ジョークが通じない偽善者

>ジェイダは2018年に脱毛症を患っていることを公表し、昨年7月にはスキンヘッドにしています。ロックはそんなジェイダに対し、『“G.I.ジェーン2”が早く見たいよ』と、坊主頭の女性が主人公の映画になぞらえて揶揄しました。

別記事でも触れたが、「揶揄」と感じるのは心底で「脱毛症や坊主頭は彼女に似合わない・カッコ悪い・醜い・ダサい・恥ずかしい」と考えている人だ。脱毛症や坊主頭を「似合ってる・カッコ良い・美しい・お洒落・誇らしい」と感じている人は、ロックの言葉に「ホントそれ!見たい!出て欲しい♡(゚∀゚)」等と反応する。突っ込むポイントとしては「ジェーン役をやるには彼女は年を取り過ぎヾ(≧∀≦)」等となるだろう。
つまりロックを批判している人は、脱毛症の人や坊主頭の女性を心のどこかで蔑視しているのだ。ロックの言葉が「脱毛症の坊主頭を醜いと考えている直視したくないドス黒い自分自身の差別心」を呼び起こすので、「差別したくない・差別は愚かしい」という自我との認知的不協和を起こし、それを想起したロックを嫌悪し怒り、正義面・善人アピールしているに過ぎない。自己投影による同属嫌悪、自覚なき偽善の典型である。
概して人が怒るのは、日頃潜在化している自分の弱さや矛盾が顕在化した時なのだが、義務教育で心理学を教えない為に多くの人が未だこうした自己欺瞞に気付かない。

>スミスの暴力も認められるものではありませんが、日本ではロックの発言も“言葉の暴力”として咎められるべきという声が多数。日米間の文化の違いが明らかになった出来事でした

日本の方がそれだけ偽善者が多い・民度が低いということ。また「解釈の自由と責任」に対する考え方が、アメリカの方が進んでいる証拠でもある。上記した通り、真に咎められるべきは「冗句を揶揄・差別・暴言としか解釈できずに発信者を咎める受信者」だろう。
自己主張を良しとする多民族国家アメリカと和を貴ぶ少民族国家日本の文化の違いはあるだろうが、いずれにせよ「ロックを声高に批判する者ほど自己客観視能力・ユーモアのセンス・論理的思考力がない」という点は共通している。そしてその事を指摘すると、やはり彼らは、自身の弱さが顕在化される不都合に居た堪れなくなり、怒りを表明するのである。

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