「叱らない親」を同属嫌悪する「叱れない人々」

記事に抜けている観点があるので補足。

「叱らない親」への批判は自己投影による同属嫌悪だ。
「子供の躾は親がすべき」或いは「己の不快感の原因は騒ぐ子供にある」という固定観念で「叱らない自分」を正当化し、他力本願しているに過ぎない。

そもそも騒がしい子供を叱ってはいけないし叱る必要もない。注意を引いて🤫(静かに)とジェスチャーで伝えるなり、手招きして呼んで平易・簡潔に理由を説明し静かにするよう”お願い”をするのが筋だ。
それによって子供の方も、「色んな立場の人がいる」「親以外からも自分の行動は見られている」等と社会性を学ぶ。何度依頼しても改善しない場合に、親に依頼すれば良い。
場所が葬儀場だろうと映画館だろうと、「静かにして」はこちらの自分ルールに基づいた要求・我儘なので、命令口調で言うはおかしい。

「自分のルールは社会のルール」と自己肥大化したまま己の不作為を棚上げするコミュ障ほど、怒りが溜まった状態で要求し要らぬ諍いを起こし、挙句の果てには体罰を容認するようになる。

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