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【素面のダブリン市民】第3回 ブルームの日(北村紗衣)

 先日、6月16日は「ブルームの日」(Bloomsday、ブルームズデイ)でした。ブルームの日というのはジェイムズ・ジョイスが1922年に刊行した小説『ユリシーズ』の主人公であるレオポルド・ブルームからとっています。ジェイムズ・ジョイスは1882年にダブリンで生まれたアイルランドの作家で、詩・戯曲・小説など幅広い分野の著作を残しましたが、小説が最も有名で、20世紀文学において高く評価されている小説家のひとりです。代表作である『ユリシーズ』は1904年6月16日のダブリンを描いた作品です。1904年6月16日というのは、実は著者のジョイスが後に妻となるノラ・バーナクルと初めて本格的なデートをした日でもあり、その日を舞台に小説が展開する…というわけです。

 毎年、6月16日は『ユリシーズ』のみならずジョイスの作品や業績についての記念日として世界中で祝われています。2024年6月16日は120周年ということで、ダブリンのいたるところでいろいろな催しが行われました。ジョイスはこの連載のタイトルである『ダブリン市民』の著者でもあるので、今回の記事ではブルームの日について書きたいと思います。

『ユリシーズ』とは?
 
『ユリシーズ』はたった1日の出来事を描いた小説です。1日の話ならそんな長くないだろう…と思うかもしれませんが、実は26万5千語以上、ページ数だとレイアウトによりますが700ページを越えます。ちなみに私は英文学とはいっても演劇の研究者で、長い小説はそんなに得意ではありません。芝居というのは『ハムレット』みたいな長い芝居でも3万語くらいです。上演時間についても、まあだいたいの大作劇は4時間くらい我慢すれば終わります(ワーグナーにハマると別ですが)。『ユリシーズ』はアイルランド放送協会が全編をちゃんとした朗読劇にしたことがあり、ポッドキャストで配信されていますが、29時間45分あります。うーっ、小説の研究者は大変ですね…

 『ユリシーズ』のタイトルであるユリシーズというのはギリシア神話に出てくるオデュッセウスのことです。小説『ユリシーズ』はホメロスの叙事詩『オデュッセイア』に対応して書かれた作品で、オデュッセウス(ユリシーズ)にあたるのがダブリンに住んでいるユダヤ系アイルランド人の中年男性レオポルド・ブルーム、妻ペネロペイアにあたるのが歌手のモリー・ブルーム、オデュッセウスの息子テレマコスにあたるのが文学青年スティーヴンです。作品は18の挿話に分かれており、それぞれギリシア神話に関係するタイトルがついています。全体がどういう話か…というのは説明が難しいのですが、レオポルドやスティーヴンがダブリンの町をいろいろ歩き回る一方、レオポルドの妻モリーは浮気をしているらしい…というのが内容です。

 このざっくりした説明では何が面白いのかサッパリわからないと思いますし、正直、全然読みやすい小説ではありません。パロディやひねったユーモアがふんだんに盛り込まれた実験的な作品で、相当に読む人を選ぶと思います。ダブリンに来てからイベントや博物館などで、ガイドさんが「『ユリシーズ』を読んだことがある人はいますか?」などとお客さんたちにたずねているのをけっこう見かけましたが、文学系のイベントや展示に来る人でもみんなそこまでちゃんと読んでいません。私は『ユリシーズ』は笑うところがたくさんある面白い小説だと思いますが、他人にすすめやすいかと言われると「うーん…」という感じですし、『ダブリン市民』のほうがずっと簡単で楽しくすぐ読めると思います。なお、ジョイスは『ユリシーズ』の後に『フィネガンズ・ウェイク』(1939)という長編小説を書いていますが、これはあまりにも難解なので、アイルランド人でもあまり読んでいないようです。

 ジョイスは今風に言うとユニバースを作る作家です。短編集『ダブリン市民』(1914)とスティーヴンが主人公である半自伝的な小説『若き芸術家の肖像』(1916)は『ユリシーズ』と同じ世界観で展開しており、一部の登場人物が共通しています。この3作はいずれも20世紀初め頃のダブリンを極めて克明に描いており、実際に存在した建物や通り、場合によっては実在する地元の有名人などが登場します。なお、ジョイスは1904年からノラと一緒にダブリンを出て大陸ヨーロッパで暮らすようになったので、代表作のほとんどはダブリンで執筆していません。ダブリンから遠く離れて、ひたすらダブリンのことをリアルに書いていたわけです。英文学ではちょっとくだけた言い方で1600年前後のロンドンを「シェイクスピアのロンドン」、18世紀半ば頃のロンドンを「サミュエル・ジョンソンのロンドン」、19世紀半ば頃のロンドンを「ディケンズのロンドン」と言ったりしますが、20世紀初め頃のダブリンは「ジョイスのダブリン」です。

ジョイスのためのお祝い
 けっこう難解な『ユリシーズ』ですが、今では20世紀文学の金字塔として世界中で広く読まれています。6月16日はブルームの日としてジョイスを記念するためのお祭りをする日になりました。1994年からはダブリンのジェイムズ・ジョイス・センターの音頭取りで、ダブリンでお祝いが行われるようになりました。今年は6月10日から16日にかけて各地で100くらいのイベントが行われました。朗読会とか史跡のガイドツアー、展示などはもちろん、ジョイスを記念するヨガイベントまであったそうです。本屋さんにもこの時期はジョイスの著作が並び、ちょっとしたお祭り騒ぎです。

書店に平積みされている『ユリシーズ』。
後ろにかすかに柚木麻子『BUTTER』の英語版平積みも見える。 
撮影:北村紗衣

 私は1年しかダブリンにいることができず、今年がダブリンでブルームの日を体験できるチャンスなので、とにかくいっぱいイベントに行きました(最初はぼんやりしていたのですが、『フィネガンズ・ウェイク』を読む会をしている地元のジョイスコミュニティの方々にめちゃくちゃたくさんイベントがあるということを教わり、事前に気合いを入れて計画をたてました)。自分の個人ブログに簡単なイベントレポートを書いていますが、木曜日から日曜日までの4日間で9つのイベントに参加しました。日曜日は実際にジョイスが短期間滞在し、『ユリシーズ』の冒頭「テレマコス」挿話の舞台となり、現在は博物館になっているサンディコーヴのジェイムズ・ジョイス・タワーで過ごしました。日曜日はお天気がよく、サンディコーヴには海水浴場があるため、朝はエドワーディアン風の衣装に身を包んだジョイスのファンと半裸の海水浴客でタワーの近所がごった返しており、なかなかカオスでした。

ジェイムズ・ジョイス・タワーの外観 
撮影:北村紗衣
ジェイムズ・ジョイス・タワーの中
撮影:北村紗衣
お天気の良いサンディコーヴのビーチ
撮影:北村紗衣

 私はお芝居の研究者なので舞台系のイベントを選んで行くようにしたのですが、役者陣がジョイスを朗読したり演じたりするのを見ていると、今まではよくわからなかったところが見えてきたりして、なかなか斬新でした。役者さんがひとりでジョイスを朗読するのを聞いてまるでオチのない前衛的な落語みたいな感じだな…と思った一方、会話の場面などを複数の役者で上演するところを見ていると、その後に出てきたアイルランドの劇作家のお芝居とけっこう共通するようなオフビートなユーモアがうかがえるな…とも思いました。個人的に一番ウケたのはUlysses aWakeというジョイス・タワーの外で上演されたお芝居で、これは90分で『ユリシーズ』を最初から最後までダイジェストで上演するという勇気ある試みです。そんなん無理でしょ…と思いますが、見てみると歌あり踊りありジョークありでけっこうちゃんとやっていて楽しめました。

 こんなにイベントがたくさんあり、町をあげてひとりの作家の業績を祝うお祭りがあるのは楽しいことですが、一方でいい気なもんだ…という感じもあります。というのも、ジェイムズ・ジョイスは生前から20世紀半ばくらいまではアイルランドではあまりウケが良くなかったからです。当時のアイルランドはカトリック教会の影響力が強い非常に保守的な社会で、先鋭的な芸術家にとっては住みにくいところでした。『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』でとりあげたジョン・ミリントン・シングやショーン・オケイシー、現在もご存命の大作家エドナ・オブライエンなど、野心的な作風ゆえに地元で不興を被ってしまったアイルランドの作家はたくさんいます。ジョイス自身が若い頃にダブリンを出たのもこうした環境が一因ではないかと言われています。しょうもない下ネタから教会や性道徳に対する辛辣な諷刺まで尖った笑いをたくさん含んでおり、ダブリンの社会のダメなところも容赦なく描写する前衛的なジョイスの作品はこうした風潮の中ではあまり好かれていませんでした。ジョイス・センター主催のウォーキングツアーでの解説によると、1960年代くらいまではダブリンの書店に行ってもジョイスのコーナーはなく、店員に聞かないと買えないくらい不人気だったそうです。ジョイスが地元で人気になるのは堅苦しい道徳観が揺らいでくる20世紀後半になってからで、ブルームの日が広く祝われるようになったのも1990年代からです。

 掌を返したように今はジョイスを宝扱いしているなかなかいい加減なダブリンですが、一方でうらやましいと思うところもあります。町をあげてこんなにひとりの作家の業績をお祝いするというのは、文学を大事にする雰囲気がないと起こらないことです。私はまだ少ししかダブリンに住んでいないのでただの印象にすぎませんが、今まで住んだことがある東京やロンドンに比べると、ダブリンには歴史とか芸術的な伝統というような、お金だけでは買えない価値を大事にする気風がまだ商業主義に完全に毒されずに多少生き残っているように見えます。これにはもちろんイギリスに植民地として支配され、長きにわたって貧しい国として苦労を重ねてきたため、民族のアイデンティティの拠り所としてアイルランドの文化を大事にしないといけないというナショナリズム的な意識が背景にあります。日本にもナショナリズムを訴える人はけっこういますが、一方でそういう人たちが日本の芸術的な伝統のようなお金で買えない価値のあるものを大事にしているか…というとそういうわけでもないと思います。お金で買えないものは後からお金を払って買い戻すことができないので、一度失ってしまうと元に戻すのは困難です。そう考えると、今のダブリンがジョイスを大事にし、ブルームの日を盛大にお祝いするのもまあいいんじゃないか…と思えてきます。

プロフィール
北村紗衣(きたむら・さえ)

北海道士別市出身。東京大学で学士号・修士号取得後、キングズ・カレッジ・ロンドンでPhDを取得。武蔵大学人文学部英語英米文化学科教授。専門はシェイクスピア・舞台芸術史・フェミニスト批評。
twitter:@Cristoforou
ブログ:Commentarius Saevus


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