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ファンタズミック!考察のようなもの


はじめに

 どうも。通りすがりのディズニーオタクです。
 先日、我が最愛のショー「ファンタズミック!」が終了いたしました。いつの間にか。
 とは言え、終わり方について今日はあれこれ泣き言を言うつもりはありません(不毛ですし)
 そこで、「ファンタズミック!」(以下、「!」を省略)終了時に語ろうと思っていた、私の「ファンタズミック」解釈について語ろうと思います。

 先述の通り、私にとって「ファンタズミック」は私にとって最愛のショーでした。その理由は、「ファンタズミック」こそディズニー精神の集大成だと思うからです。


東京ディズニーシー 「ファンタズミック」への道

 それでは詳しく内容を見る――前に、パークにおける「ファンタズミック」の歴史を振り返ってみましょう。ディズニーオタクならばご存じでしょうが、「ファンタズミック」のオリジナルはアメリカのディズニーランド(カリフォルニア アナハイムのもの)で誕生しました。その後フロリダディズニー、日本と公演開始しました。以下に日本で公演開始するまでの略歴を記載します。

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※ソーサラーミッキーとは赤いローブと青い魔法の帽子をかぶったコスチュームのミッキーのことです。
※このあと2016年にカリフォルニアディズニーランドにて大幅な内容改定がされています。

 ・・・こうして見ると、東京ディズニーリゾートの方々がずっと「うちでもファンタズミックやりたいんじゃあ!」と熱望していたことが、なんとなく透けて見えます。
 そしてアメリカで公開開始してから約20年、世紀さえ超えて2011年4月23日に東京ディズニーシーで公演開始

 しませんでした。

 ご存じの通り、東日本大震災の影響で東京ディズニーリゾートは休園中であったためです。実際には5日後の4月28日から公演開始となりました。当時、震災の被害でコンクリートの地面が液状化するなどしたため、物理的に開園およびショーの準備が難しかったのです。
(なお、お昼のショーである「Be Magical!」も延期され、9月4日から公演開始になりました。ミッキーたちの衣装がソーサラーミッキーのものに似ているので、同時公開したかったのだろうということがうかがえます)

 そんな想定外の事態も乗り越えつつ公演開始した「ファンタズミック」は、人々の大きな感動を呼びました。日本全体が震災後の悲しみと自粛ムードに沈んでいる状態だったので、復活・復興の象徴のようにも見えたかもしれません。アメリカのオリジナル版には劣ると感じる方もいたようですが、おおむね絶賛されていたように思います。
 東京ディズニーランドしかなかったころ、一度は「ファンタズミック」自体の公演を諦めました。東京ディズニーシーができたあとも、ハーバー内に陸地がない、ハーバーの広さ的に水のスクリーンや火炎放射をどこまで使えるかなどなど・・・素人の私でもイマジニアの皆さんが様々な創意工夫と苦悩を積み重ねたであろうことがしのばれます。まさかの天災にまで阻まれました。

 とここで、「イマジニアとはなんぞ?」と思った方がいるかもしれません。

 イマジニア(Imagineer)とはディズニー独自の言葉です。パークのアトラクションやショー・パレードの企画や開発を行う人たちのことで、「イマジネーション」と「エンジニア」を合わせた造語です。
 しかし、なぜわざわざこのような造語を作ったのでしょうか。そのまま「エンジニア(engineer=技術者)」、あるいは――「クリエイター(creator=制作者)」という単語でもよかったはずです。

 ここからは私の想像、イマジネーションです。ですので、どこかの書籍などで正解が書かれている場合はあとでこっそり教えてください。後ほど訂正いたします。

 イマジネーション(想像)の産物と、クリエーション(創造)の産物の違いは何でしょうか。いろいろあるとは思いますが、私の考えはこうです。

 イマジネーションの産物は、制限・際限がありません。
 クリエーションの産物は、現実に存在させることができますが、様々な制約がかかります。

 これだけではよくわからないと思うので例を出します。
 例えばギリシア神話には、ダイダロスとイカロスの親子がいます。彼らはロウで翼を作り、空を飛びます。これは神話、イマジネーションのお話の中の出来事です。
 これと同じことを現実に行おうとした場合、果たして可能でしょうか。
 人間の体は鳥のように軽くはなく、胸筋も発達していません。たとえ鳥のように羽ばたけたとしても、材料がロウでは羽ばたいているうちにぼろぼろと崩れてくるでしょう。一言で言ってしまえば「現実的に無理」なのです。これがクリエーションにおける制約です。実際に何かをクリエーション(創造)しようとしたとき、材料、コスト、人員、納期、力学、倫理・・・さまざまな制約が、想像の翼に鎖となって絡みつきます。
 パークのアトラクションやショーとして「実現」させるためには、こういった制約との折り合いは不可欠になります。けれどその前に、イマジネーションの翼をどこまでも自由に広げてほしい。「やってみたい」「できたら素敵」を諦めないでほしい。そんな思いが込められた言葉なのではないかと思います。
 そしてイマジニアの皆さんは「現実的に無理」と思われた、東京ディズニーシーでの「ファンタズミック」公演を実現させました。夢をかなえた、と言ってもいいかもしれません。

「ファンタズミック」の内容

 それでは次に(ようやく)内容について見ていきましょう。
 この文章をまだ読んでいる方は、おそらく「ファンタズミック」を見たことがあるとは思うのですが、よろしければ一緒におさらいしてください。
 なお、「ファンタズミック」の音楽にはところどころ英語の歌詞が入る部分があります。その歌詞の内容も記載いたします。訳はニコニコ動画に投稿されていたものを参照いたしました。間違いに関してはご指摘いただきたいのですが、センスがない・意訳が過ぎるといったご不満は飲み込んでいただけると幸いです。

―あらすじココカラ―
 海上に浮かぶ魔法の帽子の周りに、霧が立ちこめる。
 そこへ魔法の帽子をかぶったソーサラーミッキー登場。メインテーマに乗せて、いろんなディズニーキャラクターたちの顔が、泡沫のように浮かんでは消える。

  霧の向こう
  ベルベットブルーの海に浮かぶ
  夢のかなう場所へとあなたをいざなう
  空想の力が羽を広げる
  巣から飛び立つ鳥のように
  想像力は果てしない夢となり
  海も空も魔法に染める

  想像してみて
  あなたの夢を追いかけて
  想像してみて
  月あかりに飛び乗って
  想像してみて
  今夜私たちは闇を払い 光と魔法に包まれる
  ファンタスティックな夢が今、飛び立つ!

 ソーサラーミッキーは夢の中で魔法を使う。星を操り、いろんな世界、いろんなキャラクター達と出会う。

  夜の中へ 銀色に輝く空へと漕ぎ出そう
  旅が始まる その目を閉じるだけで
  想像してみて
  想像してみて・・・

 ミッキーが魔法の鏡に出会ったところからヴィランズ(悪役)パートに入る。ミッキーはさまざまなヴィランズに翻弄され、最終的にドラゴンに変身したマレフィセントと対峙することになる。ミッキーは動揺するが、マレフィセントに向かって言い放つ。
「き、君がどんなに強くとも――これは、僕の夢なんだ!」
 そしてヴィランズを一掃する。船に乗って現れるディズニーキャラクター達。その中には燕尾服のミッキーもいる。再び流れるメインテーマ。

  さあおいで 今夜星々の海へと舞い上がり
  夜空を横切る流れ星を追いかけよう
  時間を止めて
  僕らの魔法を探そう

  闇を払い 光と魔法に包まれる
  ファンタスティックな夢が今、飛び立つ!

  想像してみて
  あなたの夢を追いかけて
  想像してみて
  想像してみて・・・

 ソーサラーミッキーがハーバーの中心に表れる。「魔法使いの弟子」の時とは違う、白く輝く服を着ている。
「イマジネーション、ハハッ!」
 おどけるように笑うとミッキーは姿を消し、魔法の帽子だけが残される。
―あらすじココマデ―


 だいたいこんな感じです。文章ではよくわからなかったという方は、YOU TUBE でもニコニコ動画でもいろんな動画が上がっているので各自ご確認ください。約25分間なので、見る場合はお時間に余裕をもって鑑賞してくださいね。
 で、この内容なのですが、実はアメリカのオリジナルとは若干内容が異なります。

※注意※
・以下ややこしくなるので、アメリカのオリジナルの「ファンタズミック」を「米ズミック」、東京ディズニーシーの「ファンタズミック」を「海ズミック」と記載します。
・「米ズミック」に関しては初めに記載した通り、何度か内容が改定されています。何種類か YOU TUBE などの動画を確認はしたのですが、どれがどの時期のものかははっきりしませんでした。そのため一番オリジナルに近い気がするものと「海ズミック」を比較しておりますが、まあ間違っているかもしれません。

「米ズミック」と「海ズミック」の違いも上げればきりがないとは思いますが、今は以下の2点に絞らせていただきます。
 ① ミッキーの衣装の種類
「海ズミック」はほとんどのシーンでソーサラーミッキーの姿だが、「米ズミック」は最大5種類の衣装に着替える。
 ② ヴィランズパートの立ち位置
 それでは詳しく1つずつご説明しましょう。

①ミッキーの衣装の種類

「海ズミック」は最初にソーサラーミッキーの姿であらわれた後、ヴィランズパートが終わるまでソーサラーミッキーの姿でいます。その後船に乗って現れたときは燕尾服になっていますがほんの数分です。その後ミッキーはまたソーサラーミッキー(色違い)の姿で登場します。
 一方「米ズミック」ミッキーは、けっこう頻繁に衣装を変えます。
 最初に燕尾服で登場した後、すぐさまソーサラーミッキーに。しばらくそのままの姿ですが、ヴィランズにもみくちゃにされるときは赤ズボン一丁であったり、マレフィセントとの対決では中世風の衣装であったりします(年代によるようです)
 その後蒸気船ウィリーの姿でマーク・トウェイン号(東京ディズニーランドにもある白い客船)の舵を切りながら登場し、ソーサラーミッキー、燕尾服ミッキーと早変わりします。


 いったいなぜ、このような違いが出たのでしょうか。実はこれ、ものすごく無粋な考え方もできます。つまり、いくつもの衣装に着替えるのは「現実的に無理」という解釈です。「海ズミック」は「米ズミック」と違い、陸地がありません。そのため(物理的な意味での)舞台裏にできるスペースがほとんどないのです。ハーバー中心の土台からはミッキーのほかにスティッチとシンデレラも出てきます。キャストだけで4人(2~3人かも)、その他昇降機や電飾を操作する人員があの中でスタンバイする必要があります。あれ以上ミッキーを増やすのは難しいでしょう。
 しかしこれは本当に無粋な話です。ていうか魔法だから。中の人とかいないから。
 というわけで、私は思うのです。あえてソーサラーミッキーで縛っているのだと。

 そもそもソーサラーミッキーとは何者でしょうか。彼はもともと、『ファンタジア』内の『魔法使いの弟子』に出てくるキャラクターです。『魔法使いの弟子』について見たことない、あるいはよく覚えていないという方もいらっしゃるかと思いますので、『魔法使いの弟子』のあらすじも記しておきます。何十回何百回も見たわ!という重篤な・・・もとい、熱心なディズニーオタクの方は読み飛ばしてください。

一あらすじココカラ―
 偉大な魔法使いイェンシッド。ミッキーはそのイェンシッドの弟子だった。
 イェンシッドは魔法の帽子を机に置いて眠りにつく。魔法を使ってみたかったミッキーは、こっそりその帽子に手を伸ばしてかぶってしまう。1本のホウキに命を与え、自分の仕事である水汲みをさせる。ホウキに働かせながら自身は居眠りをはじめて夢の世界へと迷い込む。夢の中では自分は大魔法使いだ。波を星を、上機嫌で自在に操る。

 はっと目覚めると一大事。働き続けていたホウキのせいで、部屋中が水浸しである。慌てて止めようとするミッキー。けれどホウキは止まらない。止め方がわからない。とうとう斧でこなごなにかち割ったが、分裂してしまって逆効果。部屋にたまり続ける水にあわや溺れる!というその時に、目を覚ましたイェンシッドが駆けつけて、あっという間にすべての水を引かせてしまった。
 ぎろりと睨みつけるイェンシッド。しばし気まずい沈黙が流れる。そっと帽子とホウキを返すも、イェンシッドの怒りに満ちた顔つきはかわらない。あっ、そうだ!ボク、水汲みに行ってきますね・・・愛想笑いを浮かべながら立ち去ろうとするミッキー。恐る恐る後ろを向いたそのミッキーのお尻を、イェンシッドはホウキでバシリと強く叩きつけるのだった。
―あらすじココマデ―

 ・・・パークの輝くスターミッキーや、ゲームの王様のイメージが強い方にとっては、けっこう意外なオチかもしれません。『魔法使いの弟子』においてミッキーは、師匠の帽子をこっそり持ち出し、そのまま魔法を使ってホウキに仕事を押し付ける。師匠に後始末をしてもらっても頭を下げず、愛想笑いでごまかそうとする・・・原作があるとはいえ、このミッキーは精神的にも能力的にもちょっと未熟です。そのソーサラーミッキーを「海ズミック」ではメインにおいているのです。船の上でちょっとだけ燕尾服ミッキーが姿を見せますが、どちらかといえばミニーの普段の姿(赤ドットワンピース)に合わせた形でしょう。

 では「米ズミック」ではどうでしょうか。
「米ズミック」では衣装の種類がまず「海ズミック」よりも多いですし、ソーサラーミッキーと燕尾服ミッキーの交代を頻繁に行います。また、登場する衣装にもそれぞれ意味がありそうです。
 最初に出てきて指揮を振る燕尾服ミッキーは『ミッキーのオーケストラ』を意識したのでしょうか。そうではなくてもコンダクターは燕尾服と相場が決まっています。
 ソーサラーミッキーはもちろんディズニーマジックの象徴。
 ヴィランズパートでもみくちゃにされる赤ズボン一丁のミッキーは『ミッキーの夢物語(原題:Thru the Mirror) 』からでしょうか?夢の中で魔法の鏡に閉じ込められるというシチュエーションが、近いといえば近いでしょう。
 マレフィセントと対峙する中世風のミッキーは、おそらく『ミッキーの巨人退治』『ミッキーのジャックと豆の木』からでしょう。いずれも最終的には悪い巨人を倒す――文字通りのジャイアントキリングを成し遂げたミッキーです(カラーリングがどちらとも違うのですが、夜の視認性を上げるための変更ではないかと・・・ただ私もすべての短編を見ているわけではないので、もっと近いのがあったら教えてください)
 そして『蒸気船ウィリー』のミッキー。これはもう説明不要ではないでしょうか。ミッキーのスクリーンデビュー作です。すべては一匹のネズミから始まった。そのネズミことミッキー・マウスが、彼の始まりである『蒸気船ウィリー』と同じように蒸気船マーク・トウェイン号の舵をとり、たくさんのディズニーキャラクターを牽引してくる――私のような、デイズニーがほぼライフワークのオタクにはたまらない演出です。

 しかし、「海ズミック」はそのあたりをバッサリとカットしています。前述のとおり、ほとんどのシーンをソーサラーミッキーの姿で登場させました。この変更にはたして意味はあるのでしょうか。

②ヴィランズパート
 こちらについては「米ズミック」から説明いたしましょう。「米ズミック」(おそらくオリジナル)は以下のような流れになっています。

 突然白雪姫の継母であるウィックドクイーンが登場。そしていつものように魔法の鏡に語りかける。
 魔法の鏡は言った。
「ミッキーのイマジネーションこそ、この世で一番美しい」
(いろんな意味で)予想外の回答に、ウィックドクイーンは激怒する。
「ミッキーの夢を悪夢にしてやる!」
 そこからさまざまなヴィランズが現れ、ミッキーを翻弄する。最後にマレフィセントが登場する。
「今度は私と、私のイマジネーションが相手だ!」
 マレフィセントがドラゴンに変身。ミッキーは動揺するが、やがて剣を抜いて言い放つ。
「君は自分をとても強いと思っているみたいだけれど、これは僕の夢なんだ!」

 これが「米ズミック」におけるヴィランズパートの導入から撃退までの流れです。「海ズミック」しか知らない方は、導入が全く違うことに驚いたのではないでしょうか。
 ここで指摘したいことは、「米ズミック」では「ヴィランズ」が外的要因としてミッキーの夢の中に「乱入」してきた何かとして扱っていることです。それは終盤(マーク・トウェイン号が出るあたり)の歌詞からも読み取ることができます。

  のぞいてごらん 君の心の中を 
  君のイマジネーションが
  不思議で、魔法に満ちて、すてきな夢へと連れて行ってくれる
  信じて 夢はすべてかなうよ
  君の心の奥底に眠っている魔法がある
  たとえ闇の力が 飛び立とうとする君を阻もうとも
  光の心で立ち向かうんだ
  すてきな夢を 創造しよう

 それでは「海ズミック」のヴィランズパートも見てみましょう。

 時計塔から 12 時の鐘が鳴り響く中、ミッキーは魔法の鏡に出会う。そして問いかける。
「鏡よ鏡、この世で最高の魔法使いは、誰?」
 魔法の鏡は応えます。
「真実の魔法は、鏡に映る己の中にある。さあ、もっと近くで見るがいい」
 言われるままに鏡をのぞき込むミッキー。すると突然鏡の中に閉じ込められてしまった。
「どうしよう!どうするんだ!?」とミッキーが慌てていると、さまざまなヴィランズが現れ、ミッキーを翻弄する。いったん解放されてミッキーはつぶやく。
「夢の力がこんなに恐ろしいものだったなんて・・・」
 しかし今度はマレフィセントが登場する。
「今度は私と、私のイマジネーションが相手だ!」
 マレフィセントがドラゴンに変身。ミッキーは動揺するが、やがて言い放つ。
「き、君がどんなに強くとも、これは僕の夢なんだ!」

 ・・・「海ズミック」の「ヴィランズ」について、どのように解釈すればいいのでしょうか。これは解釈が分かれると思いますし、正解はないのだと思います。それでも私はこう思いました。

「海ズミック」の「ヴィランズ」は、ミッキーの心の中の弱さや悪しき心そのものではないか、と。

 ミッキーの「この世で最高の魔法使いは誰?」という問いかけには、ミッキーの驕り、もしくは弱気のようなものが感じられます。そしてその問いに対する魔法の鏡の答えは「真実の魔法は、鏡に映る己の中にある」でした。『白雪姫』に登場するこの魔法の鏡はウィックドクイーンの手下のような存在ではありますが、決して嘘は言いません。
 そしてミッキーが覗き込んだ「鏡」の中から飛び出したヴィランズたち。そこは本来、ミッキー自身の姿が映るはずの場所です。

 音楽にも一度目を向けてみましょう。
 プリンセスパートが終了して、12時の鐘が鳴り響きます。これはシンデレラの魔法が解けて、みすぼらしいボロボロのドレス――元の姿に戻ってしまう時間の合図です。
 次に『ムーラン』内の『リフレクション』がワンフレーズ流れます。これは「水鏡に映っている私は誰?本当の自分はいつ姿を見せるの?」と自問に似た問いかけを繰り返す歌です。

 そしてそのあと、『ノートルダムの鐘』内の『罪の炎』が何度か流れます。これは解釈が分かれると思いますが、自分の中の良心良識と情欲の間で葛藤する歌だと思います。これらの音・曲は「米ズミック」には使用されていません(『ムーラン』『ノートルダムの鐘』は「米ズミック」よりも後に公開されたので当然ではあるのですが)
 王子様にふさわしくない自分。親の期待に応えられない自分。情欲におぼれて良心を捨てようとしている自分。弱い自分。醜い自分。自分――

 このように「米ズミック」と「海ズミック」の違いを見ると、ミッキーがマレフィセントに対して言う台詞も少々印象が変わってきます。

 米「君は自分をとても強いと思っているみたいだけれど、これは僕の夢なんだ!」
 海「き、君がどんなに強くとも、これは僕の夢なんだ!」

 仮にこの台詞の「君」を「(僕の)恐怖心」あたりに変えてみましょう。「海ズミック」に比べて「米ズミック」はマレフィセントの内心を何といいますか、他人事扱いしているニュアンスが強いので、いまひとつしっくりきません(まあ英語ですので、英語圏ではアリの表現なのかもしれませんが)
 さらに「海ズミック」では、ミッキーが「夢の力がこんなに恐ろしいものだったなんて・・・」とおののく場面があります。「悪の力」や「憎しみの力」ではなく「夢の力」という言葉を使っているのも、なんだかいろいろと感じるものがあります。


 ここでもう一度、「海ズミック」のミッキーの衣装について考えてみましょう。
「海ズミック」の衣装は、ほとんどのシーンでソーサラーミッキー、つまり『魔法使いの弟子』の衣装を着ています。

 これはつまり、「海ズミック」のミッキーは『魔法使いの弟子』の延長線上にいるミッキーということなのではないでしょうか。
 そのように仮定したうえで『魔法使いの弟子』と「海ズミック」の内容を起承転結にまとめて並べてみました。

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 ・・・多少無理はしていますが、こんな感じでしょうか。ご覧の通り、大きな違いは「結」の部分だけなのです。イェンシッドに撃退してもらうか。自分で撃退するか。
『魔法使いの弟子』で未熟だったミッキーは、「海ズミック」で大きな成長を見せたのです。かつて偉大なる魔法使いの、ただの弟子であったミッキーは、自分の弱さを自分で打ち払えるだけの強い意志を得ました。鏡に向かって言った「この世で最高の魔法使い」になることは、きっと彼の夢だったのでしょう。そしてその夢はかなった――それが「海ズミック」のストーリーなのだと思います。

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 ところで師匠のイェンシッドはどこへ行ったのでしょうか。その答えは、彼の名前自体に隠されています。これはディズニーオタクの間では一般教養ですし、オタクではなくてもトリビアとして知っている方が多いかと思います。イェンシッドを英語で書くと Yen Sid です。この名前を逆さに読んでみてください。
 そう、イェンシッドとは Disney、東京ディズニーランド入り口すぐの場所でミッキーと笑顔で手をつないでいる彼、ウォルト・ディズニーのことなのです。
 そしてこれも、ほとんどの方はご存じでしょう。
 イェンシッドことウォルト・ディズニーは、何十年も前に亡くなっているのです。
 それを踏まえたうえで、改めて”私の考える”「海ズミック」のストーリーをまとめてみます。
 ・・・だいぶ妄想に近い内容なので、「二次創作みたいなのはちょっと」という方は飛ばしてください。

 ―妄想ココカラ―
 この世で最高の魔法使いになる――その夢を追ってミッキーは、イェンシッドの弟子となった。イェンシッドの下でミッキーはさまざまな魔法を習得するが、失敗して叱られることも多々あった。
 しかし、ミッキーはイェンシッドを失った。机の上の帽子をイェンシッドが手に取ることは、二度とない。ミッキーはその帽子を受け継ぎ、真の魔法使いになるための旅に出る。
 旅先でミッキーは魔法の鏡と出会う。
「真実の魔法は、己を映す鏡の中にある」
 鏡の言葉に誘われるように覗き込むと、そこからさまざまなヴィランズの姿をした己の悪しき心、弱い心が飛び出してきた。震える足を叱咤しつつ、ミッキーは叫ぶ。
「君がどんなに強くとも、これは僕の夢なんだ!」
 かなえたい夢がある。手放せない思い出がある――自分の弱さ、未熟さに打ち克ったミッキーは、ティンカーベルの合図で目を覚ます。
 どうやらこの長い夢も残りわずか。
 そして再び現れたミッキーは、白銀に輝く姿をしていた。彼は「この世で最高の魔法使い」になったのだ。
 イェンシッドの遺志を継いだ彼はこれからも、人々に真実の魔法を見せてくれることだろう。
 ―妄想ココマデ―

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さいごに ―イマジネーションの翼を広げて―

 最後にもう一つだけ。「ファンタズミック」の「キーワード」についてです。
 これはもう間違いなく「イマジネーション」でしょう。「米ズミック」でも頻出する言葉ですが、「海ズミック」ではしつこいくらいにこの言葉を繰り返します。
 しかしここで、あえて「使われていない言葉」にも注目したいと思います。それはある意味似ている言葉で、「米ズミック」では使われるにもかかわらず、「海ズミック」では使われない言葉なのです。
「米ズミック」終盤には「すてきな夢を 創造しよう(creating a night of wondrous dreams)」という歌詞があります。

 しかし「海ズミック」には「creat(創造)」という言葉は出てこないのです。

 ディズニーは「イマジニア」という造語からもわかるように、イマジネーションと言う言葉を大事にしています。クリエーション(創造)には制約があるけれども、イマジネーション(想像)には制約がありません。イマジネーションの白い翼を広げて、空へでも星々の海へでも飛んでいくことができるのです。

 あなたが夢を見るとき、最初から限界のことなんて考えないで。イマジネーションの翼を広げて。あなたの夢を追いかけて。
 ウォルト・ディズニーがアニメやパークで子供から大人まで魅了したように。
 ミッキーが最高の魔法使いになったように。
 イマジニアたちが東京ディズニーリゾートでの「ファンタズミック」公演をなしとげたように。

 夢は、必ずかなうのだから。

 

 ・・・そういう、ディズニー精神を結実させたようなショーだったと思うのです。

 ***

 東京ディズニーシーでの「ファンタズミック」公演は、残念ながら終了しました。悲しく寂しい気持ちでいっぱいですが、「ディズニーランドは永遠に完成しない」というウォルト・ディズニーの言葉の通り、これも新たな夢への布石になるのだと信じています。

 ところで「海ズミック」は公演終了後もしばらく魔法の帽子がその場に残されます(「米ズミック」のラストは一夜の夢のようにパッとすべてが消えます)
 もしかしたらあれは、ミッキーが私やあなたのために置いていったものなのかもしれません。
 さあ、

 また、冒険とイマジネーションの海へ。

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