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【日々の、えりどめ】第12回 月の逃亡

 サウナこそ文化だと息巻いている友人がおり、東京の生まれの北千住在住、もともと数年来の文芸同人であって昔馴染みのなかなか愉快で気骨のあるひとだが、その友人のサウナ通いがいよいよ常人の域ではなくなってきた。好きが高じて、サウナ文学ともいうべき小説を書いたことさえある。
 もはや専門家というもので、わたしは会うたびに、おや、これはこれは、サウナ先生がお越しでしたか、なんてことを言って茶化したりもする。

 わたしもたびたび誘われることがある。
 というのも、先生曰く、わたしの住んでいるごく近くに大型の温泉療養施設があって、そこにあるサウナが、かなり良いのだそうである。
 サウナを愛好する友人はここへ来るためだけに、わたしの部屋に泊まりがけでやって来たことが、何度かある。

 わたしは、むかしはサウナを好んでいた。故郷にいた頃も、母親に地元の高原地帯にある入浴施設にたびたび連れていってもらっていた。
 もっともそれはわたしの体が軟弱だったこともあっていわゆる湯治のようなものであったのだが、その山には鍾乳洞があり、綺麗な水も湧き出し、浴場やサウナには天然の鉱石が使われていたりしたので、お誂え向きの施設だったのである。

 しかしわたしは、いまはもうサウナというものをそれほど好まなくなっていた。
 それは故郷の記憶の中にある蒸気があまりにも柔らかいからということもあるのだが、鍛冶屋のごとくに自分の体を熱くしたり冷やしたりする所業が、わたしにはもう耐えられないのである。友人は、それを平気で何時間も繰り返している。
 そんなことは時間の無駄だろうとわたしがひとたびこのサウナ好きの江戸っ子にもらすと、ひどく怒られる。おれはそういう情けないやつとは付き合えない。そんなことまで言われる。それもサウナへの愛が故である。先生曰く、サウナは人間と人間の生活を変える。

 それでも和を以て貴しとなす、あるいは、親しき仲にも礼儀ありというくらいだから、わたしも一度は騙されたつもりでこの友人の言うことを聞いてみようと思った。
 そして水風呂とその後の外気浴という野外などの涼しい場所で椅子に腰かけて静思することが何より大事と聞いて、ある日の夜(といってもだいぶ以前の話)、そこは足立区の中でもやけに外れたところにある施設だったと思うが、わたしはこの作法に従ってみることにした。

 わたしは熱さに耐え、冷たさに耐え、寒さに耐え、命からがらで露天にある椅子までたどり着いた。
 するとどうだろう、わたしの体はほとんど仰向けにも近いような倒された椅子の背もたれにまるで吸い込まれるようになって、思考は停止し、些末なことなどはどうでもよくなり、根拠もなく希望的な時間が永続するように思えたのであった。
 体内に冷たい水が湧きはじめ、それが故郷の雪解け水のようにも思え、懐かしい風景さえも脳裏に去来した。合法であることが不思議なくらい敬虔な作用だと友人が冗談半分で言っていたことが、わかる気がした。

 そしてその時、その日は綺麗な半月が傾きながら夜空にかかっていたのであるが、その月が、わたしの視界の右斜め下へ、右斜め下へと移動しはじめたのであった。
 それは確かに移動しているのだが、それでも尚わたしの視界には留まっているのである。
 月を放り投げることのできるのはタルホ先生ぐらいだと思っていたが、サウナ先生もなかなかのやり手らしい。

 思えばここ数年、月を眺めるということはあまりしていなかった。というのも、成長のためか、普段の無為徒食の後ろめたさのためか、故郷で見た月と比べてみたときには、それが取って代わった別物のような気がして、やけによそよそしかったのである。
 暗闇の中にある月は希望的なものであるが、いつの日から、それさえもわたしには模造品のようになってしまったらしいのである。

 あの日露天で見た月は、忘れられない。いまもたまに月を眺めると、わたしはあの日を思い出す。たしかにあの蒸気浴体験は希望的であり、爽快であった。

 それでもやはりその希望も、きっと模写されたものなのではなかろうか。ふと、そんなことも思った。あの日以来見る月といえば、やはりいつものように、どこかよそよそしいのである。

 サウナ先生には申し訳ないが、嗜好による悦楽はたしかに人間を変えるようにもその時は思えるが、それが全体の解決になることはないということを、おそらくわれわれは知っているのである。
 そしていつの日からか――もちろんわたしの場合、このサウナ騒動には関係なく――結局はそれが生活であり、それでこそ人間なのだという価値観に翻って、大人になるのだ。
 わたしもそうやって言い訳をしたままやめられない嗜好品が、いくつもある。

 あの日わたしの視界の右斜め下へ逃げて行った希望の月は、まさしくその象徴だったのかもしれない。あるいはそれが最後の光明だったのかもしれない。

 誰かあの月の行方を、教えてくれないだろうか。


【プロフィール】
林家彦三(はやしや・ひこざ)
平成2年7月7日。福島県生まれ。
早稲田大学ドイツ文学科卒業。
二ツ目の若手噺家。本名は齋藤圭介。

在学中に同人誌『新奇蹟』を創刊。
「案山子」で、第一回文芸思潮新人賞佳作。

若手の落語家として日々を送りながら、文芸表現の活動も続けている。

主な著作
『猫橋』(ぶなのもり)2021年
『言葉の砌』(虹色社)2021年


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