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日本の美術 南画の魅力

   佐野市立吉澤記念美術館で、日本の美術の「南画」を取り上げた展示会が2つ企画されている。
 1つは栃木県生まれの「石川寒巌」展 1月20日~3月3日
 2つ目は「のんびり南画さんぽ」展 3月16日~5月12日/5月25日~7月7日
 

    南画フアンとして嬉しい企画展で、楽しみにしている。
 美術館の企画展のPRを兼ねて、南画の魅力を紹介しよう。

私の家の床の間の部屋

 私は、南画作品に囲まれた生活を楽しんでいる。襖絵や床の間の掛軸の作品は南画である。戦前までの住宅は、好んで襖絵や掛軸に南画家の作品を取り入れていた。
 特に北関東には、著名な南画家が活躍し、多くの門下生を輩出した。
 足利の田崎早雲(1815-1898)、舘林の小室翆雲(1874-1945)、佐野の王欽古(1830-1905)、古河の奥原晴湖(1837-1913後年は熊谷)等の作品がもてはやされた。
 今回の美術館の取り上げた石川寒巌(1890-1936)は小室翆雲の弟子である。

奥原晴湖の作品

・南画とは
 現在の日本美術界にあっては、南画は死語になっているかもしれない。
 中国の元・明の絵画である南宗画(なんしゅうが)に影響を受け、日本で18世紀半ば(江戸時代後期)に興った一つの画派をいう。
 特に江戸時代後期に幕府御用絵師として君臨してきた狩野派に対して、新しい表現や自由な創作を求めて、中国の絵画を独自に学んだ人たちから生まれた画派である。
 江戸時代末期に活躍した池大雅や与謝蕪村が南画の大成者といわれ、その後、浦上玉堂、谷文晁、渡辺崋山と日本画の歴史に残る画家が活躍した。幕末から明治維新にかけて、衰微する狩野派を横目に、南画は大流行し全国各地に広まっていく。 
 南画の特徴といわれるのは、根底に流れる思想があること。中国の文人画の考え方に由来し、優れた絵画は優れた精神、人格によって生み出されるという考え方で、絵の外形よりも画家の内面や精神を重視するというものであった。
 もう一つは詩書画一致というもので、南画には画中に詩が書かれていることがあるが、詩とそれにふさわしい書体、詩の世界の絵画化、これが調和しているのがよい絵画であるといわれる。
 しかし、美術界も変動の激しい時代の中で盛衰が繰り広げられ、明治15年の近代日本画の育成に尽力したアメリカ人、フェノロサの美術に関する講演の中で、南画が批判されたことがきっかけで、人気は一気に凋落してしまった。
 凋落の原因は、他にもあったのであるが、当時の文明開化の波に日本の伝統美術が飲み込まれてしまったと指摘されている。
 
 私たちの住宅が大きく変わり、室内装飾として愛されてきた襖絵・屏風・掛軸を見る機会が減ってしまった。残念なことであるが、こうした美術館がしっかり後世に伝えようとしている姿勢に、フアンとして感謝している。

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