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【「極私的」韓国大衆文化論序説】第6回日本語なしでは仕事ができない!?――韓国の日常のなかの日本語(崔盛旭)

韓国語には、実に多くの日本語が混ざっている。韓国人はそれらの日本語をあまりに日常的に使い過ぎて、いちいち日本語かどうかを気にしてもいられないのだが、最近韓国の映画やドラマを見ていて何かと耳に留まるようになった。また、日本人の知人にネタとして話すととても面白がってもらえるため、今回は、日常的な韓国語の中に潜んでいる日本語を紹介してみたいと思う。

思い返せば子どもの頃、母の会話にはたびたび日本語が混ざっていた。「오늘은 밥 입파이 먹어라」(今日はご飯イッパイ食べてね)とか、「이 미깡은 안 달아」(このミカンは甘くない)、「앞차 오이코시해라」(前の車オイコシして)など。「いっぱい」なら「많이(マニ)」、「ミカン」なら「귤(ギュル)」と、れっきとした韓国語があるにもかかわらず、母は日本語を織り交ぜて話し、私もその意味を理解していた。床屋に行けば、「바리깡으로 짧게 깎아주세요」(バリカンで短く切ってください)と注文し、スーパーでは「깡즈메 살까?」(カンヅメ買おうかな)とつぶやく…。これらは母の世代に限ったことではなく、쓰메끼리スメキリ=爪切り)、아까징끼アカジンキ=赤チン)、바케쓰バケス=バケツ)、다라ダラ=たらい)、닥광タッカン=たくあん)、소데나시ソデナシ=そでなし)、독구리トックリ=どっくり)、몸빼モンペ=もんぺ)など、今でも使われている日本語は数限りなく存在する。

このように日本語の音と意味がそのまま韓国語になり、発音しやすく多少変化して使われてきたわけだが、中には「国語純化運動」により「日本語だから」と禁止され、スメキリ=손톱깎기(ソントッカッキ)、アカジンキ=소독약(ソドンニャク=消毒薬)、タッカン=단무지(タンムジ)のように韓国語に直された言葉もあるが、習慣化した日本語がそう簡単に姿を消すわけがない。たとえ公の場では大分使えなくなっても、日常生活においては依然として当たり前のように使われている。映画やドラマのセリフにも何ら違和感なく登場するのが何よりの証拠だ。韓国語学習者でなくても、見ていてふと日本語らしき言葉が聞こえてくることがあるのではないだろうか。

このバリエーションとして、日本語の音と韓国語の意味が合体する場合もある。「ピカピカ」という日本語の擬態語と、それにあたる韓国語の번쩍번쩍(ポンチョクポンチョク)が合わさって、삐까번쩍ピカポンチョク=ピカピカ)という言い方をしたり、「行ったり来たり」の「行く/来る」の部分を韓国語にして、왔다리 갔다리ワッタリカッタリ=来たり行ったり)といった言葉もある。

あるいは「てんかん」のように、日本語では「意識を失ったりけいれんを引き起こす発作」の病気の一種として知られている言葉が、韓国語では「땡깡부리지마」(テンカンするな)と「親の言うことを聞かずにおねだりする子ども」を叱るときなど、日本とは異なる文脈で使われてきた言葉もある。最近によってようやく、「てんかん」の元の意味が一般的に知られるようになり、使用を止める動きも出てはいるが、あまりに日常に深く根付いた言葉がそう簡単になくなるとは思えない。

日本語の元の意味と、そこから派生したイメージが付け加えられて韓国語化したものもある。ウォンビンのキレのあるアクションが人気を博した『アジョシ』(2010)では、「ワク=体格」という意味で「와쿠 좋네」(ワクいいね)というセリフがあった。ファン・ジョンミンやユ・ヘジン、ユ・アインら豪華共演で大ヒットした『ベテラン』(2015)では、ファン・ジョンミン演じる刑事が「カオ=面子」という意味で「우리가 돈이 없지 가오가 없냐」(俺たちにゃカネはないけど、カオはある)と言い、最近話題のテレビドラマ『私の夫と結婚して』(2024)では、「오마카세쪽으로 빠지나」(オマカセの方なのか)というセリフで「オマカセ=シェフに料理のすべてを任せる高級メニュー」を意味していた。

日常の中の韓国語以上に、日本語の存在感を感じるのが各種専門分野だ。日本による植民地時代を経ているため、韓国近代社会の土台は日本によって作られたと言っても過言ではないし、植民地期以降も様々な分野で、韓国は日本のシステムを参照してきた。そうした背景があるとは言え、建設・法曹・軍隊・映画/テレビ業界などでは、日本語がそこら中に溢れている。

日本語の「土方」は노가다ノガダ)、「ニッパー」は닙빠、「ペンチ」は뺀치、「ペンキ」は뺑끼と、日本語でなく英語から来ているのでは?と思う言葉もあるかもしれないが、ハングルの表記が英語のスペルからではなく、明らかに英語がカタカナになった日本語の表記なのだ。軍隊でもよく使う大きなハンマー(大ハンマー)は오함마オハンマ)、地面をならすことも나라시(ナラシ)という。

今でこそハングルしか使われていないが、漢字文化の韓国では、日本語の専門用語を音読みして韓国語にしているものが非常に多い。数年前、個人情報保護に関する法案を発議した国会議員が、あとから日本の法を丸コピ(正確には丸翻訳)したことが発覚して世論に袋叩きされた出来事があった。驚くべきは、ほぼ直訳しただけだというのに、「何ら違和感もなく」韓国語になっていたことだった。つまり法曹界の法律用語にも日本語を韓国語の音読みに変えただけのものが非常に多く、言語が変わったところで当然違和感などあるはずもないのだ。法律用語に関しては、Netflixの人気ドラマ『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌』を是非お勧めしたい(上級レベルの学習者なら「韓国語音読みの日本語」が絶え間なく聞こえてくるに違いない)。

とりわけ映画は、植民地時代に日本からもたらされた「近代文明」であったことから、日本語の混ざり具合も半端ない。日本語では歌舞伎から転じて、容姿端麗な色男を「二枚目」、コミカルな部分を担う役回りを「三枚目」と呼ぶが、韓国語では「ニマイ=主役」「サンマイ=脇役」の意味で「이 드라마의 니마이는 누구야? 쌈마이는?」(このドラマのニマイは誰?サンマイは?)などと使う。また、「이번 시나리오에는 야마가 없네」(今回のシナリオにはヤマがないね)、「도타바타를 더 넣어」(ドタバタをもっと入れろ)といった具合に、「ヤマ=クライマックス」「ドタバタ=喜劇的な要素」と日本語と同じニュアンスで今でも使われている。格闘シーンを「다치마와리」(タチマワリ=立ち回り)と言うのも、日本の撮影所時代を思い起こさせる(今でも映画界では使われているだろうか?)。日本では監督(に限らず)としてひとり立ちすることを「一本立ち」と言うが、韓国語でも「입봉하다」(イッポンする)という言い方で、新聞の見出しなどにも普通に使われている。ちなみに余談だが、柔道の「イッポン(勝ち)」は世界共通で使われているが、韓国では日本語の直接的な採用を嫌ったのか、一本を韓国語にした한판(ハンバン)と呼んでいる。ある新人放送作家は、「この業界では日本語なしではもはや仕事ができない」とSNSに投稿して話題になったほどである。だが面白いのは、自分たちは散々日本語を使っているくせに、放送上では韓国語化した日本語を絶対禁止にしているというテレビ局の「二重性」である。

元々韓国語になかった言葉が日本語によって生み出されたというパターンも存在する。その代表格が「목넘김」(モンノンギム=のどごし)と「노포」(ノポ=老舗)ではないだろうか。日本のビールのCMを通して馴染み深い文句である「のど越し」は、韓国の某大手ビール会社がそのまま取り入れて(パクリの可能性が濃厚)、「のど=목」と「こし=넘김」を組み合わせて上記の「목넘김」という、韓国語には今までなかった新造語を作り出したのだ。当時、日本で日本語を学び「のどごし」という言葉を覚えたてだった頃、一時帰国した際にソウル市内の地下鉄の駅でこの「목넘김」がデカデカとかかれたビールの広告ポスターを初めて見かけて、思わず失笑してしまったのをよく覚えている。

そして、「노포」(ノポ=老舗)。正直言って、日本に来る25年ほど前まで、私は「노포」という韓国語を聞いたことが一度もなかった。儒教の莫大な影響下にある韓国では、飲食店など「大した仕事ではない」というような認識が長い間一般的だった。「親が商売をやって苦労して勉強させたのだから、子は立派な職に就いて恩返しすべき」と考えられていたために、先祖代々受け継いできた店という存在が韓国には皆無に近かった。ところが日本では、「老舗」と呼ばれる歴史ある店が信頼を集め、時には観光客誘致や町興しにも貢献していることがわかったわけだ。そこに目をつけたメディアが老舗(シニセにあたる韓国語の固有語がないので)の音読みである「노포」(ノポ=老舗)を使い始め、いつしか韓国語として定着したのである。

久々に韓国に帰って、偶然ソウル市の観光名所案内図を見ると、「キムチのノポ」「マッコリのノポ」といった類の表現が沢山あり、私は韓国語における新たな言葉の誕生を初めて知った。だが実際のところ、「ノポ」が日本語の老舗の音読みであることを知っている韓国人はほとんどいないらしく、ネットで検索してみると、「ノポ」の意味を聞いたり、説明したりする書き込みが多く目立つ。また「ノポ」と位置づけた店のほとんどが飲食店であるためか、韓国ではどうやら飲食店に限定して使われているようだ。このように、それまで概念として存在しなかったために言葉もなかったのが、日本語から概念ごと輸入されているのである。

最後に、私の軍隊時代の思い出を紹介しよう。入隊して間もなく、私は古参兵から「お前の銃をスイップしろ」と命じられたものの、意味がわからずぼーっとしていて早速古参兵のパンチを食らった。彼が言ったのは「銃をきれいに拭いておけ」ということだったのだが、なぜそれを「スイップ」というかは最後までわからないままだった。ところが除隊後、日本語の勉強をするようになってようやくその謎が解けたのだ。スイップは「手入れ」だった。つまり、日本語の漢字部分だけを「手=ス」「入=イップ」と、韓国語音読みをして作られた軍隊用語だったというわけだ。

韓国文化の浸透とともに、韓国語学習者も格段に増えている。日本の皆さんには是非、機会があれば韓国語に挑戦してみてほしい。韓国をさらに身近に感じてもらえることは間違いない。そして韓国語を知ることによって見えてくる日本の姿もきっとあるはずだ。
 

プロフィール
崔盛旭(チェ・ソンウク)

映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)、『韓国女性映画 わたしたちの物語』(河出書房新社)など。日韓の映画を中心に映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

著書韓国映画から見る、激動の韓国近現代史(書肆侃侃房)
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