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感じるオープンダイアローグ 森だより書評 2021.11月号

長浜で哲学カフェを開催している仲間がいる。哲学カフェとは飲み物を片手に進行役のもと暮らしや社会に関するテーマについて参加者同士で対話を行う営みである。私も何度か参加したことがある。ある時のテーマは「多様性」だった。

哲学カフェにもいろんなやり方があるようだが、ここのスタイルは最初にテーマについて考えたいトピックを参加者がそれぞれ挙げ、その中から多数決で決めるというものだ。その時に決まったのは「多様性を認めないという多様性は認められるか」だった。

多様性を認めないという他者に対してそれも多様性だと寛容でいられるか、一方で自分が多様性を認めないという本人だとすると多様性そのものを否定することになる。これは「すべてのクレタ人は嘘つきである」というクレタ人のパラドックスと同じ論理的矛盾を抱えているのではないだろうか。そんなことを考え吐露していく。

対話が進んでいくにつれ考えは深められつつ揺れ動く。議論ではないので脱線もする。その回ではUFOを信じるか信じないかという話にまでなった。正解を導き出すのではなくあちらこちらに思考をめぐらす行為はとても面白く、何より他者の考えを聞きそういう見方があるのかと、自分の見方の狭さに気づかされるのも貴重な体験であった。

哲学カフェの一番大きなルールに他者の意見を否定しないというものがある。そして話す人と聞く人を分けるというのもある。この回ではそれを徹底するため、ぬいぐるみを渡し合い、それを持った人しか話せないという仕組みになっていた。

対話という手法を精神療法として取り組もうという動きがある。それが本書で紹介されているオープンダイアローグだ。フィンランド発祥のこの療法で大切にされることは「その人のいないところで、その人のことを話さない」こと、そして哲学カフェと同じく「話すことと聞くことを分かて、それらを丁寧に重ねる」こと。後者はリフレクティングと呼ばれる。どう答えようかとか、次に何を話そうかとか、考えながら聞くのではなく、ただ聞くことに徹する。話す人も誰かに遮られたりしないことを知り、安心して話したいことを話す。そこから自然な対話が生まれてくるという。自分がこれまで話してきたスタイルを顧みるとこれに反していたことに思いやられる。

精神療法としてではなく組織や仲間内でもオープンダイアローグをやってみようという取り組みもあるらしい。先の哲学カフェの仲間とは森で哲学カフェをやってみると面白いのではないかという話も出ている。トレッキングの休憩中に話したときに、建物のなかとは違う開放感があったからだ。こういった対話の営みをを森で持てるといいなと思う。

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