見出し画像

【試し読み】渡辺考『少女たちがみつめた長崎』Part2

長崎原爆投下からまもなく75年。被爆した元少女たちがたどった過酷な運命を日記や手記などを通してつぶさに追体験した長崎西高の高校生たちの奮闘を描く『少女たちがみつめた長崎』(渡辺考)を8月に刊行します。

本書の第3章「「あのとき」の記憶と記録」からの一部抜粋を、3週にわたって連載していきます(part1はこちらからお読みください)。

画像2

一瞬の閃光

立川さんは、原爆が投下されたその瞬間も細かく描写していました。

(略)ひまだったので昨日の日記をつけようと思ひペンをにぎった時 急にパッと強い光があたりにみなぎって目の前が真黄色になった。私はその瞬間「事務室の電気がこしょうしたのかしら」と思った。しかし顔を押さへてうつぶした後はもう何事も分らなくなってしまった。何かバラバラと上から落ちて来て頭をガーンと打たれた様な気が何度かした。

強烈な光。そして激しい熱風。華奢な少女たちにはひとたまりもなかったに違いありません。立川さんはこう語ります。
「その瞬間は、パッというような光を浴びたことは覚えています。でも、すぐに工場の建物が崩れてきて下敷きになって気を失ってしまいましたね」
立川さんの旧姓は「南里」さんです。彼女は、冷静に自身の内面も記録していました。

そして「私はもう死んでしまふのだらう」といふ考へがちらっと私の脳裡をかすめた。「南里さん南里さん」といふ呼び声がかすかに聞こえた様な気がしてハッと気がついて目をあけてみると、ああ何たるみじめさ! 一瞬にして天井も壁もなくコンクリートの壁までもう何もかも倒れがらがらになったいろいろなものの下に私は倒れてゐた。

「一緒にいたT子に名前を呼ばれ、意識が回復したんです。そのあと、無我夢中で彼女と手を取り合って一緒に逃げた。日中なのに外は真っ暗でね」
その時の様子を立川さんはこう綴っています。

外に出ると天も地も真黒だ。工場は皆ガチャガチャにつぶれて黒い煙の様なものがあたりにただよって少し先しか見えない。どちらに逃げて良いのかとうろたえていたが、血をダラダラ流しながら逃げておられる男の人たちの行かれる方に二人で逃げた。(中略)二人とも血まみれだ。(中略)川の向ふの畠はあの青い野菜も火の海と化してゐる。それらの間を縫って田の中を走った。          

「太陽が白く浮かんで見えました。焼けた瓦礫やガラス片を踏みながら、人が行く方にわたしたちも逃げました。火傷をして狂ったように駆けていく馬を避けました。もうそのくらいのことしか憶えてないですね。本当に怖かったですね」
立川さんが最初に読んでくれた怪我を負った描写を読むと、その時の情景が目の前に迫ってくるようでした。

顔中血がダラダラ流れて左の眼は見えない。(中略)私は血まみれの顔をさはつてみるとぬるぬるとした血の中にたくさんの傷口があいている。私はもう目の前が真っ暗になってしまった。こんなに傷をうけて人前にも出られないと思ふと急に悲しくなって涙がポロポロと流れた。手を見ると肉がカギ型に切れてだらつと下つてゐる所もあるしくびにも大きく切れてゐるし、真白の県立の制服も新しいサージのもんぺも髪も顔も手も血!血!ダラダラと流れて真赤になつてゐる。そのぬるぬるとした手ざはり。身ぶるいする様なこの姿。次々に傷のあるのを発見するたびに私はもう悲しくて悲しくて涙を流さずにはいられなかった。ああ本当に夢のようだ!一瞬パッと光ったと思ふともうこんなにひどいけがをしてゐるなんて……夢であつてくれ 夢であつてくれ。此の悪夢からさめたならば、どんなにかうれしい事だらう。しかし此の悲惨な出来事は夢ではなかつた。

立川さんは、自身が受けた満身の傷をこう語ります。
「頭とか、首とか、顔とか、肩とか、腰とか。そして両方の腕。すごい傷でしたね。兵器工場のわたしの職場は四方がガラス張りの部屋だったから、主にガラスで切った傷でしたね」
立川さんの姿を近くで目撃していた友人は、のちにこう語ったといいます。
「首の傷口からかなり血が流れているのを見て、よっぽど印象が強かったみたいで、『絶対にこの人は死ぬって思った』と、『血が流れるじゃなくてほとばしり出ていた』などといわれました」
友人からそう告白されたのは、実に50年以上も経ったあとだといいます。それだけ傷ついた立川さんの姿は忘れられない強烈な印象を与えたのでしょう。立川さんは別の友人たちからも絶望的な目線を向けられていました。
「『絶対に助からないと思ってた』って皆さんがそうおっしゃるんですよ。『あなたがこんなに長生きするなんて思わなかった』って。だからかなり酷かったんでしょうね」
立川さんの鼻筋には今も深い傷跡がくっきりと残っています。首筋にも大きなケロイドが一筋ながく伸びています。
「左から熱線を受けましたから顔の左半分を怪我し、大変でした。だから鼻にはまだちょっと残ってるんです。頭にも色々と刺さってしまって、すごい傷があって、今も陥没して引っ込んでいるんですけど」
そういいながら立川さんは、自分の頭を右手で触りました。そこを見せてもらうと、頭頂近くに1センチ四方のくぼみがありました。
そのような傷を負いながら、立川さんは、何を思い日記をつけていたのでしょうか。
「原爆の状況を細やかに書き残したい。誰に見せるわけではないけれど、この体験を忘れてはいけない、どうにか記録して文章に残さなければいけない、という気持ちだったに違いありません」
体験を風化させまいという意思が、貴重な記録を今日に伝えることになったのです。

それぞれのその瞬間

県立高女の少女たちは、原爆投下のその時、どうしていたのか。あらためて安日さんと市丸さんにも話を聞きたいと思い、ふたたび集まってもらいました。
8月9日、安日さんは職場に行くと、いつもと違う雰囲気を感じていました。
「ふだんわたしの向かい側の席の先輩は病気で休んでいたから、空いていたんです。わたしはその席が気に入っていて、いつも座っていました」
しかし、欠勤が多い先輩は出勤しており、安日さんは自席で作業をしていました。そして11時2分を迎えました。
「いきなり、雷が自分に落ちたみたいに、ばーんと衝撃がきたんです」
安日さんは、気を失いました。
「明るく輝く黄金の光に包まれ、小鳥は歌い、花は咲いている。わたしは裸足で川をね、一人でずっと歩いていました。人が亡くなる時は光の中に包まれるっていうけれど、なんて気持ちがいいんだろうと感じていました」
立川さんが口を挿みます。
「きれいだったのね」
「すごくいい香りでね、わたしはそこをずっと歩いていたの。あの世に渡りかけていた時、ああこのままでは死ねないって、急に苦しくなって意識が戻ったんですね」
職場を見渡すと、ふだん安日さんが座っていた向かいの先輩の席はまともに原爆の熱線にさらされていたといいます。その先輩は10日後に亡くなり、安日さんは、いまも彼女が自分の代わりに死んだ気がしてならないと悩み続けているといいます。
市丸さんは運命の瞬間をこう語りました。
「割れたガラス片を頭から全身にかぶりました。怪我もしましたね。今もね、橈骨神経麻痺でね、手が十分に動かないんですよ」
市丸さんは、その場で伸ばしていた右手を肩に向けてまげようとしましたが、確かに左手よりも半分程度しかまがりません。
「傷を見せましょうか」
市丸さんは両方の袖をまくると、縦に10センチほどのケロイド状の傷跡が数カ所ありました。
「なんべんも整形した跡です」
時間が消し去らない原爆の痕跡は、生々しいものでした。(Part3につづく/7月30日公開予定)

------------------------------------------------------------------------

渡辺考『少女たちがみつめた長崎』

体重34キロ・青春が全部戦争昭和20年8月9日、長崎の兵器工場に動員されていた女生徒たちを原子爆弾が襲った。少女たちは苦しみをかかえ、どう生きてきたのか。彼女たちの日記が、今、女子高校生たちの心をゆさぶる。世代を超えた少女たちの交流の記録。
――青来有一(小説家)


2019年8月17日に放送され大きな反響を呼んだ、NHK 「ETV特集 少女たちがみつめた長崎」、待望の書籍化!
長崎原爆投下からまもなく75年。被爆者たちの命の灯が次々に消えていく中、元少女たちがたどった過酷な運命を日記や手記、対話などで、つぶさに追体験した長崎西高放送部の高校生たちの奮闘を描く。ぜひ、すべての高校生たちに読んでもらいたい1冊。

【目次】
 プロローグ 同じこころざし
 第1章 原爆を見つめ続ける
 第2章 原爆前夜の少女たち
 第3章 「あのとき」の記憶と記録
 第4章 高校生、十一時二分と向きあう
 第5章 戦後それぞれの苦難
 第6章 自責の念と罪の意識 
 第7章 わたしたちがつなぐ
 第8章 未曾有の時代の中で
 エピローグ 未来のために
 あとがき


【著者プロフィール】
渡辺考(わたなべ・こう)
テレビディレクター。1966年東京生まれ。早稲田大学政経学部卒。1990年NHK入局、福岡放送局、番組制作局、大型企画開発センターなどを経て現在はNHKエデュケーショナルプロデューサー。制作した番組に、ETV特集『もういちどつくりたい~テレビドキュメンタリスト木村栄文の世界~』『シリーズBC級戦犯(1)韓国・朝鮮人戦犯の悲劇』、NHKスペシャル『学徒兵 許されざる帰還~陸軍特攻隊の悲劇~』などがあり、3作品とも、ギャラクシー賞選奨(テレビ部門)を、またETV特集『戦場で書く』は、橋田賞を受賞している。他にも放送文化基金賞などを受賞。近年は映画制作にもかかわる。
著書に『戦場で書く火野葦平と従軍作家たち』、『特攻隊振武寮 帰還兵は地獄を見た』(大貫健一郎氏との共著)、『プロパガンダラジオ 日米電波戦争 幻の録音テープ』(筑摩書房)、『最後の言葉 戦場に遺された二十四万字の届かなかった手紙』(重松清氏との共著)ほか多数。『ゲンバクとよばれた少年』(中村由一氏、宮尾和孝氏との共著)は第24回平和・協同ジャーナリスト基金賞を受賞。近著に『まなざしの力』(かもがわ出版)。

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?