ふらふらと蛇行しながらも方向を見失わぬように・・・
近況報告〜台風19号その後〜
台風19号の上陸後の奥多摩は色々と大変でしたね。
僕の務めている氷川保育園がある地域でも断水が1週間以上続きました。
でも、飲料水は町や東京都から十分な量を支給していただいていたので、助かっていました。
給食は使い捨ての容器を使って提供していました。給食の先生は限られた量の水で作らなきゃなので、とても大変だったと思います。
また、トイレや洗濯などの生活用水がこんなに大量に必要なのか!と、びっくりしました。
特にこういった施設だとより多くの生活用水が必要になり、男手が少ない職場なので水汲みが僕の重要な仕事となっていました。
普段当たり前のように蛇口から出る水の大切さを痛感する日々でしたね。
菊池さんもご存知の通り、奥多摩湖もこんな色になってしまいました。
まだまだ当分戻らないそうです・・・
それでも、奥多摩湖は日々様々な顔を見せてくれているのですよね。
中には、この水の色が好きになってきたかも、なんていう人も出てきたくらい(笑)
確かに、ドラム缶橋とかわたると、なんか普通じゃない雰囲気があってすごいです。
道が崩れてしまい現在も通れない遊歩道などがあって、保育園の散歩コースも少なくなってしまっています。
でも、再び通れるようになったコースもでてきました。
こんなとこだって歩くんだよ〜
当たり前のように、大自然の中へ散歩に行ける保育園を売りにしていたのだけれど、今までの日常的な保育がとても贅沢なものだったのだなぁと改めて感じました。子ども達もいつも以上に大喜びの様子でしたよ。
こんな感じで、少しずつ台風以前の状態に戻ってきているところもあるけど、道が崩落してしまった日原などはまだまだ復旧に時間がかかるようです。
釣り場とかわさび田とかも被害が大きいみたい・・・
そうそう、妻と一緒に鷹ノ巣山へ登ったりなんかもしてましたよ。
なかなか登りがいのある山でした。誰もいない山頂付近の道は雰囲気ががらりと変わり違う世界みたいな。そこまで高い山ってわけじゃないのですけどね。
帰り道は、紅葉した葉っぱに西日が当たり、鮮やかなグラデーションが出来ていました。
時間設定が甘かったのか、帰りが夕暮れどきになってしまいまいました。地元だからって油断したらダメですよね。
西日が山に沈んでしまってからの薄暗い山道はとても不気味でした。
身近ではあるけれど、一歩人里を離れたら、奥多摩の自然はとてつもなく雄大なのだなーと実感しましたね。
と、近況報告はこれくらいにして・・・
ちゃんちき堂さんとの酔いどれ会
先日、ちゃんちき堂の久保田哲さんとの荒澤屋/あかべこ飲みがついに実現しましたな。奥様のかおりさんも素敵な方だったでしょう?
菊池さんも最初から参加できてたら、もうちょっと色々と地域に関わる良い話なんかが聞けたかなーと思うんだけど、いかんせん哲さん酔っ払いだったからさ。僕もだけど。
OBCのことは初期の頃から応援し続けてくださっていて、僕も尊敬している先輩です。だからいい気分で飲んじゃうのです(笑)
うろ覚えながらもなんとか忘れずに残っている哲さんからの言葉が2つあります。
1つ目
「OBCは子どもなんだよ。で、OBCのまちおこしは遊び。子どもは遊ぶことを飽きないしやめないでしょ。だから、こんだけ続けらるんだね。」
2つ目
「代表と勘さんはお互い出来ないことやりたくないことを補い合って、ナイスコンビみたいに言われてるけど、二人を足して二で割っても、ちゃんとした人としては全く足りてないよね。」
二つ目は褒められてないけど、なんかすごく「確かに‼︎」って思った(笑)
よく哲さんとは一緒に飲ませてもらってるけど、いっつも酔っ払って内容を覚えていないことが多いのです。ただ、毎回とても楽しい。
素面で参加してた菊池さんは何か感じたことはありましたかね?
菊池さんの手紙を読んで・・・
さあさあ、それではようやくここから、前回の菊池さんからのお手紙への僕なりのお返事を書いていきたいと思います。
この記事の中で特に気になった2点について。
まずは、菊池さんが地域で取材をした時に必ず言われるというこの言葉。
「自分だけが頑張っていたり注目されていたりするのだ、と受け取られるように書かないでほしい」
この言葉には、その地域に生まれ育ちつないできてくれた方々や、移住者が生きる道を切り拓いてくれた先輩たちへのリスペクトが込められているのだとお考えのようですね。
確かにその通りですね。奥多摩全体で考えるとよく当てはまると思います。
でも、小河内だけで考えるとちょっと違うのかなーなんて。小河内は奥多摩の中でも特に高齢化が進んでて、自治会で行われていた行事とかも続けられなくなることがあって、なくなった行事をなんとか小河内合同で開催していたりもあったけどそれも出来なくなっていったり・・・。
そんな背景のなか、OBCが結成となったからさ。
あ、でも、他の地域だったら何か新しいことを始めた時に食らうであろう、重鎮達からの洗礼的なことは一切なかったことは感謝かな。静観してくださった。いや、わけがわからない活動過ぎて、言いようがなかっただけなのかも知れないけど(笑)
移住者の方も、小河内限定で考えれば、誰々が切り開いたー、とかは、なさそうかなぁ。
次はこちら。
どんなに気をつけて書いたって、地域に生きる個人をメディアで取り上げることは、特にメディアに出た人と同じ地域で暮らす人にとって「あなただからできるんだね」、つまり「あなたと違って私にはできないや」という線引きを加速させることになる気がするから。
菊池さんが、まちおこしモンスターフェスで聞いた、「かんせんせいだからこんなに人を集められるんだね」「OBCだからこんなに素晴らしいイベントができるんだね」という意見から、このような思いを抱いたということですが・・・
OBCに関して書くときは・・・・
気にしなくていいです‼︎︎
僕が保育士だったってことや、たくま君が機材に強かったことがたまたま相まってOBCは現在こういう活動になってるから、これは僕らOBCだけの形。しかも二人で補い合ったとしても限定されるという・・・
もし僕もたくま君と同じ小河内振興財団にいて、まちおこしをしようと思ったら全然違う形になってたんだろうなぁ。
そうそう、最近、奥多摩ではこんな団体もできました。「おくたま勝手に団」。
なんて素敵なネーミングでしょう。自分たちが住んでいる場所がより楽しい場所になるために「勝手に」色々やっているそうです。このサイトとかもすごい素敵で、この団体の団長・西田君じゃなきゃできないことだと思います。僕には出来ない。
菊池さんが最初のOBC取材記事で僕らに対して言ってくれた言葉。
それは、彼らの「自分が」は「自分が」が原点にありながら「自分が」から派生した何かが含まれているからではないかと。
勝手に団さんは、もろにこの言葉通りなんじゃないかな?
与えられたり頼まれたりしたこと以外で「勝手に」何かをやり始める人々によって新しいムーブメントが生まれるのではないかなと思い、この方々にはとても期待しています。
OBCも基本、自分たちがやりたいことだけ楽しいことだけを、まちおこしの名をお借りしてやっている節があるので、仮に「私たちには出来ない」と思われても、まあ、普通そうだよね、って感じしかないのです。こちらはやりたいことをやってるだけだから。まさにあそびだね。
僕らのやってることは誰かにとってはやりたくないことだし、逆に誰かがやっていることが僕らにとってはやりたくないことの場合もあるしね。
それに、私達には出来ないって思っている人も、応援・賛同・見守ってくださっているかもしれない。やりたいと思っているけど出来なくて燻ってる人だっているかも。みなさん事情もあるでしょうし。
志と環境が整ってさえいれば、やりたい人は勝手に何かをやるはず〜
OBCのようなやり方は出来ないけど、自分ならこうやってみようかなとか。
だから・・・
「OBCだから出来る」「OBCにしか出来ない」はどんどん言っていいですよ‼︎ そう言われると素直に嬉しいので(笑)
他の地域のことまでは責任持てないけどね‼︎
やっぱりバランス感覚って大事ですよね
今回の菊池さんの返事を最初に読んだ時、考えすぎじゃない?と、無責任な感想が出そうになりましたが、本業の方だったら僕にも似たような感覚がなくはないのかなと思いました。
また保育園での例え話になってしまうのですが・・・
Aクラス:落ち着いた子が多く、まとまりのあるクラス
Bクラス:落ち着きのない子が多く、まとまりのないクラス
この二つを比べると、それぞれ対象的で、Aの方が一見、大人にとってはよく見えるかも知れません。
でも、少し視点を変えて考えると・・・
Aクラスの子は、自分が出せていないのではないか?なんだか活気がないな?保育者が力で抑えすぎているのかも?
Bクラスの子は、安心して自分を出せている。元気で子どもらしいな。イキイキしている。きっと保育者が寛容なんだな。
という風に評価が逆転する可能性もあります。
でも、
Aクラスだって、秘めたる思いを受け止め、違う形での活発さを目指している可能性もあるのかもしれない
Bクラスだって、その溢れるパワーを一致団結させる瞬間を追い求めている可能性もあるのかもしれない。
実際、保育や教育の現場で子ども達を肯定的に捉えるため取り入れられているリフレーミングという考え方があるそうですよ。
集中力がない→好奇心旺盛 短気→エネルギッシュ 行動が遅い→慎重・丁寧 わがまま→自己主張ができる ふざけてばかり→ユーモアがある・・・etc
視点を変えるだけで、短所と長所は入れ替わる。まさに表裏一体なのですよね。
自分が正しいと思っていることが、間違いである可能性があるのかも、または、自分が間違いだと思っていることが、正しい可能性もあるのかも。
常に両義的な視点で自分の考え・関わり方について捉え、それでも子ども達の前では迷っていないような素振りでいる・・・
これが僕の保育士としてありたい姿かな。信念を疑いながら進むという信念。またまた矛盾だ(笑)
偉そうに言ってますが、なかなかうまくはいかないし、忘れちゃうこともある。鈍感だからそれで気を病むようなこともあまりない(笑)
蛇行しながらもなんとか前に進めるようなバランス感覚がほしいですなぁ。
OBCは生業じゃない。でも仕事で身に付いたことや繋がりが大きく関与してくる。保育士であり、子ども達や保護者のみなさんを巻き込んでいる僕の場合。
だから時々、あれでよかったのだろうか?とか、しまったー!ってなることもあります。誰にも言わないけど密かに反省することが実はあったりなかったり・・・
とは言いつつも基本的には楽観的だから、だいぶ肩の力が抜けちゃってますけどね〜。前の記事で書いたように無意識でもいたいし(笑)
そんな感じだから、菊池さんが思ったことや最終的には真摯に向き合うと宣言をしたことなどにも共感できた気がするのです。人と関わったり踏み込んだりする仕事なら余計に悩むことも多いし悩む必要がありますよね。自分が絶対正しいと信じて疑わない人の方が僕は怖いし苦手です。(自分が正しいと信じきることをあえて決断したという人は別ですが。このニュアンス伝わるかな?)
なので、これから菊池さんがOBCのことを書く時は・・・
肩の力を抜いてゆるーくなって、ここだけの菊池さんみたいな文章も面白いかもだし、いつもの菊池節で書いてくれるのもOBCに新しい風が吹いている感じがしていいし・・・
結局はOBCのことなら、なんでもいいってことー(笑)
とりあえず、僕らは全てを受け止められるはずなので、お好きなようにやっちゃってください。
ではでは。
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