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大壹神楽闇夜 序章 奴隷の王

 数百年続いた戦乱の世が終わりを告げると久方振りの平和な世が訪れた。唯、此の戦が数百年続いたと言われても始皇帝となった政にとっては高々数十年程度の事である。此れは政だけではない。皆が皆高々数十年なのだ。戦乱の世に生まれ其れが終わっただけの事である。殆どの者が事の起りなど知らず、只々時代に翻弄されていただけの事である。
 其れでも平和が訪れたのは良い事である。然れど政には納得出来ない事がある。其れは自分が真の皇帝ではないと言う事だ。真の王…。否、古の頃より此の地に君臨する神。倭族、倭人である。その昔彼等は、自分達を絶対的支配者とし、其れ以外の人間を全て奴隷とみなした。しかも其の歴史は長く三千年とも五千年とも言われている。本当か嘘か。その後、奴隷が反乱を起こし倭人は神となり、奴隷は解放され倭人の代わりに統治する事を許されたのだと言う。そして其が今も続く何とも言えない此の国の闇である。
 政にとって此のとんでもなく馬鹿げた話は唯の絵空事に過ぎない。どう言った経緯で倭族が神になり祖先が奴隷にされ解放されたのか…。そもそも倭族とは一体何なのか ? どの様な事があり他民族を奴隷に出来たのか ? 何がどうなってそうなったのか、今となっては分かるはずもない。だが現実として彼等は存在し神として君臨している。だから政が成し遂げたのは天下統一であり覇者ではない。だから秦国の始皇帝ではなく秦代として天煌国を治める天神帥升の代に政治を取り仕切る者なのである。
 しかも倭人は戦乱の世であってもしっかり税は納めさせ悠々と生きていた。民が苦しみ餓死しようと彼等には関係のない事なのかも知れないが、此れでは奴隷として使われていた時代と何も大差がない。其でも多くの…。否、ほぼ全ての民は倭人を神として信仰し崇めている。政から見れば滑稽でも崇めている者達に取って此は重要な事なのだ。存在が分からぬ神では無く、目に映る神。不確かなものを崇めるよりも確かなものを崇める方が良いと言う事だ。だが、残念な事に倭人は神では無く人である。少なからず政の目にはそう映っている。
 彼等の頭に角はなく、尻尾もない。当然立派な羽も無い。其れどころか飯も食うし、酒も飲む。そしていつの日か彼等にも死と言うものが訪れる。政の認識が間違っていなければ間違い無く彼等は人である。
 政は馬車に揺られながら溜息を吐くと右横の従者に視線をむけた。溜息の理由は政が天煌国の首都西南市に向かっているからだ。此の西南市は倭人が住む神の領域である。要するに特別な場所という事だ。だから当然誰でも彼でもが西南市に入れるなんて事はない。首都西南に入る事ができるのは、税を納めに来た使いの者、西南市で商いをする者と天下を納めた者だけである。勿論同行させている従者も入る事は許されるが謁見できるのは今であれば政だけである。
 従者は馬車の速さに合わせ乍ら馬を歩かせている。凛とした男で政は彼の事を気に入っていた。だが、彼は間者である。名を呂范(ろはん)としているが天煌国の者ではない。其れは政も承知の上であるが、呂范は其れを知らない。
 勿論政も鼻から知っていたわけでは無い。呂范が間者だと知ったのは二年ほど前の事で、此れは政が天煌国を統一してからの事だ。統一後周代から搾取した文献からとても興味深い内容を見つけたのだ。朝鮮から南に下った場所に島があり周代はその場所を属国にしていたと言うのだ。勿論この内容は数百年も昔の内容である為信憑性に欠ける物である。其れに残された文献は余りにも古く読み解く事が出来ない箇所も多く存在した為、何とも言えないと言うのが本当の所であった。此れを倭人の王である天神帥升に問うてもみたが、何ぶん数百年も昔の話。既に忘れ去られていると言った方が早かった。其れに朝鮮を南下するとなると必然的に船が必要となる。だが、これ迄船を必要としなかった秦国にとって此れは大きな課題となった。其処で政は燕と斎の民であった者の中から造船、航海の技術を持った者達を集めた。何とも真実性に欠ける内容だが、文献に書かれている事がもしも真実であったなら素知らぬ顔でやり過ごす事は出来ない。何しろその古の地は天煌国の属国なのだ。周代の力が弱まりその影響力が無くなったとはいえ属国は属国である。例え何百年経とうと其は変わる事がない。否、寧ろ周代の力が弱まった時代であっても他民族国家や遊牧民でさえも朝責を行っている。それ程倭人の影響力は絶大なのだ。
 其がどうだ、古の国は周代の力が衰えたというだけで朝責を行わず、何百年も素知らぬ顔をしている。此の行いは他の国々では考えられない事である。何故なら周代の力が衰えようと其は周代の力が弱まっただけであり、天煌国の力が弱まった訳ではない。否、言い方が悪い。周代が治めていた場所は天煌国の一部に過ぎず、其の多くは分散して多くの民族が国家を形成し治めているという方が正しい。要するに此の世界全部が天煌国なのだ。そして倭人は偶々此の場所に首都を置き住んでいると言うだけである。だから古の国は周代の属国であり天煌国の属国ではない。何故なら
古の国は既に天煌国の一部だからだ。だから周代の力が弱まろうと弱まらなかろうと天煌国に朝責を行うのは当然の事だと言える。しかし、文献から推測するに、古の国は天煌国に朝責していたのではなく周代に朝責していた。要するに周代は天煌国に朝責していたが、古の国は天煌国には朝責していなかった事になる。と、なると古の国は天煌国も周代も同じ国として認識していたのかも知れない。だが、だからと言って其で良しと言うわけではない。何故なら世界の国家は全て倭族の物であるからだ。
 しかし、既に世界を掌握し神となった倭人に統治と言うものは必要なく。統治を必要とするのは倭人以外の部族である。だから、態々倭人が直接朝責を行う様に伝えに行く事はない。他国を侵略し、新たな地を開拓征服するのは倭族以外の部族の役割である。だから、領地争いに明け暮れどれほど長い年月を費やし戦争しようとも倭族は何も言わず坐している。その理由は矢張り彼等が神であるからだ。だから、古の国が真に存在するのであれば、天煌国の存在を伝え朝責を行わさせるのも他部族の役目である。勿論その国を侵略しようと友好関係を結ぼうと其は政の自由である。
 政は法等の整備を行いながら古の地に赴く計画をちゃくちゃくと進めて行った。勿論、此れには莫大な予算と労働者が必要となったが、戦争を仕掛けに行くわけでは無いので、大量の船を作る必要も必要以上に頑丈な船を作る必要もなかった。又、労働者も一から船を作る手間を省く為に古い船を改修する程度に留めていた。
 さて、古の島に行く準備が整っていく中、燕の民であった男が政に文献を献上してきた。男は政が古の国に興味を持っているという事を聞き家にあった古い文献を持ち出してきたのだ。勿論政の為などでは無い。自分が褒美を貰いたいそれだけの事である。
 謁見が許された男は政の前で膝まずき文献を渡した。政は”此れは何か ?” と問うと。男は迂駕耶(ウガヤ)について書かれている物だと言った。
「迂駕耶? 其れは何であるか。」
 政が問うた。
「古の国であります。」
「古の…。成る程。其の島はウガヤと言うのか。」
「はい。」
「其れでなんとかいてあるのか。」
 昔の文字で書かれていたので政には読めなかった。
「はい。文献には初めて迂駕耶に着いた周史の事が書いて有ります。」
 男がそう言うと政は体を乗り出し”其れで何と書いてある。”と、文献を男に手渡した。男は文献を受け取ると其を開いた。カタカタと竹がこすれる音が微かに聞こえる。竹簡に書かれている文献は非常に嵩張るもので、男は無駄に体を動かし文献を広げた。其から一度咳払いをし胸をはって見せた。
「では読み上げます。ーその島は静かで目立った物は無く、人工的に作られた物が所々に散乱しているが其れは乏しく粗末である。島を暫し歩くと体に布を巻いた男を見つけた。靴は履いておらず巻いている布も又汚れていて異臭が漂っていた。男は暫く何かを拾い集めた後、何処かに向かって歩き始めた。我々は乞食だと思っていたが此の島で初めて見つけた人である。男が何処に行くのか後をつける事にした。
 男の後を追っていくと異臭が強くなっていく気がした。其れは先に進むにつれ酷く鼻を指すようになる。我々は布やマントで鼻を押さえ付いて行くが男は気にする事なく歩いていた。
 やがて其の異臭は我々の想像を超える物となり…。」
 と、男は怪訝な表情を浮かべ文献を読むのを辞めると勝手に黙読に変えた。
「其で終わりか ?」
 訝しい顔で政が問う。
「いえ。」
 黙読を辞め男は政を見やった。
「なら何故辞める。」
「恐れながら。」
「良い。答えよ。」
「これ以上の内容はあまりにも酷く。読むに値せぬかと。」
 そう言うと男は頭を垂れた。
「良い。頭を上げ続きを読まれよ。」
 政がそう言うと男は渋々頭を上げ文献を見やり読み始めた。
「目が痛みだしまともに開けている事が困難になった。其でも男は平気な様子で歩き続けた。其から間も無くの事である。我々は其なりの大きさを持つ集落に辿り着いた。
 集落の周りには壁や城壁といった物はない。其の代わりに糞尿を周りに敷き詰め壁のようなものを形成させていた。異常なまでの臭気の原因はこれだったのだ。我々は暫く遠目で観察する事にした。
 乞食だと思っていた男は乞食では無く奴婢であった。乞食のような男女が独特な衣装を身に纏った男に使われている所を目撃したからだ。其からもうしばらく観察していると、彼らの文明、文化が如何に劣っているのかが分かった。
 集落を形成している大部分は奴婢であり、其を従えている民族は見る限り少数である。しかし、武器と呼べる物を彼らは有しておらず鈍器のような物で彼らを服従させている。彼らの中には厳格な身分制度があるようだ。しかし、見た所其は単純に強さである様に思えた。此の身分制度は奴婢の中にも存在していた。取り分け身分が低いのは女性である。其の次に貧弱な男性といった所である。
 女性に至っては奴婢でないにも関わらず扱いは奴婢と同様な扱いを受けている様に見えた。我々は余りの文明の低さに落胆した。そして、この地を侵略するのか征服するのかに思案した。しかし、我々が目にしたのは足った一つの集落を発見したに過ぎず。更なる調査が必要であるのも確かである。」
 此処まで読み男は文献を閉じた。
「其で全部であるか ?」
「はい。」
「成る程。迂駕耶の民か。文明は兎に角其処に人がいると言う事は確かな様だな。」
「はい。しかし始皇帝…。」
「どうした。続けよ。」
「恐れながら。此の迂駕耶と言う国は其の…。」
 と、男は言葉を飲み込む。下手に言葉を挟めば首が飛ぶと言う事を男は知っている。だから、滅多な事は言えない。
「構わぬ。其方の意見は重要である。首跳ねる事はせぬ。此処で其を誓おう。」
「はい。其では。」
 と、男は政を見やり覚悟を決める。何故なら始皇帝の言葉ほど当てにならぬ物はないからだ。
「其の迂駕耶と言う国ですが、大量の予算を投じてまで行かなければならぬ場所でありましょうか。私にはなんの得もない場所に思えます。」
  そう言い終わると男は強く目を瞑った。
「そうか…。なら逆に其方に問おう。其の文献はいつの時代のものか ?」
「いつ ? でありますか。恐らく数百年前のものと思われます。」
 男は強く目を閉じたまま答えた。
「そうであろう。其方は知らぬかも知れぬが。他の周代の文献には其の国から朝責を行わせていたとある。もしも、其れが事実であるのなら朝責には必ずそれ以上の見返りを送るが常である。と、なれば其の国は我国の文明、文化を吸収していると言う事になる。其から数百年。文明、文化は進化はすれど、退化する事などはない。そうなると既に其の国は侮れぬ大国になっているやも知れぬ。」
 政がそう言い終わると男はそのまま頭を垂れた。政は男を見やったまま”其方が持参した文献は非常に価値有る物である。褒美を貰われよ”と、政が男に言うと、男は非常に良い顔をしてもう一度頭を垂れた。政は男の姿を見やり褒美を与え城を去らせた。其からすぐに政は計画の最終調整の為項雲大尉を城に呼ぶ様に伝えた。
「所で丞相諸君に聞くが、迂駕耶をどう思う ?」
 竹簡を広げ読めぬ字をジッと見遣りながら政が問うた。丞相達はその問いに対し順番に自分たちが考える意見を述べた。
「文献の内容は数百年前の代物。今は一つの国家となっているやも知れませぬ。」
「確かに。もしそうであるなら我等は先ず国を安定させるが急務。」
「しかし、その国がどうであるかは想像でしかあらず。何方にせよ内部調査は必然でありましょう。」
「調査であるなら船の数も差して必要とせず。小振りな船が好ましく人員も少数で済みましょう。」
「これであれば秦国の安定を疎かにせず進める事ができます。攻めるせめぬはその後で良いでしょう。」
「其に迂駕耶なる国を侮るは危険。しかも海を渡り攻撃なれば、我等が不利は必然であります。彼国が強大であれば友好国とするも一つの選択でありましょう。」
 と、それぞれ丞相が意見を述べながら議論を交わし、政は口を挟まずジッと彼等の意見を聞きやった。何はともあれ先ずは調査である。其に今更反対意見が出てきても既に遅い。
「我等が不利か…。確かに迂駕耶が強大な国に成長していたのならそれもあり得る。その時は友好を結べと ?」
 丞相を見やり政が言った。
「いえ、其れはあくまでも一つの手段に御座います。我等が拠点となる場所が有れば其処を中心に攻めれば良い事。」
「成る程…。項雲大大尉には其れも踏まえ調査させる事にしよう。」
 そう言って政は竹簡を閉じると丞相に其れを渡した。

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