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そういえば、そう。

日々の生活の中で、「そういえば、そう」を体感することがあります。
そして、この「そういえば、そう」は、シンプルであればあるほど説得力が増し、わたしの中にストンと落とし込まれます。

とくに記憶に残っているのは「押して駄目なら引いてみな」で、文字通り、ドアを押しても引いても埒があかなかったところ、横にスライドしてみたら無事に開いたという実体験です。厳密には「押しても引いても駄目ならスライドしてみな」となりますが、言おうとするところは同じです。
「あれ?あれ?あれ?」ぐらいで済んだ出来事でしたが、「色々試して、すぐに諦めてはいけない」と妙に深く納得しました。

こんなこともありました。
よく利用する高速バスのネット予約でのことです。いつもだったら、空いている数席の中から選択するのですが、その日に限ってまだ2席ほどしか予約が入っておらず、選び放題な状況のなか、席を決めるのにいつも以上に時間がかかってしまいました。

理由は、選択肢が多くてあれこれ考えてしまったからで、「前方・真ん中・後方」に始まり、「こっち側のほうが渓谷を眺められる」だとか「日が差すのはこっち側」だとか、よく利用するだけに知っていることがありすぎて、なかなか席を決められず――。
「選択肢が多いほど選べなくなる」とどこかで聞いたことを思い出し、「そういえば、そう」を強く実感しました。

***

「そういえば、そう」な出来事は、遠い記憶の中にも潜んでいます。

早朝に身内が他界した日、粛々と通夜・葬儀の準備に追われるなか、近しい親族が「こんなときでもなにか食べないと」と、家で作ったおにぎりとおかずをタッパーに入れて持ってきてくれました。
実のところ、わたしのお腹はぺこぺこで、そんな自分が恥ずかしかったのですが、「こんなときでも」の一声がわたしを優しく包みこみ、ありがたくいただきました。

「悲しいときでもお腹はへる」ということを、それまでだって経験してきましたが、「こんなときでも」というのは初めてで、どんなときでも人はお腹がへるのだと身をもって知りました。

***

そんなことを思い出すたび、「そういえば、そう」と思う本があります。
本屋で見かけて気になりつつも購入しなかった1冊で、タイトルはずばり、『おむすびの祈り』です。

話は横道にそれますが、「おにぎり」と「おむすび」の語源について諸説ある中で、「おにぎり」は「にぎりめし」を丁寧に言ったものであり、「おむすび」は「お結び」からきているというのがわたしのお気に入りで、『おむすびの祈り』に「縁結び」みたいなものをイメージしました。

そのイメージはあながち間違いではなく、出版元である集英社の本紹介から『おむすびの祈り』について下記に抜粋します。
※なお、文中にある現在とは、この本が発行された年を指しています。

食はいのち。佐藤初女(さとうはつめ)さん、感動のエッセイ。
彼女の握る“おむすび”で、これまで多くの悩める人々が救われたという。
少女時代の闘病生活から現在までを率直に綴る自伝的エッセイ。

おむすびで悩める人が救われるなんて……と思う反面、そんなこともあるだろうな……とも思いました。「そういえば、そう」と、ある一節が頭に浮かんだからです。

その一節とは――。

「ある貧乏な老婆ろうばが世をはかなんで自殺を思いたち、死場所を求めて歩く途中、最期さいごの思い出に一杯のぜんざいを食べた。
老婆は、世の中にこんなおいしいものがあるのかと思い、死ぬのをやめたという話を聞いたことがあるが、私の経験から、それほど誇張された話とは思えない。

松本清張著『半生の記』
「泥砂」より

というもので、この一節は、「とぼとぼと自分の家に戻ってくる頃には、冬だとオリオン星座が天頂近く昇っている。ああ、こんなことではいけない。なんとかしなければ、という焦燥あせりとも後悔とも虚無感ともつかぬものが胃のに重く落ちこんでくるのだった」という、著者のつぶやきへと繋がっていくのでした。

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以上、「そういえば、そう」から清張の自伝に辿りついたところで、本日の記事の裏話です。

きっかけは「自分次第」という4文字でした。

個人的に今年の2月は「損得勘定」と「時間の有効活用」といったことに頭を悩ませたのですが、そんなとき、note記事の中で――。

「自分次第」。
頑張りたいと思うなら頑張ってみればいいし、これ以上頑張れないなら、頑張らないで休めばいい。
そこらへんは、柔軟に、「過去でも未来でもなく今現在の自分と相談しながら」やればいいのだ。

時澤 言森(ときざわ こともり)さん
気持ちに余裕のある時だけ欲を出せばいい

と、「自分次第」に遭遇し、「そういえば、そう。結局は自分次第なのだ」と思いました。
久しぶりに「自分次第」という4文字を目にしたような感じがしました。
とにもかくにも、心が軽くなりました。

ここで、わたしも「自分次第」をもとに何か書いてみよう! とはならず、「そういえば、そう」で何か書いてみよう! となるところがわたしの思考回路で、つらつらと思いつくまま綴ってみました。

そして思ったのは、「なにか美味しいものでも食べよう」には場合によって色んな気持ちがこめられていて、この「なにか美味しいもの」に対する飽くなき探求心がバラエティーに富んだ食文化をうみだし、海外からの注目の的にもなってきたのかな?――ということです。

わたしはもっぱら写真とレシピを眺める専門ですが、キャラ弁当にワクワクするのは、そこに「なにか美味しいもの」と「探求心」が詰まっているからで、作り手のお見事なアイデアから元気の素をもらっています。

***

【おわりに】
「そういえば、そう」を駆使して記事を作成してみたら、いつもとはちょっと違う視点となりました。
そのうえ、そういえば、そう。
今年はうるう年です。
そう気づいたときから2月29日に投稿しようと決めていました。
さらにここにきて、せっかくだから2024年2月29日の20時24分に投稿しようと思うにいたり、わたしは今、ウキウキしています。


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