見出し画像

渋谷のエスカレーターは速いので

土曜日、高校時代の友人に突然会いたくなり約10年ぶりに連絡を取って焼肉を食べに行った。
あまりにも唐突かつ急な予定を取り付けたので、宗教勧誘とかマルチ商法とか疑われないか不安だったけれど、ちゃんと来てくれて安心した。

友人は大学時代から煙草を吸い始めたらしいのだが、その理由が『中学時代に森博嗣の小説を読んで、その登場人物が煙草を吸う描写があまりにも良くて大人になったら自分も吸おうと決めていた』というものだった。
友人の感受性に何だか嬉しくなると同時に、結構な時間を共に過ごした高校時代の彼はすでに数年後煙草を吸うことを決心していて、それを当時おくびにも出さずにいたことが今更ちょっと面白かった。

今のこと・過去のことをないまぜに話していると、時間はあっという間に過ぎて、やがてお互いの終電に近い時間になった。

僕は仙台で買ってきた萩の月を渡し、友人はお礼にと昼飯に入ったココイチのスピードくじで当たったというスプーンをくれた。
スプーンを手渡しながら『あまり変わっていなくて安心した』と言われた。

駅に向かう途中、ペデストリアンデッキに登るエスカレーターに乗った。
その速度があまりにゆっくりに感じて、『このエスカレーター遅っ』と笑い合ったのちお互いの乗る路線へと別れた。

日曜日、僕は渋谷にいた。
愛してやまないWEBラジオのイベントに参加するためで、翌日は有給休暇を取る本気具合だ。

半蔵門線で渋谷に着くと、地上に出るためにエスカレーターに乗った。
このエスカレーターがめちゃくちゃ速く感じて、昨夜乗った遅いやつとの差に笑ってしまいそうになった。
そういえば、大学時代に利用していた同じく渋谷駅の副都心線のホームのエスカレーターには「高速」という表記がされていた。

その速いエスカレーターに乗りながら、祖母のことを思い出した。


祖母は、エスカレーターに乗るのが苦手だった。
最初のステップに足を乗せるタイミングがうまく掴めず、大縄跳びにスムーズに飛び込めない子のように毎回2〜3リズムを刻んでから足を踏み出していた。『ばあば、遅い〜』と当時小学生の僕は、祖母を置いて先にエスカレーターに乗っていた記憶がある。

祖母は、家に遊びに行くと毎回近くの商店で買い物するためのお小遣いをくれた。僕はそのお金で普段は買えないコロコロコミックを買っていた。

祖母は、幼い僕がオムツを替えてもらうタイミングでおしっこをしてしまったけれど、自分でタオルを持ってきて床を拭いていたというエピソードが好きで、何度もその話を聞かせてくれた。(もちろん当人の僕は記憶にないし、オムツが取れていない時期の子どもがそんな自分で後始末できるはずはないと思っている)

そんな光景がフラッシュバックした後に、ようやく祖母はこの世にいないことを思い出す。
僕が高校3年生の時に祖母は亡くなって、突然で悲しかったけれど、悲しみに暮れるほどではなくて、自分は薄情者かもしれないと思った記憶がある。

そして、こういうどうでも良い時にしか亡くなった祖母のことを思い出さない自分はやっぱり薄情者で、昨日友人から言われた通り『あまり変わっていない』のだなと思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?