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大壹神楽闇夜 2章 卑 2三子族1

 卑国に来て三日が経った。王嘉(おうか)は水豆菜(みずな)達と毎日アレやコレと策について語り合い、鄭孫作は日夜鉄を溶かす方法を娘達と試行錯誤を繰り返しているいる。そして麃煎(ひょうせん)は暇であった。暇だから李禹(りう)を誘っては茶屋に行き時間を潰す。だが、李禹(りう)も神楽と時間を共にしているので余り長くは付き合ってはくれない。だから、麃煎(ひょうせん)が卑国に来てした事と言えば娘達の子作りの相手だけである。
 娘達はその気にさせるのは上手いのだが、終わった後は驚く程素っ気ない。男に恋はせぬと言っていたが、此れでは虚しさが残るだけである。と、トボトボと歩いていると伊都瀬(いとせ)がパタパタとやって来た。
「麃煎(ひょうせん)殿。こんな所におったじゃか。」
 伊都瀬(いとせ)が言った。
「ええ…。まぁ…。」
 と、麃煎(ひょうせん)は元気が無い。
「明日王后が戻って来よるじゃかよ。」
「ほ、本当ですか。」
「じゃよ…。所で麃煎(ひょうせん)殿は一人じゃか ?」
「ええ…。皆忙しいみたいで。」
 と、麃煎(ひょうせん)は何とも寂しそうな顔で言った。
「じゃかぁ…。」
「しかし…。男が少ないと言うのは寂しいですな。」
「かのぅ…。此れでも増えた方じゃ。昔はのぅ…。」
 と、伊都瀬(いとせ)が言うと麃煎(ひょうせん)は思い出した様に伊都瀬(いとせ)を見やった。
「そう、其れだ。その昔に何があったのです ?」
「何が ? 何も無いじゃかよ。」
「何も無く女だけの国にはならんでしょう。」
「否、初めから女だけじゃ。」
「真逆…。」
「不思議じゃか ?」
「不思議しかありません。」
「知りたいじゃか ?」
「是非。」
「まぁ、麃煎(ひょうせん)殿の暇つぶしにはなるかもじゃな。」
 と、伊都瀬(いとせ)は麃煎(ひょうせん)を鷺の宮殿に招いた。
       
       大壹神楽闇夜

        二章 卑

        二 三子族

 麃煎(ひょうせん)は鷺の宮殿の中にある庭に招かれた。伊都瀬(いとせ)は其処である技を麃煎(ひょうせん)にして見せていた。其の技は大きな木に指先をチョンと当ててそのまま掌底を木に当てるだけの技である。其れがなんだ…。と、思うかも知れないが麃煎(ひょうせん)は其の技に度肝を抜かれた。何故ならそんな力の入らぬ掌底で大きな木が激しくゆれたからだ。
「我等が技の基本じゃ。」
 伊都瀬(いとせ)が言った。
「此れが基本…。」
「我等は体の全てを把握しておる。」
「真逆…。」
「じゃから、今がありよる。此れは我等を知る上で大切な事なんじゃ。昨日、今日で此の技を我等は知ったのでは無いと言う事じゃ。」
「つまり、何十年もかけて作り上げたと…。」
 と、麃煎(ひょうせん)が言うと伊都瀬(いとせ)は"フフフ…。"と笑い麃煎(ひょうせん)を見やった。
「何十年では無い。何千年じゃ。我等の歴史は八重国より遥かに古い。」
 と、伊都瀬(いとせ)は麃煎(ひょうせん)を中に招き入れ日三子の間から庭を見やり其の歴史を語り始めた。
 
        マカラの話

 娘達が三子族と呼ばれる様になったのは、娘達の長い歴史から見ればごく最近の事であると言える。何故なら其の始まりは古く伊都瀬(いとせ)の生きる時代より遥か昔…。三千と五百年程遡らなければならないからだ。
 とても古き時代。此の地に国は無く広大に広がる土地に集落が点在しているだけであった。何より人が移動出来る距離などたかが知れている。だから、人々は土地は無限にあるものと勘違いしていたし、集落によってはこの世には自分達しかいないと思っていた人達もいた。其れでも大きな集落だと四百人位の数の人が生活をしており、小さな集落でも十人以上の人が生活をしていた。
 後の人は争いが無く、皆が平等で平和な時代であったと言うが其れは嘘である。確かに他集落との争いは無かったが、其れは戦争が無い=平和であると言うとても大き過ぎるカテゴリーの中での話であり、実際は陰湿なイジメや嫌がらせ等は日常的にあったし、権力争いも当然の様に起こっていた。つまり、人の根本的な部分は何も変わっていないのだ。理想と幻想を抱くのは自由だが仮に其れがそうだとするなら昔の人と今の人はまったく別の人種という事になる。
 だから、皆が平等であったと言うのは嘘なのだ。集団生活に置いて皆を平等にしてしまうと、纏まりが無くなってしまう。纏まりが無くなれば当然その集落は無法地帯となってしまう。だから、必ずボスが存在し皆を纏めていた。つまり、どの集落も例外無くピラミッド型の組織を作り上げていたのだ。
 そして、他集落との交流が殆ど無かった時代は言語もバラバラであった。ある程度言語が纏まって来たのは交流が頻繁に行われる様になってからである。理由は勿論その必要があったからだ。つまり、言葉の発展は生きて行く上で必要不可欠だから発展したのだ。だから、男には名前があり、女には名前が無かったのだ。
 此れは男尊女卑からでは無く男は狩をするからである。狩は必ず複数人で行われた。複数人で行われると言う事は必ず其処にリーダーが存在する。そして、リーダーは的確な指示を出し狩を成功させる義務があった。其の指示を確実な物とする為には誰に何の指示を出しているのかを明確にしなくてはいけない。だから、男には名前が付けられていたのだ。当初は狩をしない男には名前は無かったのだが時と共に付けられる様になった。
 マカラが産まれたのは其の様な時代である。マカラは女だったので産まれた時は名前が無かった。勿論名前が無い事に問題は無い。と、言うよりも名前と言うものには誰も執着等していなかった。必要かそうで無いかだけの事なのだ。だから、名前と言っても簡単な物で"アウ"とか"ヒカ"とかである。ようは誰に伝えているのかが分かれば良いだけの事なのだ。
 だから、此の時代についてどの様な物語を語れば良いのか難しい事ではあるが、マカラの生い立ちが不幸であったと言う事は伝えねばいけない。
 マカラの父はとても低い身分だった。其の理由は狩が下手だったからだ。此の時代において狩が下手であると言うのは致命的である。だから、皆はマカラの父を無駄飯食いと罵っていた。だが、母は木の実や山菜を取る事に長けていたので重宝されていたのだが、残念な事にブスだった。ブスと言ってもマカラのいる集落内での事である。だが、此れが大きいのだ。
 其の集落でブスと言う事は集落の長に可愛がって貰えないと言う事になる。そうなれば必然的に扱いは雑となり、可愛いがって貰っている女が力を持つのだ。
 どの集落もそうなのだが、男と女の役目は明確に分かれている。だから、日が昇り沈みかけるまで男は男、女は女で行動する。そうなると力のある女が其の中でのボスとなり、ブスは奴隷の様な扱いを受ける事になる。つまり、マカラの母は奴隷だったのだ。当然其の娘であるマカラも奴隷だった。
 マカラはそんな日々が嫌で嫌で堪らなかった。だから、父と母に別の集落に行こうと常に話していた。だが、父も母も其れを拒んだ。理由は他の集落に辿り着く自信が無かったからである。
 集落に居れば奴隷であろうと住む竪穴式住居があり、飯も食える。だが、いざ集落を抜け出すと其処は死と隣り合わせの戦場に他ならない。其れでも明るい内はまだ良い。だが、日が沈み夜になれば真っ暗な闇夜である。闇夜になれば獰猛な獣がウヨウヨと集まり出す。下手をすれば寝ている間に食い殺されている事もある。其れに、飯の確保も水の確保も簡単な事では無いし、他集落が何処にあるかも分からず彷徨うのは死にに行くような物である。だから、集落を抜ける時は最低でも五人の男が必要だったのだ。勿論マカラの父と共に抜けてくれる仲間など皆無である。
 頼りない親にマカラは日々絶望していた。自分はこのまま奴隷として死んで行くのかと苦しんだ。苦しみながらもマカラは諦めなかった。何とか抜け出す方法を考え続けた。だから、マカラは色々な事を覚えた。田畑の耕し方、服の作り方、竪穴式住居の作り方等だ。マカラは女が嫌がる仕事も進んでこなして行ったのだ。時には男と共に狩にも出かけた。ブスではあったが色仕掛けで何とか連れて行って貰ったのだ。
 そんなマカラには仲の良い友だちが一人いた。後にアタカと呼ばれる此の娘も又奴隷だった。マカラとアタカは仲が良くいつも一緒にいたのだが色々と精力的にこなすマカラをアタカは当初皆に媚を売っているのだと思っていた。だが、精力的にこなすマカラを女達は良く思わなかった。だから、マカラに対するイジメは日々酷くなっていった。
 糞を食わされたり、殴られたり…。時には崖から落とされた事もあった。
「いつか抜け出してやる。」
 イジメられればイジメられる程マカラの思いは強くなり更に色々な事を覚え様と必死になって行ったのだ。アタカはそんなマカラを見やり、そしてボソッと言ったマカラの言葉を聞いた。その日からアタカも色々な事を覚えようと必死になった。一人より二人…。マカラがその気ならとアタカは思ったのだ。
 そして、マカラとアタカが十五になった日、二人は集落を抜け出した。少しの食糧と石槍と弓を盗んでパタパタと走って行った。勿論当てなど無い。兎に角進めと二人は当てなく進んだのだ。二人がパタパタと走って行ったのは連れ戻される事を恐れたのではなく、日が沈む迄に出来るだけ先に行きたかったからである。それは、集落は基本来る者拒まず去る者追わずが原則だからである。
 兎に角進み二人は川の辺りで火を焚いた。其処で山菜を集め魚を取った。そして、夜は交代で火の番をし命を守ったのだ。
 そんな事を十日程繰り返してマカラとアタカは川の近くに小さな竪穴式住居を作り其の周りに柵を作った。小さなマカラとアタカの集落である。その中でマカラとアタカは久しぶりの熟睡を堪能した。

 さて、卑国の起源はいつなのか… ?

 そう聞かれると難しい話である。それは、マカラが抜け出したいと思った時か、それとも其れに対して行動し始めたときか、はた又集落を抜け出した時か、竪穴式住居を作り集落を作った時からなのか…。何にせよこの時はまだマカラもアタカも自分達が何をしたかなどまったく理解していなかった。
 否、誰も理解など出来なかったはずである。真逆、こんな小さな竪穴式住居があるだけの集落が、大きな国になるなど誰が想像出来ただろうか ? 此れはお釈迦様でも無理である。
「ねえ…。名前つけよ。」
 ある夜竪穴式住居の中でアタカが言った。
「そんなの必要無い。」
「駄目だよ。だって此処は私達の集落なんだから…。」
「私達の…集落…。」
「だよ。あなたが長。長には名前がいるよ。」
「そっか…。」
「マカラ…。どう。」
「マカラか…。ならあなたはアタカだ。」
「アタカ…。」
「うん。アタカ。」
「マカラ。」
「アタカ。」
「マカラ。」
「アタカ。」
 と、二人は一晩中お互いの名前を言いあった。
 卑国の始まりはひょっとすると此の瞬間だったのかも知れない。
 

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