大臺神楽闇夜 1章 倭 3 高天原の惨劇 3
「皆よ…。集いし英雄達よ。今より戦が始まりよる。じゃが、勘違いしてはいけん。我等が目的は侵略者をこの地に止める事にありよる。剣を抜き戦う事を考えるな。罠に誘い打てば良い。其れ叶わぬ時は迷わず逃げよ。一人でも多く生き残り対向する力を保つ為じゃ。じゃからハッキリと言いよる。目の前で友が打たれようと、嫁が打たれようと、夫が打たれようと、其方が子が打たれようとも狼狽えるな。悲しむな。嘆くな。歩みを止めよったらその者も必ず打たれよる。良いか、此れは戦じゃ。人が死ぬは当たり前と考えよ。そして忘れるな。我等が戦うは我等の為ではない。此の先に産まれ来る子達の為に戦う言う事をじゃ。此の地は我等がもの…。守れその手で、必ず日は昇りよる。」
日が昇る少し前、美佐江は皆を集め言った。その口調は激しいと言うよりも寧ろ優しく淡々としたものだった。皆は美佐江を中心に円を描く様に腰を下ろしその言葉を聞いた。本来なら此れは吼比の役目なのだが既に吼比は戦死している。残っているのは数十名の存だけである。だから吼比と同職の美佐江がその役を担ったのだ。
美佐江は言葉を与えた後最終確認をした。指定した場所に食料を運んだのか。田畑は抜かりなく焼き払ったのか。集合場所は何処であるか。自分達がどの部隊であり各々の持ち場は何処なのか等である。その殆どは民に対してのものである。
兵士は玄人である。だから存がしっかりと理解していれば問題はない。だが、民は素人である。確認した所で不安である。だから美佐江は兵士と民を混ぜた部隊を基本とした編成を行った。
だが此れは非常に危険な事でもある。民が足を引っ張り部隊が全滅する危険が非常に高くなるからだ。だからと言って民だけで部隊を編成するには時間が足らな過ぎた。訓練するにも罠を仕掛けるだけで手一杯だったのだ。
だから勝利を優先する戦なら此れは愚策である。だが此度の戦は違う。時間を稼ぐのが目的なのだ。だから、勝たなくて良いのだ。
否…。
どう足掻いても勝てる要素が一つも無い。
否、あるにはある。其れは兵糧攻めである。敵の軍勢は民を入れて一万五千…。此れだけの大所帯の食料を確保すると言うのは簡単な事では無い。だから、美佐江は全ての田畑を焼き払わせたのだ。木の実や果物が実る木々も全て焼き払わせた。確保している食糧は全て遠く離れた場所に移動させたのも容易に奪われない様にする為である。
民はジッと美佐江の話を聞き襲い来る恐怖を必死に殺し続けた。既に逃げ場はない。船着場まで逃れオノゴロ島から迂駕耶に逃れたとして倭族から逃れられるわけではない。何より産まれ育った此の島を何もせず奪われる事が許せない。
と言って、別に好きで此の島…。高天原にいるわけではない。だからと言って何もせず侵略者に奪われたくはない。好きでいるわけではないにしろ島民には島民の思いがあり、多くの思い出が詰まった場所である事に変わりはない。
戦わねば奪われる。
英雄がいれば一万の兵等あっと言う間に倒してくれるのだろう。だが生憎その様な者はいない。天に祈り神が助けてくれるのらこれ程有難い事は無い。
だが神は平等である。
八重を助けるならその逆も然りなのだ。まぁそんな理屈を考えている者は既にいないし、天に祈る者もいない。
戦わずに殺されるか…。
戦って死ぬか…。
此の二択しか無いのだ。どうせ殺されるなら一人でも多く殺せ。一人でも多く殺せば必ず次に繋がる。だから此の三日間娘達は皆にそう言い聞かせ続けた。
敵の数は民を含め一万五千…。敵もいざとなれば民を兵士として戦場に投入してくるかもしれない。其れでも一万五千。此れ以上増える事はない。
だから一人でも多く殺せば迂駕耶での戦が有利になる。大神が到着すれば一万八千の兵が迂駕耶に到着する事になる。出雲の全兵力が迂駕耶に到着すれば六万の兵が倭族を迎え打つ事になる。どれだけ敵が強くとも数と兵糧の差で押し返す事が出来る。
だから今は時間が欲しいのだ。
一日でも長く引き留めたいのだ。
「皆よ。もう時期日が昇りよる。配置に付かれよ。」
「応 !」
と、答え。娘達を残し兵士と民は自分達の持ち場に向かって行った。
「娘達よ。我はこの場所にて指示を出しよる。其方らが鐘は三佳貞じゃ。」
「応 !」
「三佳貞…。此度の策は其方が案じゃ。必ず成功させよ。」
「応 !」
「開始の合図は銅鐸の音。早まってはならんぞ。」
「応 !」
「良い…。作戦開始じゃ。」
美佐江がそう言うと娘達もパタパタとその場を離れて行った。
其れから間もなく日が昇り始めた。倭族の王蘭泓穎は鎧に身を包み両腰に剣をぶら下げ弓を背負っている。其の姿は王と言うよりも寧ろ兵士其の者に見えた。つまり蘭泓穎は戦う気なのだ。当然其れ相応の実力を有している。何と言っても陽が手塩にかけて育てたのだからその強さは桁外れとも言える。三佳貞の攻撃を造作も無く避けれたのも、直ぐに反撃に移れたのも、其の後の余裕も全て、ハッタリでもなければ偶々でも無いと言う事なのだ。
第二砦に集まる兵士は大きく四つの隊に分けられている。三つの集落を同時に攻撃する為である。残る一部隊は居残りである。秦国の民を脱走させぬ為と言うのもあるが、八重の奇襲に備えてと言う部分が大きい。居残兵の数は約千である。
泓穎は自国から連れて来た馬に跨り少し高い場所に移動すると、其の場所から皆を見やった。各部隊の前衛には秦軍をその後ろに倭軍を置いた。四つの部隊に一人の大将軍と三人の将軍。大将軍は陽戒嚴(ようかいげん)将軍は宗躰儒(そうたいじゅ)汎紋亥(はんもんい)黄仙人(こうせんい)である。秦軍の大将軍は項雲。将軍は麃煎、楊端和(ようたんわ)である。
泓穎は居残り部隊に黄を置き左舷の部隊に宗、楊を右舷の部隊に汎、麃煎を置き自身の部隊に陽と項雲を置いた。項雲を自身の部隊に置いた理由は反乱をさせぬためである。日が海から完全に昇ると同時に各部隊は進軍を開始した。
倭軍、秦軍に関わらず将軍クラスの者と騎馬兵は馬に乗っている。馬の数は千と少し。出航の時は三千程いたのだが残念な事に食料になってしまったのだが、千頭残っただけでも奇跡である。
泓穎の部隊を先頭に各部隊は進む。泓穎は後方にいる事も守られる事も好まない。だから泓穎は当初全部隊の先頭に立つつもりだった。だが、此れは模擬戦では無い。模擬戦であれば陽も其れを許すが実戦で其れを許せる程お気楽では無い。何しろ蘭泓穎は今や倭族の王なのだ。だから無理矢理泓穎を部隊の中央より少し後方にした。泓穎はかなり反抗もしたが泓穎の部隊を先頭にすると言う事で無理矢理納得させた。
その所為で泓穎は機嫌が悪い。だが陽にしてみれば二度も王の首を取られるわけにはいかない。泓穎が不貞腐れようと知った事では無いのだ。
部隊はテクテク。テクテクと進む。
テクテクテクテクと進んで行くと分かれ道に差し掛かる。此処で部隊は三つに別れ各々の攻め入る場所に向かって行く事になる。泓穎達は真っ直ぐに進み。麃煎達の部隊はは右に曲がって行った。
平坦な道を暫く進むと自然と山道に入って行く。道と言える程整備されている訳では無いので進み難い。しかも木々が生い茂る山道は何とも不気味でもある。特に先での戦を経験している麃煎達にとっては気が休まらない。何処に罠があるかも知れないし、不意に襲って来る可能性もあるからだ。
だが、其れは取り越し苦労だった。
何も起きなかったのだ。風が木々を揺らす度に身構えていたが全て無駄に終わった。
「何か仕掛けて来るかと思ったんだが…。」
麃煎が言った。
「我等を山の中に誘い込みますか…。」
王嘉が言う。
「そうだとしたらどうする ?」
「焼き払います。そうすれば罠も一緒に焼けましょう。」
「成る程…。」
と麃煎は表情を曇らせる。
「浮かない顔をしておられる。」
麃煎を見やり王嘉が言う。
「そう見えるか ?」
「ええ…。」
「この先の事を色々と考えていた。」
「私もです。真逆帥升が殺されるとは…。」
「まったくだ…。先走った事を…。」
「まったく予想外でした。ですが、三子の娘が言った様に今は何も出来ません。下手に動くよりも従うが得策でしょう。」
「三子の…。三佳貞だったか ?」
「はい。」
「三佳貞は我等の話を伝えたと思うか ?」
「いえ…。」
「だな。」
「李禹の話から推測するに、此の島に八重の王はいないのでしょう。そして、我等には余裕がないと言った三佳貞の言葉。つまり此の島における兵力は極端に少ない…。にも関わらず迂駕耶からの増援は来ていない。」
「理解できんな…。本来なら迂駕耶に上陸させぬ為の防衛。この島に全兵力を集結させておっても不思議ではない。」
「兵力が乏しいにも関わらず帥升を殺し迂駕耶に向かう船を此の島に向けた。」
「其れは偶々だろう…。」
「かも知れません…。」
王嘉の声が少し曇った。
「腑に落ちぬか。」
「はい。確かに其処に帥升がいたのは偶々だったのでしょう。ですが、あの船は他の船と違い装飾が施された特別な代物。其処に船団の将がいると考えるは当然。」
「つまり ?」
「迂駕耶に向かう船を無理矢理此の島に向けた。」
「なんの為に ?」
「戦に向けての準備をする為でしょう。」
「足止めか…。二、三日止めた所で何も変わらぬ。無駄死にだ。」
と、麃煎が言うと王嘉はニンマリと笑みを浮かべ後ろでに振り返る。
「どうでしょう…。私には策がある様に思えてならない。」
「如何な策があろうと我等を繋がねば意味は無い。無駄に死に国を奪われるだけだ。」
「確かに…。だが、李禹を迂駕耶に向かわせるは困難。先の事でさへ危なかった。」
「矢張り勝負は迂駕耶上陸後か…。無駄に殺さねばならんとは…。何とも心が痛む。」
「その思い…。今は捨てねばなりませぬ。蘭泓穎は先王とは違います。武にたけ頭が切れる。始皇帝の策を最後迄反対したのが蘭泓穎だと聞いています。」
「そうだ。だからあの娘は着いて来たのだ。民を人質としたのもあの娘だ。」
「恐らく何かあれば始皇帝の命も危ない。」
「だから困っている。八重の王が我等を受け入れてくれれば良いのだが…。」
と、二人が話している間に部隊は平坦な場所にたどり着いた。木々の遮りがなくなったこの場所は日の光が強く麃煎達を照りつける。鎧を纏っている所為もありとてつもなく暑い。
左は高い丘、右は緩やかな斜面となっている。木と草が生い茂りその遥か先に海が見えた。視線を移動させれば第一砦が見える。
「のどかだな…。」
麃煎がボソリ。
「素晴らしい景色です。私達の国はあのはるか先なのでしょう。」
「そうだな…。」
と、麃煎が言うやその時…。斜面を転がる大きな音が響く。皆は驚いて後方を見やった。
大きな石が丘の上から何個も何個も転げ落ちて来る。
「な、なんだ !落石だ ! 進め ! 前へ !」
慌てて麃煎は叫び皆は全速力で走り出した。
石はゴロゴロ、ゴロゴロと落ちて来る。だが、其れは一定の場所からであり他の場所から落ちて来る気配はない。皆が急いで先に進むなか王嘉だけは立ち止まり其れを見やっている。
皆が走り去る。やがてその姿は秦兵から倭兵に変わって行く。倭兵はさして慌てる事なく進軍している。
「何を見ている ? ただの落石だろう。」
王嘉を見やり汎が問うた。
「いえ…。違いましょう。」
と王嘉は元来た道を戻って行く。その行動に興味を持った汎は王嘉について行く事にした。其れから直ぐに銅鐸の音が鳴り響いた。
「鐘の音…。どこからだ ?」
周りを見やり汎が言った。
「丘の上からでしょう。」
落ちて来た石を見やり乍ら王嘉が答えた。
「丘…。」
と、汎は丘の上を見やる。
「始まりの音…。我等が退路は断たれ敵は使命を果たす。」
「成る程…。」
と、汎は落ちて来た石を見やる。
大きな石、小さな石…。
落ちて来た石は汎達が来た道を見事に塞いでいた。
そして鳴り響く銅鐸の音は三佳貞達に迄届く。
「来よった…。合図じゃ。」
小舟に乗り待ち構えていた三佳貞達は船を出す。
「良いか…。一番沖の船じゃ。」
三佳貞が言った。
「分かっておる。」
船を漕ぎながら貞人耳が言う。
「じゃぁじゃぁ言いよるが近くの船でも同じじゃか。」
日美嘉が言う。
「近くじゃったら直ぐに兵士が来てしまいよる。良いか、一隻でも多く船を焼くんじゃ。その為には岸から離れた船を焼きよるんが一番なんじゃ。」
「成る程じゃ…。流石三佳貞じゃか。」
と、日美嘉は何回も同じ質問をし、同じ返答に何回も納得している。つまり興味がないのだ。興味はないが一番沖の船に迄行くのが面倒臭いのだ。日美嘉としてはサッサと大量の船を焼き払いたいのだ。何せ小さな船の移動速度は非常に遅い。其れが三百隻ある船の最後尾まで行かねばならないのだから此れは大変である。
「しかしもう少し早くなりよらんのか ?」
ブスっと日美嘉が言う。
「文句がありよるんじゃったら日美嘉が漕げば良いではないか。」
貞人耳が言い返す。
「クジで負けよったんは貞人耳じゃか。」
「まったく…。辛抱の足らん娘じゃ。」
春吼矢が言う。
「じゃから我は沖で待つ方がええいうたんじゃ。」
と、日美嘉が言ったが日美嘉は一度もそんな事は言っていない。
「五月蝿いじゃか…。沖で鐘は聞こえんじゃか。其れに遊びではないんぞ。既に此処は敵陣じゃ。」
何とも冷たい口調で三佳貞が言うとプイッと口をつぐんだ。
小舟はドンブラコッコ、ドンブラコッコと進んで行く。七人の娘を乗せた船がドンブラコッコ、ドンブラコッコ…。やがて小舟は一番沖に停泊している船に迄辿り着く。
だが、三百隻の船。縦一列に停泊している訳ではない。縦横にズラリと並ぶその光景は想像を遥かに超える物量である。
「はぁぁぁ…近くで見よると、何ともじゃか…。」
多間樹が驚いた様に言った。
「じゃよ…。ビックリじゃか。」
日美嘉が言う。
「此れを全部焼きよるか…。」
と、春吼矢が言うと三佳貞は”全部は無理じゃ。油も足りよらんし。砦の兵士も気づきよる。”と答える。
「確かにそうじゃな。」
「じゃから焼けるだけで良い。兵士が来よったら我等は退散じゃ。」
「分かりよった。」
「良い…。其れと確認じゃ。我等は船尾から登りよる。登りよったら戸がありよるから其処から中に入って火をつけよる。」
「適当に火をつけよるんは駄目なんじゃな。」
「駄目じゃ。直ぐに煙が上がってバレてしまいよる。」
「応じゃ。」
「其れから一隻でも多く船を焼き払いたい。じゃから単独行動になりよる。倭人は強いじゃかよ。じゃから戦う事を考えてはいけん。バレた時は逃げるんじゃ。」
「応じゃ。」
「良いか。最悪仲間が敵に囲まれよっても助けに行ってはいけん。」
「仲間を見捨てるじゃか ?」
「砦におる兵の数を見たであろう。助けに行きよっても二次災害になりよるだけじゃ。今は一人でも多く戻らねばいけん。」
「分かりよった。」
「じゃから無理はいけん。囲まれよる前に逃げるんじゃ。此れは絶対じゃぞ。」
「応じゃ。」
「良い。では先ず此の船は多間樹じゃ。」
と、三佳貞が言うと多間樹は鉤爪を使って船を登って行った。そして小舟は次の船に向かう。船に着くと又一人船に登って行く。其れを繰り返しやがて全員が船に登り終えると三佳貞が開始の鐘を鳴らした。
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