ホント感

◯ホント感
 相変わらずおじさんについてずっと考えてるんだけど、僕ももうすぐ40歳で、言動や見た目のおじさん度に「ホント感」が出てきて、毎日嫌だなと感じている。

今までは、本人はそんなこと思ってないし既得権もバリバリ駆使してるのに免罪符的に「こんなおじさんじゃダメだよな!」と言っている人のこと嫌だなと思っていたから、僕自身はなるべくこの言葉使わないようにしていたのだけれど、いざ自分におじさんのホント感が増してくると言わないわけにはいかないんじゃないかと思ってくる。

僕の場合は、他のおじさんと同じように、既得権の免罪符的に使うのではなくて、「おじさんなのでやめておきます」と言うみたいな、相手と一緒にいていいわけがない理由として使いたい。

現に最近の僕は、これを言わないだけで、年下の人と帰り道が一緒になるとか仕事上何か作業しなくちゃいけないときに、無言か、理由を告げずにただ「1人でやりますね」と言って相手から離れているので、おじさんがどうとかじゃなくて単純に相手のことが嫌いみたいな雰囲気が出てしまっている。
その攻撃性をなくす意味でも「おじさんなのでいなくなりますね」という、おじさんの悪さに救い方向の能動性を見出そうとしている。

 別にこれでいいとは思ってない。
少しでも悪さの割合が少ないほうを選ぶにはどうしたらいいかという話だ。

最近はほんとに毎日、おじさんって嫌だなと思うことだらけで、おじさんがだって生きていてもいい、ということももうわからない。

僕1人でここで書いて呪っていたって何もならないし、どれだけ見た目や言動のおじさん感に気を遣ってみても、それはどこまでも「気を遣っているおじさん」でしかなく「若い」でも「キモくない」でも、もちろんない。

 暴力性と加害性を自覚している僕が何をしているかというと、それは静かにしているんだけど、その間に騒々しいおじさんが、界隈全体のレベルを下げている。おじさんは数多いからね

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