至高じゃぁ…。」
 神楽達はトローリとろけてナンジャラホイ。
「お姉ちゃん…。我はおかしくなってしまいそうじゃぁ。」
「分かりよる。我は既にヘブンじゃ…。」
 と、そんな娘達を見やり主人は大満足。ニコリと笑みを浮かべ戻って行った。だが、麃煎(ひょうせん)達は違う。目前に置かれた刺身を前に勇気が出ない。理由は生魚=死だからである。
「何をしておる。ほれ食べるのじゃ。」
 と、神楽は大好きなタコを李禹(りう)の魚醤の皿に置いてやった。李禹(りう)は其れをジッと睨め付ける。
「早く食べねば無いなってしまいよるぞ。」
「う〜ん。」
 と、中々食べる勇気が出て来ない。だが、神楽達は美味しそうに食べている。だから、李禹(りう)はギュッと目をつむりタコをパクリと食べた。
 山葵のツーンが鼻を刺激する。何とも言えぬ強烈な刺激だが魚醤とタコの旨味と重なり其れは…。

 正に至高であった。

 噛めば噛むほど旨味が口中に広がり李禹(りう)をヘブンに誘って行く。
「ウ…。ウフフ…。ア…。アッハハハハ…。」
 余りの美味さに李禹(りう)は笑ってしまった。
「ど、どうしたんじゃ ?」
 驚いた娘達が心配そうに言った。
「な、何でも無い…。ただ…。こんなに美味しい物を初めて食べた。」
 李禹(りう)が言った。
 そうなのだ。人は想像を超える美味しい物を食べた時…。思わず笑ってしまうのだ。
「じゃろ。此の店は美味しいんじゃよ。」
 と、陽菜は更に貝や魚を李禹(りう)の魚醤の皿に置いてやった。其れを見ていた麃煎(ひょうせん)達も覚悟を決めたのか魚をパクリと食べる。
 
 三人は笑ってしまった。

 至高だった…。生まれて初めてコリコリとした歯触りの魚を食べた。しかも、生臭さなんて物は微塵も無く。ただただ旨味だけが広がって来るのだ。 
 こうなると最早箸が止まらなくなる。麃煎(ひょうせん)、王嘉(おうか)、鄭孫作はパクパクと無心で刺身を食べ始めたのだ。こうなると神楽は更に上機嫌になってくる。自分が贔屓にしている店が喜ばれるのは矢張り嬉しいのだ。
「ほれほれ…。刺身には酒じゃ。」
 と、神楽は麃煎(ひょうせん)達に酒を注いでやる。麃煎(ひょうせん)達は刺身を食べ酒を飲む。此の酒が又美味い。
「神楽殿…。我はこんなに美味い魚を食べた事が無い。」
 麃煎(ひょうせん)が言う。
「酒も美味い。」
 と、王嘉(おうか)も上機嫌である。
「神楽殿…。私は幸せです。」  
 と、鄭孫作は泣いていた。
「鄭殿…。大袈裟じゃかよ。」
 と、神楽は酒を注いでやる。
「大袈裟じゃない。秦国は飢えているから…。」
 李禹(りう)が言った。
「飢えて ?」
 神楽が問うた。
「倭人の所為で皆カピカピよ。」
「じゃかぁ…。其れで其方もカピカピなんじゃな。」
 と、神楽は更に李禹(りう)の皿に魚を乗せてやった。其れから焼き魚と汁物が運ばれて来た。そしてメインの煮物が運ばれて来る。
 此のメインの煮物が店の良し悪しを決めると言っても過言ではない。何故なら甘味があるからだ。勿論砂糖も蜂蜜も無い時代。如何に甘味を出すかが職人の腕である。此の鰔丸はどの様な方法で甘味を出しているのかは謎とされているのだが、とても甘い煮物を作ってくれるのだ。
「とうとう、来よった。此の店が流行っておる真の意味を知る時が来たじゃかよ。」
 煮物を見やり神楽が言った。
「真の…。」
 麃煎(ひょうせん)達は生唾を飲み煮物を見やった。
「さぁ、どうぞじゃ。」
 と、神楽は手を差し出した。麃煎(ひょうせん)達はワクワクし乍煮物をパクリと食べた。

 其れは…。

 初めて味わう美味さだった。

 魚醤をメインに味付けがされているのだが、ドカンと来る甘さがただ濃いだけの味付けになっていない。

 これこそ…。
 料理だ。

 と、麃煎(ひょうせん)達の箸は又々止まらなくなった。
 パクパクと食べガブガブと酒を飲む…。

 その姿を見やり神楽は更に更に上機嫌である。
「神楽殿。どうだ。此の煮物は自信作なんだが ?」
 主人が聞いて来た。
「鰔丸殿…。此れは又美味しいじゃかよ。」
「そうか。其れは良かった。此の煮物には花から採れる蜜を使っているんだ。」
「花の蜜じゃか !」
 と、神楽はお股を見やる。
「あ…。其処じゃ無い。」
「違いよるか…。」
 と、神楽はゲラゲラと笑う。
「いやぁ、ご主人。此れは最高だ !」
 気分最高潮の麃煎(ひょうせん)が大きな声で言った。

 そして、周りが凍りついた。

 麃煎(ひょうせん)は周りの変化に、なんか、やっちまった…。と、瞬時に悟った。
「か、神楽殿…。此の者達は ?」
 青ざめた表情で主人が問うた。
「き、気にせんで良い。」
「気にするなと…。渡来人を前に気にするなと言うのか。」
「じゃよ…。」
「ふざけるな ! こいつらは侵略者だぞ !」
 と、主人が叫ぶと、店にいる民が一斉に構えた。そして、この時初めて麃煎(ひょうせん)達は言葉の違いに気がついた。神楽達はなんの躊躇いもなく自分達の言葉で話していたので言葉の違いと言う大きな障壁を感じていなかったのだ。

 だから…。
 小声で話せと言っていたのか…。
「まったく…。だから、小声で話せと言うたんじゃ。」
 と、神楽は麃煎(ひょうせん)を見やる。麃煎(ひょうせん)はバツの悪い顔で視線を逸らした。
「神楽殿…。此れはどう言う事なんだ ?」
「彼等は敵では無い。我等と共に戦う者達じゃ。」
「大神を殺してか !」
「大神も知っての事…。じゃが、訳あってまだ共に戦えぬ仲なんじゃ。」
 香久耶が言った。
「訳も何もあるか ! 大神を殺した者に何故飯を出さねばならん !」
 と、主人が言うと周りの民も其れに賛同する様にヤイノヤイノと言い出した。神楽は非常に不味い事になったと思った。

 此れはいけん状況じゃ…。

 と、周りを見やるが周りは既に殺気立っている。

「やかましい !」
 神楽は力任せに事を治める事にした。神楽の一言で周りのヤイノヤイノは治ったがまだ、誰も納得していない。
「良いか…。此処におる者達は確かに秦人じゃ。じゃが、秦人であっても我等に力を貸す者達じゃ。確かに其方らが言う様に大神は討たれてしまいよった。じゃが、既に我等は倭族の帥升を討ち取っておる。良いか。倭族は神じゃ。帥升は神の大王なんじゃ。つまり、我等は絶対なんじゃ。じゃから、秦人は我等に屈指、共に戦いたいと悲願しに来ておるんじゃ。其方らは屈した戦士達を攻めよるじゃか。」
 と、神楽は勢いに任せてあらぬ事を言った。香久耶は神楽の言葉をコッソリ訳して麃煎(ひょうせん)達に聞かせた。
「そ、そうなのか ?」
「鰔丸殿…。其方は我の言葉を信用出来んと言いよるんか。」
「いや…。神楽殿がそう言うならそうなんだろう。だが、受け入れろと言われても、我等には辛い。」
「分かりよる…。其方らにとって大神は特別じゃ。」
「あぁぁ、そうだ。」
 皆が口々に言う。
「じゃから、この者達が必要なんじゃ。我等に新たな策、新たな武器を与えてくれよる。即ち新たなる希望なんじゃ。」
 と、神楽は麃煎(ひょうせん)を見やった。神楽は麃煎(ひょうせん)を見やり、何か言えと合図を送る。麃煎(ひょうせん)は慌てて立ち上がると皆を見やった。
「此度の事誠に申し訳なく思っている。二度とこの様な事が起こってはならぬと我等も又心を痛めている。だから、共に倭人を倒そうではないか。」
 と、言って麃煎(ひょうせん)は頭を下げた。皆は麃煎(ひょうせん)が何を言ったのか分からなかったが頭を下げた事に少し納得した様だった。その状況を見やり神楽は何とか乗り切れたと冷や汗を拭った。
「危なかったじゃか…。」
 陽菜がコソッと言った。
「まったくじゃ…。暴動が起こるとこじゃったぞ。」
 綾乃が言う。
「じゃよ…。又伊都瀬(いとせ)にガミガミ言われよる。」
 と、香久耶も肩の力を抜いた。
 其れからの一時は一転して賑やかな物となった。徐々に打ち解けて行った民は麃煎(ひょうせん)達と言葉が通じ合わなくとも共に酒を飲み語り合っていたのだ。気がつけば日は沈み雨は止んでいた。神楽達一行は店を後に宿屋に向かった。
 そして翌朝一行は浜に向かった。卑国に向かう為である。一行はテクテク歩き浜に向かう。神楽はやれやれと思いながらも上機嫌なままである。そして浜に着くと神楽達はボ〜っと浜を見やっていた。あるはずの葦船が消えていたのだ。
「麃煎(ひょうせん)殿。葦船は何処じゃ ?」
 神楽が問うた。
「其処に置いたはずだが。」
 と、麃煎(ひょうせん)は波打ち際を指差した。
「其方は阿保じゃか。そんな何処に置きよったら波にさらわれてしまいよるじゃかよ。」
 と、神楽が言ったのだが、其処で良いと言ったのも神楽である。
「そうか…。」
「じゃよ…。」
 と、神楽達は海をボ〜っと見やった。

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