質問を強要に感じる心のメカニズム

>「飲み会を断って、一匹おおかみでやっていけるのか?」などと酒席への参加を強要する発言をしたという。

ただの質問なのだから、
「はい、一匹狼で頑張ります╭( ・ㅂ・)و」
「いいえ、一匹にも狼にもなる予定はないですヾノ・∀・`)」
「え飲み会断ると一匹狼になるんですか(゚ω゚)そこんとこkwskてか一匹狼ってどういう意味ですか私を村八分にするということですか飲み会だけが交流の場ではないのにそれを断った程度で除け者にされるんですか飲み会に参加しないのは社会性がないというならその程度で除け者にする方が余程社会性がピーチクパーチク」
等で済む話。
仮に「やっていけるのか?」の言外に「やっていける訳ない」というニュアンスが込められていたとしても、「根拠不明」で終わる。

質問を強要だとか嫌がらせ等と感じるのは、そう受け取る側の解釈の問題だ。解釈者自身に自立心や批判的思考力が乏しいから、「飲み会は参加すべき」等の社会通念に屈し、「でも参加したくない」「でも孤立したくない」等と内部でジレンマが発生し、ただの嫌味や揶揄をハラスメントや脅迫に感じ恐怖しているに過ぎない。

アフター5をどう過ごすかは個人の自由。強要も強制も程度問題。無理矢理腕を掴んで酒場へ連れて行ったのであれば話は別だが、この程度でパワハラとは仰々しい。
加害者を批判する前に、己の批判力の無さを批判すべきだろう。

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