どうぶつの森中毒だったあの頃

小学六年生のあの頃は、Nintendo DSを持っていなければ生きていけなかった。
特に『おいでよ どうぶつの森』は気が狂ったようにやっていた。

DS本体の時間を操作して常に夏の夜にした村を作り、4人で通信するとレアな魚や虫の出現率が上がるという信憑性にかける情報を信じて、毎日放課後はマンションの共用スペースに集合して釣りや虫取りに励んでいた。

何がそこまで僕たちを駆り立てていたのかよく思い出せないが、ひたすら金になる虫や魚を乱獲し、嫌いな住人を追い出すことに精を出していた記憶がある。今思えば植民地時代の欧米諸国さながらの蛮行である。

夕方5時のチャイムが鳴り家に帰った後も、ひたすらどうぶつの森をしていた。
うちの親は、ゲームなどを買い与えてくれる割には、やり続けているとブチギレる。そしてソフトは没収され、手の届かないキッチンの戸棚の上や押し入れの高いところに隠されていた。

案の定、どうぶつの森のソフトも召し上げられ隠された。
母はパート勤務であったため、僕が学校から帰宅する頃にはすでに家におりその目をかいくぐってソフトを探し出すのはM:I(ミッション・インポッシブル)だった。

何とかしてどうぶつの森を取り戻したい。
そうしなければ友達の輪から取り残されてしまう。

そこで小六の僕が考え出したのは、ソフトの中身をすり替えるという荒技だった。
どういうことか。
DSのソフトは同じ色形をしているため、識別できるように『どうぶつの森』や『ポケットモンスター』などと書かれたタイトルシールが表面に貼られていた。そのシールを貼り替えて、表記と中身が異なるソフトを作り出すというものだった。

当時、『英語漬け』という学習ソフトが流行っており、それも持っていた。我が家は対象のソフトだけが没収されるというシステムであったため、英語漬けは取り上げられていなかった。

僕は『どうぶつの森の通信でどうしても友達に返さないといけないものがあるから今日だけソフトを返して欲しい。遊びから帰ったらまた没収してもらって構わない。』と主張。友達に迷惑がかかるかもしれないという親の弱みにつけこみまんまとソフトを手に入れ、即座に『どうぶつの森』と『英語漬け』のシールを貼り替え作業を行った。
シールは剥がされることを前提としていないため、きれいに剥がせない部分があったが、とにかくプレイできればよいので気にしなかった。
そして無事に整形手術は成功し、見た目は『どうぶつの森』・中身は『英語漬け』というソフトと、その逆のソフトとがこの世に生み出されてしまった。

遊びから帰り『僕はきちんと約束を守る良い子です』という顔を作りながら、中身をすり替えたどうぶつの森のソフトを母に差し出した。
シールを貼り替えた違和感に気づくか緊張の瞬間であったが、ゲームに疎い母はそんなことに気づくこともなく受け取った。

ミッションコンプリート

僕は、再びどうぶつたちの暮らす村で虫・魚を乱獲できるようになったが、それと引き換えに著しい視力の低下によりメガネをかけ続けなければならない人生と、母を騙したという少しの罪悪感を背負ってしまった。

小学校卒業と共にどうぶつの森ブームも終焉し、中学生になると部活が始まったりでそこまでゲームをやらなくなった。

我が家の没収システムもなくなり、やらないソフトは売ってしまおうと再びシールの貼り替えを試みたが。粘着力の落ちたシールはうまく貼れず、結局どちらのソフトも買い取り不可という形になってしまった。
これが人生で因果応報を実感した最初のエピソードかもしれない。



現在、スプラトゥーンにどハマりしている。
ダウンロードソフトも主流になったが、親が子供からゲームを没収する時にはどのようにしているのだろうか。
一人暮らしの僕には、夜中何時までやっていてもゲームを没収する人はもういない。

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