もう一回自分を作り直す
「自分ってこんな人だったかなあ」とか、最近よく思う。
自分はどんな人間だったっけ?
・・・・・・・・それを、思い出す必要が、本当にあるの?
「本当の自分」って、いつの自分を指してるの?
色々考えていくうちに、どうやら、私が考えていた「本当の自分」とやらは21歳から24歳くらいの自分の様だ。
実家で気楽に暮らしていて、思いついた事をすぐやって、本音を言い合える友達と楽しく暮らしていたころの、自分。
でも、よく考えると、私はあの頃の自分には戻りたくはないんだよね。楽しかったけど。
今の自分も好きなんだ。
落とし物を拾ってくるだけ
「本当の自分は~」とか「昔の自分は~」とか言っている時に、あの頃の自分が自分に対して大嫌いだったことは、きっと見えていない。
あの頃だって、私は自分のだらしないところとか、何にもできないところとか、決められないところとか、大嫌いだった。
そして、自分に嫌いなところはあったけど、毎日それなりに楽しく暮らしていた。
その「楽しさ」の部分が、きっと今の生活に欠けているところだと認識しているはずなんだけど、その楽しさを求めるあまり、その時代の自分を「本当の自分」なんて思っていたようだ。
今だって、「本当の自分」なんだけど。
20代前半の楽しかった時期に置いてきた忘れ物を、「どこにやったんだっけ」って思って探してるだけなんだろう。
「本当の自分」なんて、関係ないことだ。
元には戻らない
子どもが生まれてから自分が変わりまくった。
それを、すごくいい変化だったと思っている自分がいるのに、一方で「本当の自分」を探していた。
どういうことかといえばきっと、「今の自分に満足していない」「今の自分に納得できていない」ということだろう。
だけど、
「元には戻らない」。
私は、あの頃の自分には決して戻れない。たとえあの頃の自分こそが「本当の自分」、であったとしても、絶対に元には戻れない。
寄せ集めの、つぎはぎだらけの自分だったのかも
今の私は、戦争で破壊された焼け野原のような状態。
子育てに適応できず、あらゆる自分の生活を壊した。自分の価値観を壊した。
その、焼け野原の中から、子育てしながら必死で拾い集めた「これは使えそうだ」というものに頼って、必死になって一生懸命生きてきた。
それは、寄せ集めの、つぎはぎだらけの自分。
だけど、壊れた自分を直そうとしたり、新しくしようとしたりはしてこなかった。できなかった。
もう一回自分を作り直す
「本当の自分」なんてない。
だけど、おぼろげながら「こういう生き方をしたいんだ」「こういう存在でありたいんだ」というのは見えている。それは「あの頃」にかくれてる。
それをしるべに、自分を新しく作っていくしかないのかもしれない。
街が、焼け野原になった後、
その後に、「元の街」は作らないし、作れない。
あるのは「今後、こんな街にしていきたい」だけ。
私も、「今後、こんな自分でありたい」と思いながら、一から新しく自分を作り直していく。
子育てしながら必死で拾い集めた「これは使えそうだ」というものと、
楽しかった「あの頃」に置き忘れてきた私の構成要素を使って。
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