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大壹神楽闇夜 序章 奴隷の王2

 其から半年も経たぬうちに準備は整った。船の数は三隻。船員の総人数は三〇〇人程である。此れはあくまでも調査であり侵略や征服といった行いでは無い。だから過剰な人員は必要ではなかった。政としては船は小さく目立た無い物が好ましかったが、小舟で魚釣りをしに行く訳ではないし、目の前の陸地に行く訳では無い。だから、船を小さくと言っても限界があった。
 政は船団の大尉を務める項雲に、あくまでも内部調査で有る事を強く言い聞かせ、迂駕耶の民に気付かれず行動する様に念を押された。項雲も其は承知しているので素直に従った。
 一行は周代の時の様に朝鮮から南下していくのではなく、芳洲から船を出し南下して行く航路を選択した。此れは秦国が此の当時は未だ朝鮮を属国にしていなかった為である。
 無事項雲が出航して行くと、政は取り敢えずはひと段落と天下巡遊を再開した。此の天下巡遊に際しその都度西南市に立ち寄り、迂駕耶について天神帥升と話を交わした。天神帥升はそう言った事にあまり興味を示さないが政の話は真剣に聞いている様だった。元々気が荒く残忍であるとされる倭族だが、天神帥升と話をしているとそう言った風には見えなかった。神となり残忍さが無くなったのか ? 何千年もの間優雅に暮らし続けてきた所為で腑抜けてしまったのか…。だからと言って驕慢(きょうまん)になれば何が起こるか分からない。だから政は常に腰を低く保ち倭人と接していた。
 其から一年半ほどが過ぎた項雲が戻ってきた。帰ってきた船は驚く事に一隻だけだであった。此れには政も驚いたが項雲が如何に海が危険なものかを伝えると政は非常に悲しい表情を浮かべたが、迂駕耶の民から攻撃を受けたのではない事を知って安堵の表情を浮かべた。そして政は項雲から報告を受け取るため別室に彼を招いた。
 政と項雲は椅子に腰を下ろし、政はテーブルに茶と菓子を運ばせた。二人は茶を嗜み一口菓子を食べると先ずは政が項雲を称えた。項雲は頭を垂れると迂駕耶について話し始めた。
 先ず初めに項雲が言ったのは、迂駕耶は国の名前では無く其の土地の名前だと言う事だ。其の場所は陸続きでは無く海に囲まれている事、そして迂駕耶、其処から海を渡った場所に出雲と言う場所があると言った。其はともに大きく広大な場所で有るとも伝えた。そして其の二つの場所を統治する国家が既に存在する事…。と、伝える事は非常に多かった。
「既に国が存在していたか。」
 茶を啜り政が言った。
「はい。国の名前は八重御国(やえのおんくに)。若倭根子日子毘々(わかやまとねこひこおおびび)という者が其の国の王で御座います。」
「ふむ…。ヤエノオンクク…。何とも長ったらしい名前だな。王の名前も非常に長い。舌を噛まずに言えた其方を褒め称えたいほどだ。此の長さに意味は有るのか ?」
「勿論です。八重と言うのは元々迂駕耶には八つの中津国があったとの事、其の八つの国を纏めたのが安岐国。」
「八つの国を纏めたから八重という事か。なんとも滑稽であるな。」
「ええ、まぁ…。」
「其れで、御国と言うのはどう言った意味がある ?」
「其れが…。」
 そう言うと項雲は言葉を飲んだ。
「構わぬ続けよ。」
「はい。神のいる国という事です。」
「神 ?神とはどういう事だ。」
 政がジロリと項雲大将軍を睨めつけた。
「そのままの意味であります。」
「成る程。文献からは想像もできぬ程に其の国は成長していたという事か。」
「そういう事です。しかも驚く事に其の国は我々の侵略、征服に対してただならぬ警戒心を持っています。」
「何と…。古の国は数百年も昔の事を忘れず今に備えていたと。」
「はい。」
「人は自分が犯した罪は忘れても犯された方は死んでも忘れぬと言う。まさに其だな。其れで自分達が神であると称し。我等に対抗しようとしておるのか。」
「いえ。そうではありません。国を統一した初代大神…。つまり王である伊波礼毘古と申す者に贈られた称号がどうとかで、その者を神とし神のいる国。元は大国と言っていたらしいのですが其よりも偉大な国として御国としたとか。」
「?…。 よう分からん説明だな。」
「すみません。これは民族性の違いかと。」
「ふむ。まぁ、我等から離れ数百年。独自の文化、文明を発達させた結果という事だな。」
「はい。其よりも驚く事に彼等は此の国に間者を潜り込ませているのです。」
「何と!」
 項雲の言葉に政は非常に驚いた。
「間者を…。我等は既にその国知らず、されど古の国は我等を警戒し間者まで送り込んでいたか。我等は彼等を知らず。されど彼等は常に我等の動向を把握しておったとは…。いやはや、驚かされる。」
 と、此の事実に政は深く落胆した。属国であった古の国は幾ら文明、文化が発達しても自分達には到底追いつけ無いと思っていたからだ。其がどうだろうか、蓋を開けて見れば驚く程に進化しているではないか。
「はい。我等は直ぐにでも其の間者を見つけ出し事を起こさねばなりません。」
「うむ。彼等は既に此の国が統一された事を知っておるのだろうからな。」
「はい。知っております。」
「なら、至急彼等の捜索をさせねばならぬな。」
 そう言うと政は残りの茶をグイッと飲み干した。
 其れからも項雲と政は古の地について色々と話し合い其れは次の朝まで続いた。
        *  *  *  *
  其から直ぐに項雲は多くの人員を使い間者の行方を探った。勿論これは秘密裏に行われ部外者に口外する事をきつく禁じた。その甲斐もあり間者は直ぐに見つけることが出来た。今まで彼等の存在に気づかなかったのは、単純に考えもしない事だったからだ。要するに知れば見つける事は容易い。結果半年も掛からぬうちに、間者が集まり情報交換をする場所まで特定していた。しかし政は彼等を捕まえるでも、殺すでも無くそのまま放置していた。其は彼等が自分の駒として使えると判断していたからだ。その一人が此の呂氾である。考えても見ればそもそも此の呂范の出自には不明な点が非常に多い。其は戦時中であったが為致し方がないと思っていたが、此の考えが甘かったのだ。もっと周りに気を張っていれば無駄な予算を使う事も無駄に時間を使い航海などする必要も無かったのだ。否、其は其で別に構わない。その時間があったればこそ政は何度も天神帥升の元を訪れ古の国について話すことが出来たのだ。そして今日と言う日を迎える事が出来た。
 政が馬車に揺られ向かっている場所は天煌国の首都、天神帥升達が住む西南市である。咸陽から馬車で三日程の所にあるその場所は何とも優雅で広々とした所である。緑豊、綺麗な川が流れ、人は働かず。女は歌を歌い舞を踊り、男は武芸に励、何とも言い難い楽園のような場所であった。
 その場所に着くと始皇帝である政であっても馬車を降り、頭を垂れて歩かなくてはいけない。其は政にとって屈辱以外の何物でもなかった。女であれ、子供であれ、その場所に住む人間は皆政よりも各が上なのだ。此では何の為に天下を取ったのか分からないが、天下を取り損ねればさらにひどい環境になる事は確かである。行く度に憂鬱になるが仕方の無い事である。
「始皇帝。そろそろ西南です。」
 呂が言った。
「そうか…。」
 政が答えるとほぼ同時に馬車が止まった。政は大きく溜息をつくと馬車から降り冠を取り従者に渡す。西南に入れば、政も従者と同じ平民である。冠をかぶる事は許されない。だが、政が身に付けている装飾は許されている。だから、政は出来る限り豪華な装飾品を身につけている。詰まらぬ抵抗である。全く、こんな事をしなければ自分を見せる事が出来ないもどかしさ。自分は此の国の覇者である。始皇帝である。そう、言いたいが、昔も今も此の国の王は天神帥升を継ぐ者だ。詰まり始皇帝とは奴隷の王である。王と言っても西南に入れば唯の奴隷に過ぎず。奴隷に身分等存在せず、倭人にとっての政は一人の奴隷に過ぎなかった。
 政は溜息をつき深々と頭を垂れる。そして天神帥升の住む宝樹城迄歩き始めた。何とも情けないが、此れが天下を取った男の姿である。
「しかし、何度来ても此れは戴(いただ)けんな。」
 ボソリと政が言った。
「滅多な事を言う物ではありません。」
 呂范がボソリと嗜めた。
「分かっておる。所で呂范其方はどう考える ?。」
 政が唐突に話を振った。
「どうとは ?。」
 政を見やり呂范が答える。
「八重御国についてだ。」
「八重御国 ? 私は其の国を知りませぬ。ですが、方々から聞いた話から推測するに我国の敵ではありません。」
「敵では無い…。其方はそう考えるか。しかし、項雲の話では危険な部族がいるとの事だ。」
「危険な部族 ?。」
「左様…。何とも不思議な話だが其の部族…。名は何だったか。確か、ああそうそう。三子族だったか。その部族には女しかいないとの事。しかも攻撃的で、彼女達が治める国の周辺には幾多もの罠が仕掛けられているのだと言う。そんな話信じられるか ?。」
「信じるも何も項雲大尉がそう仰られているのであれば其れは真実なのでしょう。」
「真実…。そうだな。真其の通り。では、彼女達が相手でも我等は勝てるか ?。」
「勝てましょう。」
「勝てる ? ほう、何故そう言えるのか。」
「彼女達が如何に優れていようと、其れだけだからです。」
「それだけ ?。」
「はい。それだけです。如何に彼女達が攻撃的で危険な部族であっても只それだけの事です。」
「彼女達は我等の敵では無いと ?」
「恐れながら…。私が質問しても宜しいですか。」
 頭を垂れ呂范が言った。否、元々垂れていたので其の違いはよく分からない。
「構わん。」
「彼女達は八重御国の民なのですか ? 其れとも彼女達独自の国が存在するのでしょうか ?。」
「項雲の話によれば、その国は八重御国の属国であるとの事だ。」
「属国でありますか。」
「そうだ。その国は卑国と呼ばれているらしい。」
「ひ国…。火ですか ? 其れとも日ですか ?。」
「いや、卑だ。正確にはヒュ…。ヒッュ…。ヘッ…。全く、あの国の発音はややこしくてかなわん。兎に角奴婢の婢と同じ意味の卑だ。」
「奴婢 ?。」
「我等で言う奴隷の事だ。奴婢の婢は女の奴隷を意味しているのだそうだ。」
「奴隷ですか…。と言う事はその国は奴隷の国という事ですか。奴隷の国であって攻撃的、国の周りには仕掛けが多数あると ?。失礼ながら私にはどうも話が見えてきません。」
「そうだろうな。項雲の話によれば数百年前に大きな戦があったそうだ、迂駕耶を治める八重大国と尻狗奴連合の覇権争いだそうだ。勿論勝ったのは八重大国だが、其の時最後まで争い戦い抜いた国が卑国なのだそうだ。本来は我等同様滅亡させるが道理。だがその国は滅亡は愚かその自治権までもが認められたらしい。その国が卑国と呼ばれる様になったのはその時からだと言う事だ。理由は分からぬ。何せ何百年も昔の話だ。当時のことを言えるものは既におらんからな。だからと言ってその国の女達が奴隷なのかと言うとそうでは無いらしい。」
「奴隷では無いと ?」
「其れどころか八重御国の中で二番目に発言力があると言っておった。」
「二番目とは、王の次…と、言う事ですか。何とも、よく分からぬ国であります。」
「そうだな。項雲によれば此れにも理由があるらしいのだが、八重御国を陰から支えてきたのが卑国なのだそうだ。深くは知らんが、彼女達がいたからこそ数百年に及ぶ統治を可能にして来たのだと。まぁ、属国である事に違いはない。しかし、侮れん事は、確かであろう。」
「確かに。しかし、私の答えは変わりませぬ。」
「ほう…。その理由は ?。」
「其れだけだからです。もしもその国が我国にとって脅威となり得る国であるのなら、八重御国は更に脅威となる国という事。然しながら八重御国は我等の敵にあらず。其の卑国が真に脅威であるのなら既に古の地は卑国が治めていたでしょう。」
「成る程…。其方の意見は実に素晴らしいものだ。だが、其の脅威にならぬ国が我国に間者を送り込ませているとの事…。」
 そう言うと政はチロリと呂范を見遣る。流石に間者として送り込まれて来ているだけの事はある。呂范は顔色一つ変えなかった。
「間者をですか ?」
「うむ。彼等は我国の動向を常に把握しておった。当然秦国が天下統一した事も知っておる。さて、八重御国はどうすると考える ?」
「どうする ?。当然秦国の侵略に備えるかと…。」
「そうであろうな。だが、如何に周代の力が衰え其の効力がなくなったとは言え、元々其の国は我等が支配する属国に過ぎず。今ある文明、文化も我等が与えた物。其の恩義を忘れ間者まで送り込み我等を敵とみなす事許される事ではない。」
「確かに…。」
 少し呂范の顔色が変わった。
「私は八重御国に制裁を与えるつもりだ。」
 政の此の言葉に呂范は此の場で政を殺すか、殺すまいか悩んだ。否、剣を抜きかけた。此れは一時の感情で大事に向かわせてしまう所であった。此処で政を殺した所で八重御国が安泰になる訳ではない。既に八重御国は不確かな国から実在する国として認識されている。此れは項雲が実際に赴き其れを証明しているからだ。だから此処で政を殺しても誰かが侵略してくる事に間違いはない。
「確かに、其れも必要でしょう。」
 俯いたまま呂范が言った。
「呂范よ。我等は常に強者でなくてはならぬ。故に我等の上に立つ者許さず。其れが誰であろうとだ。」
 政はそう言って口を継ぐんだ。呂范は此の時、政の言葉に異様なまでの違和感を覚えた。だが、それが何なのか呂范には分からなかった。
       *    *      *      *
  西南に入り三時間程歩き続けると立派な作りの宿泊施設に到着する。宿泊施設までの道のりは完璧なまでの一本道で、此の道中で政達が倭人と遭遇する事はない。言わば政達の為の道である。こう言えば聞こえが良いが、言い換えれば其の他の場所を歩く事を許していないと言う事である。要するに奴隷が歩く奴隷のための道である。勿論こんな偏見な見方をしているのは政だけである。何故なら此の宿泊施設は西南でも五本の指に入ろうほど立派な物だからだ。当然其れを建てたのは政であるが倭人は其れを良しとしている。
 そして此の宿泊施設で政達は天神帥升の謁見許可を得るため三日ほど滞在する事になる。勿論、此の三日と言う日数も異常に早い物だ。政ですら諸外国の王に謁見許可を出すのに一ヶ月は必要とするのだから其れを踏まえて見ても此れは異常なまでの速さと言える。それだけ天神帥升は政を大事にもてなしていると言う事である。
 そもそも天神帥升及び倭族自体が政達を奴隷とは思っていないのだ。だから、西南での作法はただ単なる昔の名残りと考える方が正しい。だが、此の名残が政を苦しめる。倭族が如何に政を奴隷として見ていなくとも此の名残が奴隷と言っているのだ。そして倭族も其の名残を正そうとはしていない。此れは倭族にとって、どうでも良い事なのかもしれない。だが、それが闇となり光を奪うのだ。
 宿泊施設の門前で従者が門を叩くと中の者が門を開ける。当然の事だが宿泊施設には常駐している者達が多数存在し、勿論の事だが此の者達は西南で生活をしている。
 では、此の者達に制限があるのかと言えば無い。否、此の者達だけが特別なのでは無く、此の西南には多数の他民族が生活をしている。只、殆どの者が召使や商人である。召使は倭人の世話をする事で給金を貰い、商人は食糧の加工や衣服を作ったり装飾品等を販売している。勿論此の者達も頭を上げて歩く事は出来ないが其れでも他国で働くよりは格段に待遇が良かった。
 では、政にだけ制限があるのかと言えばそうでは無く、只単純に大名行列で歩かれるのが迷惑というだけの事である。そもそも頭を下げて人前を大名行列で歩くと言うのも変な話である。此れでは単なる笑い物に過ぎない。だが、此の特別な道を通る事により、其の滑稽な姿を倭族以外の民に見られる心配が無くなる。政にとっては良き事であるが其れは見た目だけの話であり、根本的な解決にはなっていないと政は考えている。勿論解決などする必要が無いのだから政が慣れれば良いだけの話である。それに、政の様に月に何度も西南市に行く必要すらないのだ。否、年に一度行くか行かないであっても彼等は何も言わない。だから、そもそもの話、改善する必要性が無いのだ。
 勿論その事は政も心得ている。だが、実際来てみれば気分が良いとはお世辞にも言えない現実がここにある。なら、来なければ良いのだ。来なければこんな嫌な思いをせず始皇帝として威厳をたもっていられるのだ。だが、政には、政なりの考えがある。だから、月に何度も謁見しに来ているのだ。
「どうされました ?」
 門前で立ち止まったままの政を見やり呂范が言った。
「すまん、すまん。中に入ろうか。」
そう言うと政は従者を先に中に入れ、その後ろをついていく様に中に入って行った。
 宿舎に入ると政は何処による事もなく自室に向かい、そのまま次の日を迎える迄部屋からは出てこない。朝になり庭に出て少し日光浴をすると又部屋に戻り、それ以降は殆ど部屋からは出ず次の日を迎える。長旅の疲れなのだろうか、これがこの宿舎での政の過ごし方である。お陰で従者達もゆっくりと体を癒す事が出来るので有難い事だと思っている。ただ下っ端の従者は天神帥升の謁見許可を貰いに行かなければいけないので休む暇はない。
 城に向かうのに半日。其処で二日滞在して、三日目の朝に謁見許可を貰い半日かけて宿舎に戻る。そして戻れば直ぐに出発となる。この行って帰ってがかなりキツイ。だからと言って文句を言えば間違いなく地面から空を見上げる事になる。だから、フラフラになりながらも彼等は歩き続けなければいけなかった。其れでも城に着けば休息が与えられるので、今暫くの辛抱ではある。
 其れに半日かけてと言っても只歩き続ける訳ではない。途中には休憩所が多数設けてあり、政達は其処で二、三時間の休憩を挟んでいる。この様な休憩を挟んでの半日であるから実質は余り歩いてはいない。まぁ、余りと言っても楽なわけではないし、キツイ事に変わりはない。何故なら下っ端の従者は休憩の間であっても何かとやる事が多かったからである。其れにこの日は珍しく政はずっと呂范と話続けていた。話しながら歩いている所為かいつもよりも休憩の回数が多く無駄に従者は動き回らなければいけなかった。そして政が話している内容は全て八重御国の事である。
 さて、何故政がこれ程までに間者である呂范に八重御国の話をするのか ? 貴様は間者だと遠回しに言う事で尻尾を出さす為なのか、其れとも何か別の思惑があるのか ? 恐らく政の考えは後者の方である。呂范が間者だと言う事は先にも述べた様に既に確定しているのだ。なら、無駄に遠回しな事などせず、捕縛、拷問、処刑と言った流れの方が自然である。だが、政はあくまでも素知らぬ顔で呂范と接し自分の考えを呂范に伝えているのだ。さも、其れは自分達の仲間に即刻伝えよと言わんばかりである。
「では、始皇帝は天神帥升を担ぎ上げ、八重御国を攻めようと考えておられるのですか ?」
 呂范も政の内実を知ろうと探りを入れるが、其処は秦の王そうそう内実を見せたりはしない。だが、此処まで政治とは無関係の呂范にあれこれ話すと言うのはどうもふに落ちない。其れだけ信用されているのか、其れとも自分が間者と知って話しているのか ? 確かに呂范がそう考えるのは無理の無い話である。項雲大尉が八重御国に調査に赴き数多くの情報を持ち帰って来ているのだ。何より政は八重御国がこの国に間者を送り込んでいる事を知っている。
 自分が疑われているのか否か。いや、疑われているのなら今此処で始皇帝と言葉を交わしているはずがない。呂范は自分にそう言い聞かせ政を見やる。
「左様。我等が軍を総出で攻めても良いが未だ北には敵も多い。総出となるとその隙を突いて攻めて来るであろうからな。」
「なら、先ずは北を攻めるが先決では、ありませんか ?」
「勿論、北も制圧するつもりだ。だからこその倭族。その為に来たくもないこの場所に何度も来ておるのだ。」
「成る程…。其れで天神帥升は何と ?」
「正直、余り乗り気ではない。が、乗らざるを得ないだろうな。」
「何故です ?」
「儂が煽るからだ。既に不確かな存在は、確かな存在に変わった。後は切っ掛けが有れば万事上手く行くだろう。」
「其れで…。八重御国に攻め込むと。」
「その通り。」
「しかし、分かりません。」
「何がだ ?」
「何故そうまでしてあの国に執着されるのですか ?」
「前に言うたであろう。」
「前にですか ?」
「あぁぁぁ、確かに言うた。我等の上に立つ者許さず、とな。」
 又この台詞。呂范はこの意味が分からず困惑しているのだ。何故ならこの台詞からは政の意図が全く伝わって来ないからだ。百歩譲っても八重御国は秦国の上に立つ事出来ず。如何にとち狂った政治を行ったとしても秦国に攻め入るなんて馬鹿な事もしない。だから、八重御国は名前こそ立派だが秦国の上に立てる様な国ではない。

「恐れながら、その言葉は覚えております。しかし、私にはその言葉の意味が理解できません。その言葉はまるで…。」
「まるで ?」
「八重御国が上と言っている様に聞こえます。」
「儂とてそうは考えたくはない。しかし、あの国は未だに朝責すらして来ないではないか。上と見做さずとも対等でありたいとかんがえておるのではないか ? そうであろう呂范。否、サカヤラノツグネ…と呼んだ方が良いか ?」
 小さな声で政が言った。この言葉に呂范はピタリと動きを止め政は其れを静かに見遣っていた。

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