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大壹神楽闇夜 1章 倭 6敗走5

 厳しい冬が終わりを迎え、春を迎える準備が始まる。心地よい日差しに心を撫でる風が体を癒やしてくれる。何とも自然とは偉大であり、素直であり、唯一の現実であると若倭根子日子毘々(わかやまとねこひこおおびび)は思う。
 本来なら春の訪れを皆で祝うのだが、残念な事に此の二年はお預けのままである。来年は祝えるのか ? 不安は消えない。
 不安だから必死にもがき争う。

 だが、もう少し…

 もう少し…

 勝利は目前である。

 否、目前だからこそ不安になるのだ。
 と、若倭根子日子毘々(わかやまとねこひこおおびび)は巨木の幹に触れる。この巨木は若倭根子日子毘々(わかやまとねこひこおおびび)が生まれる前から此処にいる。安岐国の首都のど真ん中に立っている此の巨木は言わば八重国の歴史を知り尽くしている歴史其の物と言えた。
 歴代の大神は皆この巨木で遊んだ。若倭根子日子毘々(わかやまとねこひこおおびび)も父と一緒にこの木に登った。若倭根子日子毘々(わかやまとねこひこおおびび)も皇太子と一緒に登り都を見渡したりした。
 自分達だけでは無い。民も此の木を愛し子供達がよじ登っている姿を見てはハラハラしていたのを覚えている。毎日が楽しい日々であった。皆の笑い声が今も耳に残っている。
 皆が幸せに暮らせる国。其れが此処にはある。他国と違い裕福では無いが貧しくもない。着飾った着物は無いがボロでは無い。大神は冠をかぶらない。其れは誰かの上に立っているからでは無いからだ。つまり、大神は国の覇者では無い。民を守る為に存在しているのだ。

 だからこそ終わらせる訳には行かない。
 自分の代で八重国を滅ぼされる様な事があってはならないのだ。
 突きつけられた現実を前に国を守る事が民を守る事だと知る。

 後の子達を奴婢の子とせぬ為に…。

 若倭根子日子毘々(わかやまとねこひこおおびび)はソッと巨木を見上げた。
「大神…。」
 ふと誰かが呼んだ。若倭根子日子毘々(わかやまとねこひこおおびび)は後ろでに振り返る。
「亜樹緒(あきお)殿…。」
 亜樹緒は正子(せいこ)の月三子である。伊都瀬(いとせ)は若倭根子日子毘々(わかやまとねこひこおおびび)の軍にも卑国の軍を割り振っていた。この他、千鶴、八代、蒔絵、夢津美の組が若倭根子日子毘々(わかやまとねこひこおおびび)の軍に加勢している。皆月三子である。
「大吼比(だいくひ)達が出発しよった。」
「そうか…。」
 と、若倭根子日子毘々(わかやまとねこひこおおびび)の面持ちは不安を隠せないでいた。
「念の為別子(べつこ)の娘が偵察に向かったじゃかよ。」
「助かる…。」
「奇襲組はどうするんじゃ ? 伊都瀬(いとせ)達は都に戻したそうじゃが。」
「別子(べつこ)の娘が偵察に出たのなら戻しても差し支えはあるまい。其れに警備は少しでも多い方が良い。」
「分かりよった。」
 と、亜樹緒は皆に指示を出しに行った。亜樹緒は大吼比(だいくひ)が軍を纏め浜に向かったので大吼比(だいくひ)の代わりに都を警備する兵を纏める役を受け持っていた。だが、正直なところ亜樹緒には負担が大きかった。
 此の二年に及ぶ戦で多くの娘が死んで行った。月三子を担う娘も例外無く戦で命を落とした。次を担う娘達が急遽月三子に昇格しそして死んだ。だから、今いる月三子の娘は本来なら月三子になる予定が無かった娘達なのだ。吼玖利(くくり)も其の一人である。そして、軍隊を分けた事で月三子の数を増やした。だから、亜樹緒は月三子として此処にいる。
 大神は亜樹緒を信頼して軍を任せているが、亜樹緒には何故信頼されているのかサッパリだった。次の水豆菜(みずな)になれる娘だと皆は言うが、其れも亜樹緒には理解出来ないでいる。初めから月三子になる予定であったのなら分かるが月三子に昇格したのは偶々そうなっただけの事なのだ。其れに亜樹緒は水豆菜(みずな)の様な判断力は持ち合わせていない。水豆菜(みずな)は的確に判断を下し其れを実行する強さを持っているし、何より水豆菜(みずな)には万人隊長の神楽がいる。神楽は強いだけで無く水豆菜(みずな)を信用している。水豆菜(みずな)も又同じ。だから水豆菜(みずな)の鐘には必ず従うのだ。
 だから…。

 水豆菜(みずな)は強くいられるのかも知れない。

 我には…。
 負担しか無い。

 と、亜樹緒は皆の所に戻ると奇襲部隊を戻す様に伝えた。

「伊都瀬(いとせ)と同じ策で行きよるんじゃな。」
 蒔絵が言った。
「じゃよ。別子(べつこ)の娘が探りに行っておると言うのもありよる。」
「怪しい動きが有れば娘が伝えに来てくれるからな。」
 吼比(くひ)が言う。
「そう言う事じゃ。」
 亜樹緒が言うと吼比(くひ)は早速奇襲部隊を戻す様伝令兵を送った。
 と、皆は別子(べつこ)の娘に信頼を寄せているが其の実別子(べつこ)の娘はかなりトンマである。上手く紛れ込んでいる様で実はバレている事が多々ある。何故なら情報収集が本業では無いからだ。別子(べつこ)の本来の役目は罠を仕掛けたり暗殺したりである。上手く紛れ込めるのも八重国だからこそなのだ。確かに服装や髪型其の習慣に至る迄真似をするのだが、何せ娘達は良く食べるのだ。だから貧しい国にいれば自ずと浮いて見える。特に海を渡って来た者達はやせ細っている。其の中にムチムチの娘がいると言うのは可笑しな話なのだ。だから、秦の民に紛れて倭兵の行動を観察していてもバレてしまうのだ。だが、其の事に娘達は気づいていない。気づいていないから今回もムチムチのまま紛れ込んでいる。
 五人の娘達はコッソリ倭兵の行動を見やり、其の明らかにおかしな行動に娘達は首を傾げていた。
 炭となった大きな木に壊れた兜と鎧を着けて船に運んでいるのだ。矢避けの為かとも考えるが、だとしても鎧を付ける意味が無い。其れにヘリに置くならまだしも中央付近に置いているのだ。
「倭人は何をしておるんじゃ ?」
 岩陰に隠れ乍ら葉流絵が言った。
「分かりよらん。とうとう気が触れよったじゃか…。」
「かもじゃ…。」
「残念だが正気だ。」
 と、後ろで誰かが言った。五人はビクッと体を震わせ後ろでに振り返った。
「三子の娘か…。」
 綺麗な着物を着た娘が言う。
「ムムム…。其方は誰じゃ ?」
「妾は蘭樹師維  (らんうーしぃ)。帥升の妹じゃ。」
「…。し、知っておる。蘭樹師維  (らんうーしぃ)様。」
 と、五人は慌てて膝をつき頭を垂れた。
「白々しい…。秦国の娘のつもりか ?」
「何をおっしゃいます。我等は秦の民。其方様の民に御座います。」
「フン。そんな太った娘は秦国にはおらぬ。で、三子の娘が此処で何をしておる ? まぁ、何をしておろうと見てしまいよった以上殺すだけなんだがのぅ…。」
 と、蘭樹師維  (らんうーしぃ)はニンマリと笑みを浮かべる。娘達はチロリと周りを見やると既に周りは倭兵だらけであった。
「不味いじゃか…。」
 樹沙桂(きさか)が言った。
「抜かりよった。」
 と、五人はスッと立ち上がり周りを見やる。
「まったく…。バレておらぬと思うておったとはのぅ。」
「うるさい。大体あれを見たからなんじゃ ? あれを見てもサッパリじゃかよ。」
 と、船を指差し葉流絵が言った。
「サッパリ ? 何故分からぬ。偽の兵を乗せて出港するに決まっておるであろぅ。」
「え ?」
 と、五人は首を傾げた。
「何故首を傾げる ? 貴様らを欺く策だ。」
「其れは分かりよる。じゃが、炭は船を操舵出来んじゃかよ。もしや…。変な術を使いよるんか ?」
「真逆…。操舵は秦の民にさせよる。」
「成る程〜。そう言う事じゃか。」
「そう言う事だ。」
「じゃが其れでどうやって出雲を攻めよるんじゃ ?」
「出雲等攻めぬ。我等が攻めるのはあっちじゃ。」
 と、蘭樹師維  (らんうーしぃ)イラッとした表情で安岐国の都の方を指差した。
「あ〜。安岐国を攻めよるじゃか。」
「其れは一大事じゃか。」
「まったくじゃ…。危うく騙されよる所じゃぞ。」
 と、口々に言いながら蘭樹師維  (らんうーしぃ)を睨め付ける。
「さて、理解した所で死ぬと良い。」
「これこれ…。我等をみくびるで無い。」
 と、樹沙桂は手を広げ前に出した。すると残りの娘達も同じ様に手を広げ前に出して見せた。
「何のつもりだ ?」
「其方らにはありよらんのかも知れん。じゃが我等には特殊な力がありよるんじゃ。」
 と、言って娘達はジッと蘭樹師維  (らんうーしぃ)達を見やる。そしてあらぬ方向を指差し叫んだ。
「あ ! 坂耳帆梁蛾(サカミミボヤンガ)じゃ !」
 と、其の言葉に釣られて蘭樹師維  (らんうーしぃ)達は其の方向を見やってしまった。そして娘達は其の隙に猛ダッシュで逃げ出した。
「しまった ! 逃げられた ! 追え ! 殺せ !」
 蘭樹師維  (らんうーしぃ)が叫ぶ。倭兵達は全速力で追うが、娘達はまたしても馬を奪い走り去って行く。だが、今回は倭兵も本気で追いかけて来る。馬に跨り娘達を追って来た。しかも馬の扱いは倭兵の方が優れている。あれよあれよと言う間に間合いが狭まって行く。
「いけん…。追いつかれてしまいよる。」
「山じゃ…。山に逃げるんじゃ。」
 と、娘達は進路を山に向ける。山に入れば無数の罠が仕掛けてある。娘達は其れを利用するつもりなのだ。
 パカパカ…
 パカパカと娘達は駆けていく。
 ある程度開かれた山道ではなく敢えて獣道を進む。理由は其処に無数の罠が仕掛けてあるからだ。其れに険しい獣道に入れば流石の倭人と言えど馬に跨り乍ら弓を討つなどと言う芸当は流石に出来ないし、速さも鈍る。
 娘達は罠を避けながら馬を走らせる。幸いな事に追いかけて来る倭兵は高天原での戦を経験していなかった。だから、娘達が罠を避けて走っている事に気づかず馬を走らせた。其の結果地面に仕掛けた縄に馬が足を引っ掛け、ある馬は踏みつけた。
 其の刹那。何処からともなく竹槍が飛来し、振り子の原理を利用した竹槍が落ちて来た。其れにより数名の倭兵が餌食となるが、構わず倭兵は追いかけて来る。が、其の先に待ち受ける落とし穴に次々と倭兵が落ちていった。だが、勢いは止まらない。何せ数が多かったのだ。五人の娘を捕まえるのに三十人の倭兵が追いかけて来ているのだ。其れにベラベラと策を話してしまった以上逃げられる訳にはいかなかった。
 必死に逃げる娘達…。何とか倭兵を撒こうとするが、倭兵も馬鹿では無い。娘達が進む方向に罠がない事はケッタイな進み方をしている姿を見遣れば自ずと理解は出来る。そうなれば矢張り追いつかれるのだ。追いついた倭兵は剣を抜き斬りかかる。何とか必死に避けようとするが、馬上の戦いに不慣れな娘は簡単に横腹を突き刺され、別の倭兵に腕を切り落とされると馬から落ちてしまい後続からやって来る騎馬兵に踏み殺されてしまった。
「沙紗枝(ささえ)が…。」
「このままではヤバイじゃかよ…。」
「誰でも良い。大神に伝えるんじゃ…。」
「じゃよ…。後は任せよった。」
 と、最後尾を走っていた娘は馬の上に立つと倭兵目掛けて飛び掛かって行った。追いかけて来る倭兵は一人でも少ない方が良いと言う考えである。飛び付くと同時に合口で喉を突く。そして又別の倭兵に飛び掛かる。一人、二人と殺して行くが矢張り単調な動きは直ぐに読まれてしまう。飛び掛かる所を斬り落とされ、地面に落ちた所を数名の倭兵に槍で何回も突き刺された。
 先頭を走る葉流絵。其の次を走る樹沙桂を見やり菜央季は態と落とし穴の方に向かった。
「菜央季そっちは…。」
 樹沙桂が言う。
「後は任せよった。」
 そう言って菜央季は落とし穴に落ちて行った。菜央季の後を追っていた倭兵は釣られて落とし穴に落ちて行く。
「葉流絵…。」
「言うな。進むんじゃ。」
 と、葉流絵は獣道から山道に出る。獣道は走り難いが幅は無限である。時折大きな岩が邪魔をするが倭兵は難なく其れを避けて来る。罠も自分達が走る道を進まれては如何にもならない。だが、山道に出れば罠は無いが左は崖、横は斜面となっており幅も狭い。横に付かれる心配も少なくなる。だが、山道に出れば障害物が無くなってしまうので倭兵は弓を射って来る事になるのだが残念な事に其の考えは葉流絵には無かった。何故ならこの時はまだ八重国にも卑国にも騎乗物から矢を討つと言う戦法が無かったのだ。案の定倭兵は矢を射って来た。だが、騎馬民族では無い倭兵の弓は驚く程精度が悪かった。其のお陰で矢は飛んで来るが当たらない。葉流絵は一瞬焦りはしたが当たらない矢にシメシメと思いながら秘密の洞窟に向かった。
 秘密の洞窟は至る所にある。別子(べつこ)の娘達だけが知る洞窟で其の中は非常に入り組んでいる。其の洞窟を使い娘達はコッソリ他国に侵入したり、抜け道として利用したりしているのだ。だが、其の内部を知らぬ者は必ず迷う。だから、そこまで行けば倭兵を撒けると睨んでいるのだ。
 矢が飛んで来る中葉流絵と樹沙桂は必死に馬を走らせる。が、幾ら命中精度が悪くともいつかは当たる物である。数本の矢が葉流絵の駆る馬のオチリに刺さった。馬は其の痛さから転けてしまい葉流絵は地面に投げ出されゴロゴロと転がった。
「葉流絵 !」
 直様後方から走って来る樹沙桂が腕を出す。葉流絵は痛む体を無理やり動かし其の腕を掴んだ。グイッと力一杯葉流絵を引き上げ葉流絵は樹沙桂の後ろに何とか乗った。だが、其の所為で馬の速度は一気に遅くなった。其れは傍目から見ても一目瞭然である。だから、倭兵は弓を射つのを止めた。
 倭兵は斜面を器用に走り抜け葉流絵達の前に入ると速度を落として葉流絵達を囲み其の動きを止めた。
「此処までじゃか…。」
 葉流絵が言った。
「じゃな…。後は殺すだけ殺して逃げよるか。」
「うむ。隙を見てシャッじゃ。」
 と、葉流絵と樹沙桂は馬から降り合口を構えた。
「まだ、やるつもりか ?」
 倭兵が問う。
「当たり前じゃ。」
 と、樹沙桂はチロリと後ろを見やる。後は崖である。
「そうか。なら、我が相手をしよう。」
 と、倭兵が馬から降りて来た。葉流絵達は合口を構えながらジリジリと後ずさる。ガラガラ…。と石が崖から落ちて行く。
「余り我等をなめるで無い。」
 と、葉流絵がグッと腰に力を入れたその時…。葉流絵は思わず足を滑らせてしまった。其の瞬間咄嗟に樹沙桂の着物の裾を掴んだ。樹沙桂は不味いと踏ん張ろうとしたが樹沙桂も足を滑らせてしまいそのまま二人は滑落して行った。
「…。」
「…。」
「落ちて行ったぞ。」
「だな…。」
「どうする ? 止めをさしに行くか ?」
「否、死んだだろう。」
 と、倭兵達は其のまま帰って行った。
 

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