角田氏を同属嫌悪するF1審議委員会

たかが一時の感情的な発声すら許されない窮屈な社会。
罰金を科したところで、「感情のコントロール」ができるようになる訳では無いのに🙄

寧ろ、処罰は「その言葉に不快になった審議委員やその同調者」の心底にある差別心を覆い隠そうとする、転嫁行為(自己欺瞞)だ。彼らは、「感情を制御できない角田氏」に対して「感情を制御できない己自身」を投影し、同属嫌悪しているに過ぎない。

自身の偽善に気付かない彼らもまた、低水準教育の犠牲者。
義務教育で哲学や心理学を教えないから、先見力協調性適応力自制心倫理観論理力EQ各種リテラシー問題解決力等が低くなる。

以下、弊サイトより抜粋。

どんな情報もその取捨対処は受信者の自由。解釈の自由にも責任が伴う。解釈の結果(誤解不快等)の原因は発信者にはない。
未熟な解釈者ほど己の選択結果を表現者に責任転嫁。他者に不自由(規制等)を与えるから自らも不自由(怒り等)を得る。

自由度多様性の高さは精神成熟の証。最大限保障し問題の早期発見等に活用が吉。民度の低い集団ほど不都合な存在を嫌悪排除。
雑言等は不遇な未熟者の自己投影・同属嫌悪。表現狩り等で自由奪えば却って暴発。必要なのは排除処罰ではなく治療教育。

人格障害者にも言論自由はある。物理的に自由侵害しない限り罵倒も表現自由。言葉狩りは却って「それで罵倒可」の価値観を蔓延化。
多様性・自由も程度問題。多様性の欠如した未熟者を非難・排斥する多様性の欠如に不寛容なのもまた多様性の欠如。以下ループ。

反差別の裏には差別心が潜む。例えば異属性間の収入格差を論うのは「高給者ほど偉い尊い」等の職業差別拝金主義の表れ。
差別を批判する人ほど差別している5 note.com/kanjoj/n/n1a0fcd14f9b8

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