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刹那をどう表現していくのか.肉体を超えていくために百年待っていて下さい

今日、劇団公式からこんなお知らせがありました


他の劇団はどうかは知らないけど、
僕の主宰する舞台芸術創造機関SAIは、よくメンバーが休んだりします。

休む理由は色々あるし、休むこと自体は何も問題はないと思っています。

応援してくれる人、観ててくれる人、待っててくれる人、離れていく人・・・それは人の短い一生の中ではごく当たり前に起きる出来事です。
だから僕はいつでも帰って来て下さい、待ってますからと言います。メンバーにだって、客演さんにだって、お客様にだって言います。いつでも帰って来てねって。そのために場所は用意してあるからねって。



関係ないけど漱石の「夢十夜」の第一夜が好きなのは自分のこの考えと似てるからなんですね。

芸能的に、若さを売る事で生業とするなら、生業の根本には肉体がある事になります。しかしながら我々は舞台芸術をつくってる。肉体はその時折の、その瞬間瞬間を切り出していき、死へ向かっていくその刹那を作品を通して皆様に届けていきます。この刹那こそが瞬間の芸術であり、それは永遠なのです。これが舞台の醍醐味であり、我々が求める「唯一無二の劇空間」でもあります。

ちょっと真面目になってしまった

そう、
SAIはなのでよくメンバーが休みます。

でもそれでいいし、その時その時に感じたことをしっかりと刻んでいて欲しいと思ってます。

芸道において「幾つまでに売れなきゃ」「いついつまでに成果を出さなきゃ」という市場原理に向き合った思考があります。いつからこんな話がではじめたのかっていうと、大衆芸能になっていったからですね。資本と向き合う時、僕らの存在は資本との交換対象になり時には錯覚します。自覚しながら、消費されて行くことに大胆になるべき時だってあります。

しかし本質を求めるならばやがて気付くのです。

石はいずれ砕け散るが言葉は永遠であるというゴッホの詩にあるように、我々表現者にとって大切なことは永遠の様な一瞬を如何に表現していくのかという事に。

その方法も、手段も、一様では無いという事に。

私にとっては最近は動画がそれなのです。舞台表現とはまた違った形での、一瞬。言葉もそうで、これは過去を残すような、影を記すようなものですが、最近はなるべくこの影も残すようにしています。


今のこの時間は、とっきーの表現に必ず精彩を与えます。

もちろん無いに越した事はなかった出来事だし、話を聞いた時はむちゃくちゃ怒りを覚えたのも事実です。

しかし起きた因果は変えられないなら、そこをどう受け止めてどう生きるのかが、表現をしていくものの生き方なのではないかとも思うのです。

今、俺ができることは場所をつくっていくこと。
そして待ってるからな!!って言って、とにかく思いついた案件や企画をふっては断られるという時間が大事だと思ってます。


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