また「宿題」を考える
宿題 ---
小学生の敵である。
ちなみに中学生の敵はテスト。
宿題なんかやらせたくない!のに
私は、過去に何回も書いているが、「宿題反対派」だ。
その日の学習を定着させるために「5~10分程度」でできる宿題を出すのは、まあ仕方がないかなとも思うのだが、
遊ぶ時間を削って
強制的に勉強をさせては絶対に駄目だと思う。
特に低学年は!!
という憤りをずっと抱えていて、宿題を出す先生に怒り、勉強時間を設定している学校に怒り、そして、「指定された通りにやらせて我が子にストレスを与えている自分」に罪悪感を感じていた。
反省
私は自分で「宿題反対派」と言いながら、ずっと、学校が指定してきた宿題をやらせ続けてきた。
昭和の人間の悪い癖。
「先生の言うことは守らないといけない」
その意識がきっと私にも残り続けていて、「先生が言うから、宿題をやらせなくてはいけない」なんて思ってしまっていたのだろう。
子供が遊ぶ時間が少ないのは、ひょっとしたら自分のせいなんじゃないのか。
本人がその後の不利益を理解しさえすれば、宿題なんか「本人の意思で」やらない選択もある
色々な本を読んだり、ラジオを聞いたりしていると
「私は全然宿題をやらない子供でした」
「小学生の時は、宿題なんかやったことありませんでした」
ということをたまに見聞きする。
頭のよさそうな著名人が、そう言っているのだ。
おそらく、本人の中の優先順位が低いのだ。
そして、自ら「 遊び > 宿題 」として、その選択をした代償に「先生に叱られる」ことを受け入れていたのだろう。
さすがに小学生のうちは、親がある程度子どもの学力を知っている必要があると思っているので、テストやノートを確認しながら「まあ、ちゃんと勉強は理解しているみたいだし」ということであれば、それを「黙認」してしまうのも、ありなのではないかと思うようになってきた。
だって、日本全国の小学生全部が義務的に宿題をやっているわけではないのだから。あれはあくまで、学校独自の取り組みなのだから。宿題をやらなくったって、小学校のカリキュラムは全部終わるようになっているはずだから。
あまりにも勉強が分かっていないようなら、テコ入れは必要だろうが、果たして宿題がその役割を果たせるかというと、少々疑問だ。なぜなら、普通の宿題は全員同じ内容だからだ。
子供の心を守ることを最優先にしよう
そんなことを考えながら、本や、ネット記事をいろいろ読んでいくうちに、少しずつ考えがまとまってきた。
いったんの自分の宿題に対するスタンスはこうだ。
「我が子が宿題にストレスを感じたら、宿題させるよりも我が子を守ることを優先する」
簡単に言うと、
「ギャー!!もうこれ以上やりたくないぃぃぃいい!!」
となったらやめる。
学校から指定された時間勉強していなくてもやめる。
宿題がたくさん残っててもやめる。
連絡帳に書く。
「すみません、少し体調が悪かったようなので宿題があまりできませんでした」とでも書いておく。
「いい加減なお母さんだな~」と思われてもいい。
私は、我が子の「遊ぶ時間」を守りたいのだ。
「やりたくないことを強制的にやらされ続けた」という記憶を植え付けたくないのだ。
主体性をもって宿題と付き合う
「先生が言ったから」
「お母さんが言ったから」
だからやる。
それを続けた先にあるのは、主体性のかけらもない大人だ。
私は宿題について、我が子に「5年生になったら宿題をやるやらないも含めて全部任せる」と伝えた。
はたして宿題をやることが自分のためになると判断するのか、宿題をやらない方が自分のためになると判断するのか、それは分からない。
得意な単元の宿題はやらず、苦手な単元の宿題だけやる、なんてこともいいのかもしれない。
無責任かもしれないけど、きっと我が子は、自分のためになる選択をしてくれると思う。
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