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大壹神楽闇夜 1章 倭 6敗走3

 八重国と卑国の主力船は葦船である。勿論高天原で使用した木造船も存在はしているが其れは未だ数が少ないと言えた。
 葦船は製造も簡単で見た目よりも頑丈であり、取り分け小回りが効くのも利点である。海に面した伊国にも葦船はあるが倭兵を迎え撃つだけの葦船は無かったので伊都瀬(いとせ)達は葦船を急造した。
 末国を制圧した蘭泓穎(らんおうえい)達は亀浜から出雲に向かう。となると蘭泓穎(らんおうえい)達は伊国の海を通る事になる。何を間違えても迂駕耶(うがや)をグルっと回って出雲に行く事はない。
 ただいつ蘭泓穎(らんおうえい)達が出雲に向かうのかが分からなかったので、海に監視船を停泊させ出来るだけ多くの葦船を作り続けた。
 倭兵の船がやって来たのは其れから二日後の事である。直に見やる其の船は非常に大きく立派な物であった。一隻だけでも往生しそうな船が数百隻…。大きな島が動いている様に見えた。
 正直其の存在感に気圧されそうになる。だが幾ら船が立派であっても乗っている者は餓死寸前の兵士達である。

 負ける訳がない。

 亥舞瑠(いまる)は強い眼差しで船を見据え銅鐸を鳴らす。其れを合図に皆は弓を構えた。

 そして…。

 船の上から数人の男達が此方に向かって両手を振り何かを叫び始めた。

 何 ?

 亥舞瑠(いまる)は其の者達をジッと見やる。
「我等は兵士ではない ! 秦国の民だ !」
 男達はそう叫んでいる。だが、遠巻きからも鎧を着た兵士達が見えている。
「伊都瀬(いとせ)…。此れはどう判断すべきじゃ ?」
 亥舞瑠(いまる)が問う。

「構わぬ…。放て。其れで分かりよる。」
 と、伊都瀬(いとせ)が言ったので亥舞瑠(いまる)は銅鐸を鳴らした。そして大量の矢が放たれた。叫んでいた男達は矢の餌食となり絶命した。だが何故か兵士達はびくともせず同じ場所に立っている。
「止めろ ! 此処に倭兵はいない !」
 別の船に乗っている男が叫ぶ。
「我等はただの民だ…。」
 別の船の男が叫ぶ。
 此れは何とも奇妙な光景であった。矢が刺さっても死なず、反撃もしてこない倭兵に、秦国の民だと叫ぶ男達…。
「誰でも良い。偵察に向かわせよ。」 
 と、伊都瀬(いとせ)が言ったので、亥舞瑠(いまる)は銅鐸を鳴らし娘達を偵察に向かわせた。
 娘達はナンジャラホイじゃと言いながら敵船に向かうと上から紐が投げ下ろされた。娘達は紐をつたい甲板に辿り着くとその何ともな光景に開いた口が塞がらなかった。
 兵士だと思っていた者の正体は炭に壊れた鎧を付けたダミーだったのだ。そのダミーが無数に配置され秦国の民だと叫ぶ男達は船を動かしていただけなのである。
「な、なんじゃか此れは ? 倭兵は何処におるんじゃ ?」
「だから、倭兵は此処にはいない。」
「なら、どの船におるんじゃ ?」
「どの船にもいない。奴等はあそこだ。」
 と、男は伊国を指差した。
「やられた…。」
 と、娘達は大慌てで船から降りると葦船に乗って伊都瀬(いとせ)の下に向かった。
「伊都瀬(いとせ)…。此れはヤバイ状況じゃか ?」
「で、あろうな…。」
 娘達のその慌て振りが尋常でないのは明らかである。

 つまり…。

 してやられたのだ。

「伊都瀬(いとせ)大変じゃぁ ! 此処に倭兵は一人もおらんじゃかよ。」
 娘が叫ぶ。
「なら、倭兵は何処じゃ ?」
 伊都瀬(いとせ)が問う。
「伊国じゃ !」
「伊国 ! なんと…。三国の兵を残して正解だったか。」
 巴国の神が言った。
「何を言うておる。全兵力を伊国に向かわせよったんなら三国の兵力では足らんじゃかよ。」
 伊都瀬(いとせ)が言う。
「だったらどうするんだ ?」
「先ずは青粉じゃ…。葉月 ! 青粉を上げよ。」
 と、伊都瀬(いとせ)が言ったので葉月は娘達に青粉を上げる様に言った。
「青粉 ? 青粉を上げてどうするんだ…。」
 出国の神が問う。
「合図じゃ…。既に遅いかも知れんがのぅ。何にしよっても我等は急いで戻らねばいけん。」
「そうだな。」
「じゃが其方の軍は此処に残られよ。」
「ん… ? 何を言うておる。」
 巴国の神が聞き返す。
「言葉の通りじゃ。」
「我の軍を愚弄する気か ? 其れは幾ら伊都瀬(いとせ)殿であっても聞き捨てならんぞ。」
「まったく…。何を勘違いしておる。倭兵がおらぬと言うても全ての船を調べた訳ではないであろう。其れに此の数百隻の船を態々返してやる必要もない。」
「成る程…。流石伊都瀬(いとせ)殿。転けても掴んだチンコは離さぬと言うだけの事はある。」
「じゃよ…。秦国の民は出雲に連れて行ってやると良い。船は解体して砦を作るのに使うのじゃ。」
「分かった。だが大丈夫か ? 幾ら餓死寸前だと言っても全てを捨てて向かってくる敵は手強いぞ。」
「じゃよ…。既に伊国は陥落しておるかもじゃ。じゃから尚更船を倭人に返す訳にはいかんのじゃ。船がありよる限り出雲侵攻の恐怖を断つ事は出来よらん。…まぁ、何れ新たな船を作りよるじゃろうが刻は稼げよる。」
「そうだな。なら、此の役目は誇りとして引き受けよう。だが、伊都瀬(いとせ)無駄死にだけはするな。」
 と、巴国の神が言うと伊都瀬(いとせ)は一度頷き兵を伊国に向けた。
 そして肝心の伊国はどうであったのかと言うと伊都瀬(いとせ)達が出発してから直ぐ倭兵の奇襲に備え都の警備を固めていた。
 三国の兵と二組の兵の合計は二万弱である。対する倭兵秦兵の数は二十万強。その内半分は不国にいるので実質的な数は十万程である。その内半分を海軍に持って行ったとして残るは五万。本来なら勝ち目の無い戦いだが相手は餓死寸前の兵士である。其れに此の二年に及ぶ戦のお陰で八重の兵も娘達もかなり戦慣れしている。既に初めて対峙した時とは別物と言っても過言では無い。其れに徴兵した若者も今では立派な兵士にへと成長している。

 だから…。
 踏ん張れる。

 水豆菜(みずな)はそう確信していた。
 出雲侵攻が失敗に終わり、伊国侵攻も失敗となれば後は本国に帰る道しか残されていないのだ。だから何としても死守しなければならない。
 だが、何事も無く一日が終わった。此の何も無く終わる一日が更に緊張感を高めていく。日が沈んでもグッスリ眠る事もままならなかった。流石に神経の太い神楽でさへこの日は目が冴えていたほどである。だが、気がつけば眠っていた。傍には吼玖利(くくり)がスヤスヤと寝息をたてている。やがて緩やかに日が昇り始めると神楽は其れに合わせる様に目を開けた。
「いけん…。寝てしまいよったじゃかよ。」
 と、神楽は周りを見やる。焚き火の周りには多くの兵士達が眠りについていた。そして既に敵襲に備えている兵士もいた。
「まだ敵は攻めて来ておらんじゃか…。」
 と、其の刹那。空気の流れが変わるのを感じた。神楽は咄嗟に吼玖利(くくり)の上に被さり近くにいた兵士を盾がわりに自身の身を守った。

 其の直後…。

 城壁の外から無数の矢が飛来して来た。城壁近くにいた神楽は此の咄嗟の行動により難を逃れる事が出来た。
「な、なんじゃ…。どうしたんじゃ。」
 目を覚ました吼玖利(くくり)が問う。
「敵襲じゃ…。」
「て…。」
 と、地面に突き刺さる矢を見やり吼玖利(くくり)は神楽の身を案じた。
「神楽…。矢が。」
「我は大丈夫じゃ。其れより鐘じゃ。」
「何を言うておる…。矢が…。矢が一杯刺さっておるじゃかよ。」
「心配せんで良いと言うておる。」
 と、神楽は盾がわりにした兵士を地面に落とすとムクリと立ち上がった。吼玖利(くくり)は其れを見やり言葉を失った。
「吼玖利(くくり)此処は危険じゃ。取り敢えず中央に集合じゃ。」
 と、吼玖利(くくり)を立たせてやると二人はパタパタと走って行った。吼玖利(くくり)はパタパタと走り乍ら鐘を鳴らす。皆を中央に集める為である。そして此の鐘の音を聞き水豆菜(みずな)も敵が攻めて来た事を知る。そして更に矢の雨が天から降り注ぐ。
「まったく…。どうなっておるんじゃ。高見台の兵は寝ておるんか。」
「まったくじゃ…。じゃが此れは不味いじゃかよ。矢が四方から飛んで来ておる。」
 吼玖利(くくり)の言う通り矢は都を取り巻く様に飛んで来ているのが分かる。
「既に囲まれておるじゃか…。」
 と、神楽は中央部に辿り着くと耳を澄ませた。

 コーン 
 コーンと鐘が鳴っている。

「吼玖利(くくり)…。我は水豆菜(みずな)の所に行きよる。」
「応じゃ…。」
「死ぬでないぞ。」
 と、言うと神楽は大急ぎで水豆菜(みずな)の下に駆けて行った。
 神楽が水豆菜(みずな)の所に辿り着く頃には矢の雨は止んでいた。だが、其れは終わりでは無い。本番は今からである。
「まったく…。高見台の兵は何をしておるか !」
 水豆菜(みずな)が叫んでいる。
「水豆菜(みずな)…。」
「神楽…。無事じゃったか。」
「応じゃ。」
「状況は分かりよるか ?」
「既に都は囲まれておるじゃかよ。」
「なんと…。易々と囲まれてしまいよるとは…。高見台の兵は寝ておったじゃか。」
「高見台の兵は皆殺されておるじゃかよ。」
 慌てて戻って来た娘が言った。
「はぁぁぁ…。殺されておるじゃと ?」
「矢で射抜かれておるじゃかよ。」
「矢で…。泓穎(おうえい)じゃか。あのブスが。」
 と、水豆菜(みずな)は周りを見やる。
「水豆菜(みずな)…。敵が城壁を登って来ておる。」
「城壁を…。その為に矢を放ったか…。」
 と、水豆菜(みずな)は鐘を鳴らす。弓兵が弓を構え城壁を登って来る敵を射抜き始める。が、敵の動きは止まらない。ドンドンと城壁を越えて来る。
 吼玖利(くくり)も鐘を鳴らし何とか侵入を防ごうとするが伊国の都は小じんまりとした都では無く無駄に広い。無駄に広いから四方の城壁を越えて来られるとかなりの場所が手薄となる。しかも四方から攻めて来られると自ずと戦力が分散されてしまう。現に水豆菜(みずな)も吼玖利(くくり)も氷室の軍も都国の軍も伊国の軍も皆バラバラに動いている。
 水豆菜(みずな)は何とか皆を集めようと考えるがその様な余裕は無い。手薄になっている場所からは既に大量の倭兵秦兵が攻めて来ているのだ。
「水豆菜(みずな)…。どうするんじゃ ? このままじゃと。」
 迫り来る敵を薙ぎ払い乍ら神楽が問う。
「分かっておる。兎に角中央の高見台に行くのが先決じゃ。」
「分かりよった。なら、我が道を作りよる。」
 と、神楽は神楽無敵部隊を集め高見台迄水豆菜(みずな)を護衛する事にした。だが、敵の攻撃は苛烈である。既に倭人である驕りなど微塵も無く。皆が皆捨身で掛かって来ているのだ。
 倭人達にとって此の戦に負ければ次は無い。伊国を陥落させられなければ本国に帰るしかないのだ。

 だが…

 其れは絶対に出来ない事である。

 倭人として…。
 倭族は絶対でなければならない。戦に負けて帰るなどあってはならないのだ。だから、皆死にもの狂いで攻めて来る。その勢いは凄まじくやがて都の門が開け放たれると本隊が突入して来た。
 こうなると戦力が分散されている八重軍にとっては非常に不利な状況となる。本来なら一旦後退して戦力を集中させるべきなのだが、四方を囲まれている状況では後退しようにも後退する場所がないのである。
「水豆菜(みずな)…。もう少しじゃ。」
 中央の高見台を見やり神楽が言う。
「じゃな…。神楽、援護宜しくじゃ。」
 と、言うと水豆菜(みずな)は高見台迄駆けて行った。
「皆よ ! 水豆菜(みずな)を守るんじゃ !」
 神楽が叫ぶ。そして水豆菜(みずな)は高見台に辿り着くと其れをよじ登り周りを見やった。
 何とも夥しい数の兵が周りを取り囲みゾクゾクと城壁を越えて来ているのが分かる。其の数は五万なんてものではない。否、寧ろ全兵力を持って攻め込んで来ている様に見える。
「どうなっておるんじゃ…。」
 と、水豆菜(みずな)は海戦が行われているであろう場所に目を向けた。
「青粉…。」
 その場所から上がる青粉を見やりボソリ。
「こっちが本命じゃったか…。」
 と、慌てて高見台から降りると水豆菜(みずな)は力強く鐘を鳴らした。南東に迎えの合図である。
「水豆菜(みずな)…。どう言う事じゃ ?」
 神楽が問う。
「此れは罠じゃ。倭人は全兵力を伊国に向けておる。」
「出雲ではないんか。」
「じゃよ…。兎に角此処を離れねばならん。此処にいては全滅ぞ。」
「分かりよった。南東じゃな。」
「兎に角皆を…。」
「我が伝えに行きよる。」
 と、神楽はパタパタと駆けて行った。
「ちょ…。神楽 !」
 と、水豆菜(みずな)が呼び止めるが神楽は無視して行ってしまった。
「まったく…。まぁ、良い。兎に角皆よ。バラけた戦力を集めるのが先じゃ。津国、伊国、都国の軍を此処に…。」
 と、水豆菜(みずな)は更に鐘を鳴らした。

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