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【試し読み】チェ・ウンミ『第九の波』

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書肆侃侃房による韓国女性文学シリーズ第8弾、『第九の波』(チェ・ウンミ著、橋本智保訳)が9月に刊行されました。
2012年、江原道にある町で実際に起こった事件をモチーフにした、社会派×恋愛×ミステリーの長編小説となる本書は、石灰鉱山にまつわる謎の死、カルト宗教団、原子力発電所の誘致をめぐる対立などが混在し、欲望が渦巻く陟州で、翻弄される3人の男女の恋愛を描きます。
今回は、プロローグと1章の一部を公開。静かに始まる物語に、どこか不穏な空気が立ち込める模様をお楽しみください。

プロローグ

道路の長さは四・八キロだった。山の端が絶壁になっており、道路はその上を走っていた。すぐ下は海だった。十数年前につくられたこの湾岸道路には、数万人の名前が刻まれた塔が立っている。新たな千年が始まった日、人々は塔を建て、その前にタイムカプセルを埋めた。カプセルを開ける時期を百年後にするか千年後にするか意見が分かれたが、結局二一〇〇年に決まった。
長さ六十キロほどの海岸線を持つこの町で、道路があるのはほんの一部の区間だった。いつの頃からか、日の出を見るために多くの人がこの道路に駆けつけた。記念公園の前に車を止め、松林のなかに延びた散策路を歩いた。塔の前で願い事をするのも忘れなかった。街灯と同じ高さの設置台には、海と太陽を表した旗が掲げられていた。海から昇ってくる太陽は市のシンボルだった。太陽は湾岸道路のいたるところで輝いた。見晴らしのよい岩の上に哨所[歩哨の詰め所]があり、奇岩と怪石のあいだにはとても小さな浜辺があった。海に暮らす鳥たちが潮風に吹かれながら、道路の上を、奇怪な岩石と哨所と塔の周りを、飛びまわった。
水温の異なる海流が出会って一定の方向へ休みなく流れていくところ、海の性質を秘めた石灰岩によって山のなかに洞窟ができるところだった。そこで太陽は昇り、そして沈んだ。山と海に挟まれた絶壁を道路が走る、北緯三七度・東経一二九度の地点で、これらすべてのことが起こった。湾岸道路の北端から車で十分ほど、歩くと一時間、走ると三十分ほどかかる南端に、オラ港があった。

一章

市の保健所では、毎週水曜日に高血圧予防の教育を行っていた。そのうち第三水曜日には、栄養事業室と呼ばれる構内の食堂で「減塩料理教室」が開かれた。保健所に心・脳血管疾患として登録されている老人たちは、火曜日には笑い治療を受け、金曜日には血圧と血糖の測り方を教わった。減塩料理教室のある第三水曜日に参加者がもっとも多いのは、その日は保健所で昼食をまかなってもらえるからだった。
一方、保健所の職員たちにとってはストレスだった。その日は社員食堂にチゲも汁物も出ないのだから。もともと、ひと月に一回なら仕方ないとあきらめていた。ところが、市の薬剤師会と「中風にならずに百歳プロジェクト」の業務協約が結ばれた日、所長が、第三週目をまるごと減塩食実践の週にすると宣言したのだ。保健所の職員が率先してお手本を見せるべきだという理由だった。職員たちは食費として毎月六万ウォン[六千円ほど]が給料から引かれていたので、一週間ずっと外食するのは痛かった。第二週目の金曜日になると、職員たちは集まってあみだくじをし、コチュジャンを持ってくる人、チャンアチ[野菜のピクルス]を持ってくる人を決めた。汁物は各自、保温ポットに入れて持ってきた。ただ、これは保健所で多数を占める四十代の女性職員のやり方で、男性職員はほとんど外で食べた。数少ない二、三十代たちはいつも別行動だったので、彼らが汁物のない週にどう対処しているのかはわからなかった。
炒めただけのしいたけ。パプリカしか入っていない味もそっけもない海苔巻き。ゆでて和えただけの黒っぽいナムル。これらを本当においしそうに、何度もおかわりして食べる職員が一人だけいた。公益勤務要員[兵役に服す際、何らかの理由で役所や福祉施設などの公的機関で代替勤務をする。以下、公益とする]だ。
毎日のように理学療法を受けに保健所にやって来る老人たちは、受付の窓口に来ると、真っ先に「うちの公益さん」はどこにいるのかと尋ねた。保険証を取りにきたカフェのアルバイト生は、保健所に来るなり公益のところに走っていった。地域社会看護学のインターンで保健所に来ている看護学部の学生たちも、一週間もすると彼と親しくなり、幼なじみのようにじゃれ合った。なかには、電話番号を教えてもらいたかったのにと残念がる人もいた。
彼が保健所に初めて出勤した日、周りは彼を「ソ・サンファさん」と呼んだ。その後「サンファさん」「サンファ君」になったが、頼み事をするときは「ソ公」だった。彼らは何かあるたびに「ソ公」を呼んだ。パソコンの調子がおかしいと「ソ公」、コピー機が故障すると「ソ公」、ウォーターサーバーにボトルを差し込むときも、モップが必要なときも、鉢植えが枯れそうになっても「ソ公」を呼んだ。保健所のなかで、ソ公の手が行き届いていないところはなかった。
十二時五〇分、ソン・イナは昼食を済ませ、二階の自動販売機のそばで一階を見下ろした。保健所の建物は一階から三階まで、内部が吹き抜けになっていた。そのため、二階、三階の通路に立つと、一階ロビーの中央にあるコバノナンヨウスギの鉢植えが見下ろせた。その鉢植えを囲むようにして、左側の受付デスクと、右側の正面玄関の方にソファが置かれていた。訪問客の数に比べてソファが横長すぎるのではないかと、ソン・イナはロビーを見るたびに思った。保健所がここ三陽洞の千五百坪の敷地に新築移転したのは、二年前のことだった。以前は外壁がカビだらけだったのに、いまでは道立医療院や市庁舎など、人口七万人の小さな市の公共施設のなかで、いちばんきれいで快適な場所となった。立派な三階建ての建物の外には庭園があり、運動器具やベンチがバランスよく配置されていた。庁舎の新築とともに、事業の規模も拡大した。ソン・イナがこの陟州市保健所に来たのはその頃だった。
治療室前の受付番号の表示は、待機者数「1」のままだった。三月なのにまだ冬の終わり頃を思わせ、暖房のきいた室内は乾燥していた。昼食を済ませた職員たちはどこで何をしているのか、姿が見えなかった。一階を揺るがしている大型ヒーターの音だけが聞こえてきた。治療室の前で血圧を測っている老人が、さっきからうつむいて咳をしていた。老人は治療室のドアが開くまでずっと咳をし続けた。老人がなかに入ると、ようやく待機者数が「0」になった。ソン・イナは空の紙コップをゴミ箱に捨てたあとも、手すりのそばから離れなかった。受付デスクの上のLED電光掲示板に、今年の事業内容が五秒ごとに流れた。「低出生体重児、および先天性障害児の医療費助成」「高齢者の開眼手術」「認知症患者の失踪予防、位置情報機器の助成」「じん肺患者の在宅医療費助成」「低所得ひとり暮らし高齢者のための、訪問服薬指導実施」。誰もいないソファの上で、それらは虚しいほど鮮やかだった。
健康増進室から出てきた一人の老人が、ゆっくりと玄関口の方へ歩いていった。玄関口からいちばん近いところに、滑り台の下に色とりどりのボールプールが敷き詰められたキッズルームがあった。そこを利用する子どもはあまりいなかった。特別な用事があってもなくても、保健所に来るのはほとんどが高齢者だからだ。健康増進室は、キッズルームの角を曲がっていちばん奥にあった。診療や治療のない日には、老人たちは誰もいないキッズルームの前を通って健康増進室に行った。そこにはランニングマシンとマッサージチェアが一列に並んでいたが、ランニングマシンを利用する老人はいなかった。彼らの目的はマッサージチェアで、一度座ると何時間も腰を上げようとしなかった。向かいの壁にはテレビと時計とカレンダーが掛かっていたが、誰も見なかった。互いに言葉も交わさなかった。碑石のように固まった彼らは、誰かが入ってくると目玉を動かしてじろっと見、誰かが出ていこうとするとまた目玉を転がした。そして腹が減ると老人福祉会館へ行くなり、家に帰るかするのだった。
診療室と健康増進室から出てきた二人の老人の姿が見えなくなると、ロビーはまた沈んだ雰囲気に戻った。でもソン・イナは、その状態が長続きしないことを知っていた。案の定、淀んでいた空気をかき乱すかのようにソ・サンファが現れた。両手に白い灯油タンクを持った彼は、早足でヒーターの方へ向かった。満タンの灯油タンクはずいぶん重そうだった。ソ・サンファは一気に灯油を注ぎ込み、手に持っていた雑巾で給油口を拭いた。それから診療室わきの浄水器のもとに行き、濡れたところを拭いたあと、玄関口に散らばっている傘のビニール袋を片づけた。ソ・サンファが通り過ぎたあとは、手指消毒器の上にあった飴の包装紙が消え、車椅子が折り畳まれ、歪んでいた結核予防のバナーがまっすぐになった。一時を少し過ぎた頃、どこからか職員たちが一人二人と戻ってきた。ソ・サンファはぺこりと頭を下げた。彼らの一人が声をかけながら頭を撫でると、ソ・サンファは子犬のように笑った。そのとき、玄関の自動ドアが開き、腰に手をあてた老人が入ってきた。ソ・サンファはさっと駆け寄って老人を支え、一緒に受付まで歩いていった。モノクロの風景のなかで、ソ・サンファの動線だけが赤くなったり青くなったりした。
「後悔してる?」
誰かに肩をぽんとたたかれて、ソン・イナはようやく手すりから身を離した。トイレに行こうとしているその人に目礼をしながら、ソン・イナはソ・サンファの履歴書を思い出した。軍番と住所の番地が、暗号のように頭に浮かんでは消えた。電光掲示板には相変わらず「認知症」「じん肺」「訪問服薬指導」などの文字が順番に流れていた。
「後悔してる」
電光掲示板に目を向けた一瞬のあいだに、ソ・サンファの姿はもうなかった。
「奪ってしまいそう」
ソン・イナはそうつぶやき、事務室に入っていった。

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『第九の波』 チェ・ウンミ

思わず息を詰めていた。市民の健康より利権や金を優先する政治と大企業、監視し合う人々……2012年の事件を題材とする本作のきな臭い空気がいまの日本に重なる。深呼吸するためには、主人公のように自らもがかねばならない。
――小山田浩子(小説家)


東海岸の町、陟州をご存知だろうか。石灰鉱山にまつわる謎の死、カルト宗教団、原子力発電所の誘致をめぐる対立などが混在し、欲望が渦巻く陟州を。驚くほど詳細なディテールで描かれた、いまにも手が届きそうなほど鮮明で、恐ろしいほどリアルな陟州を舞台に、この地で苦しい思春期を送った3人が再び舞い戻り、繰り広げられる憎しみと羨望のドラマがゆっくりと浮かび上がる。しかし、何といってもこの小説が読者の胸を熱くさせるのは、彼らのラブストーリーだ。こんなにのめり込んだ悲しい愛の大叙事詩は久しぶりだ。さすが『目連正伝』を書いたチェ・ウンミだが、これが初めての長編小説だとは。驚きだ。
――クォン・ヨソン(小説家・『春の宵』著者)

【著者プロフィール】
チェ・ウンミ(崔銀美/최은미)
1978年、江原道インジェ生まれ。東国大学史学科を卒業したあと、仏学研究所に勤める。2008年『現代文学』の新人推薦に短編小説「泣いて行く」が当選し、作家としてデビュー。いま最も注目される作家の一人である。
小説集に『あまりに美しい夢』『目連正伝』、中編小説に『昨日は春』、長編小説には『第九の波』がある。2014、2015、2017年と続けて若い作家賞を受賞。本書『第九の波』は、緻密な描写力と卓越した洞察力が評され、2018年大山文学賞を受賞した。どの作品にも著者の仏教的な世界観が垣間見られる。


【訳者プロフィール】
橋本智保(はしもと・ちほ)
1972年生まれ。東京外国語大学朝鮮語科を経て、ソウル大学国語国文学科修士課程修了。
訳書に、鄭智我『歳月』、千雲寧『生姜』(ともに新幹社)、李炳注『関釜連絡船(上・下)』(藤原書店)、朴婉緒『あの山は、本当にそこにあったのだろうか』(かんよう出版)、クォン・ヨソン『春の宵』(書肆侃侃房)、ウン・ヒギョン『鳥のおくりもの』(段々社)、キム・ヨンス『夜は歌う』(新泉社)など。

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