矛盾に自覚がない弁護士

下記引用は、冨山和彦弁護士の主張。おかしな点が多いので反論してみた。

>1万人通せばいい。それが嫌なら、もう旧司法試験の時のように500人くらいまで大きく数を減らした方がいい

発想が二元論主義的。白黒思考に陥っているのかも知れないが、いずれにせよ結果(合格者数)を目的化するのは間違っている。

>社会全体の便益の最大化も実現できていないし、一方で司法試験に受かったから飯が食えるという状況も怪しくなってきて、どっちつかずになったんですよね。

社会便益の最大化が実現できてないとする根拠が不明だが、それはさておき、そもそも「飯を食えるようになること」は試験の目的ではないので無視して良い話。

>『たくさん通すとレベルが下がる』という人がいますが、社会においてその人物が役に立つかどうかなんて、試験でわかるわけないじゃないですか。

ある程度は分かる。その為の試験。

>例えば、国家試験に受かったばかりの医師に自分の全命運を委ねますか。委ねないでしょう。

委ねるか否かはケースバイケース。一つの目安として意味はある。

>試験をもっと簡単にして、1万人通しておけば、一番優秀な400人、500人がそこに入ってるのですからいいじゃないですか。

最初から500人に絞っていれば、”ハズレる確率”は低くなる。それは社会便益にも繋がる。

>そんなものは司法試験では測れない能力なのです。であれば、長い時間をかけて試験に受かるような仕組みではなく、もっと早めに社会に出して、クリエイティビティやEQを発揮できるように実地で訓練をしたらいいのです

創造力やEQが職務に必要なら、試験にそれを取り入れれば良い。尤も、社会に出てからでは遅いので義務教育の段階でやるべきだが。

>法曹界に限らず日本社会はとかく、ヴァーサティリティ(多用途性)が大嫌いで、『この道一筋』が大好きなんです。

少なくとも、かつては社会は「多用途性を実現できるジェネラリストが大好き(必要)」だった。それが「狭義の法曹」を選別する旧来の司法試験の在り方にも表れている。

>だから、ヴァーサティリティを身に付けさせるような資格体系とか講義体系が大事なんです。
>何度も繰り返しますが、司法試験にはさっと受かるようにして、その後に、様々なことを学んで生かしていく状況を作ってあげることこそが、これからの時代の正しい道だと思います

ジェネラリストを育てたいのなら、”さっと受かる”ようでは逆効果。主張が矛盾している。


論理的思考力の乏しい彼もまた、低水準教育の犠牲者。
義務教育で哲学や心理学を教えないから、先見力協調性適応力自制心倫理観論理力EQ各種リテラシー問題解決力等が低くなる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?