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死ぬのが怖いと泣く次女の寝顔を見つめる深夜

夜な夜な次女が泣いている。死ぬのが怖いのだそうだ。消えてしまうのが怖い、消えたらあれもこれもできなくなってしまう。そう言いながら、ベッドの中でワーワー泣いている(文字どおりワーワー泣くのにも驚いてしまう)。


私自身、死ぬことよりも生きていくことのほうが怖いと思う子どもだったので、泣いている次女にかける言葉も思いつかず、ただただ気持ちを受け止めては、たまに正論めいた名言めいた言葉を投げかけながら、こんな言葉かけたところで次女の不安はどうなるものでもないだろうと無力感を隣に感じつつ、夜どおし泣く次女を抱きしめる。

「死ぬのが怖い」にも色々あるだろう。死ぬのって痛いのかな、死んだら大好きな人にも会えなくなるな、地獄に行っちゃうのかな、消えて無になっちゃうのかな。次女の場合、今ある幸せを失うのが怖い、といった類の恐怖だと思う。死ぬのが怖くなるほど、今を幸せだと感じてくれているのかと内心嬉しくも思う。

どうしようもできないことを不安がっても仕方ない、できることに集中しよう。そう思えるようになったのはいつ頃だろう。そしてその生き方を実際に選び取って実践できるようになったのはいつからだっただろうか。死ぬことを怖れて泣いてばかりいては人生が勿体無いから、今を楽しく生きようよ。そんなこと言われても、理解はできても、不安は次から次へと湧き上がって、どうしようもないから困っているのだと次女は言う。

たしかにそうだよな、と思う。今母が答えられることは答えきった、あなたの頭の中を母親の私が決めることはできない、結局は自分でどうにか向き合って落とし所を見つけるしかないのだ、というのは少し突き放しすぎだろうか。少しでも答えにつながるきっかけになればと思い、絵本を手に取る。死を扱う絵本なので、吉と出るか凶と出るか。それでも、たくさんの物語に触れれば、何かしら思考が作り上げられて、逃げ道を見つけられるのではないか。少なくとも、たくさんの死との向き合い方を知れば、相対的に死への恐怖が薄らぐのではないか。そんなことを考えてながら、泣き疲れて眠った次女の寝顔を見つめる深夜。



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