大嫌いだった田舎に帰って、世界の美しさを愛でる話 ー 私のサバイバル術

「あと4日行けば、解放される」
「あと3日行けば、週末になる」
「あと2日の辛抱」
「今日が終われば、休み」

毎日、カレンダーを眺めては週末までの残り日数をカウントダウンする。働くのに疲れたサラリーマンではなく、小学生のころの私の習慣だ。

私は、学校が嫌いだった。

正しくいうと、学校だけではなく、世界全てが嫌いだった。生きることが嫌いだった。自分が嫌いだった。親も、家族も、周りの人もみんな嫌いだった。いじめを受けていたわけでもないのに、周りの人たちとくだらない会話をするのが事がイヤで、学校に行くのが苦痛だった。

私鉄沿いのベッドタウンとして開発された埼玉の片田舎では、学校以外、行く場所はなかった。家があり、道路があり、学校がある。あとは山だ。寄り道なんてできない。家を出たら、学校に行かなければならない。学校に行く or 引きこもりしか選択肢はない。できれば、後者を選びたかった。毎日ひとりで部屋に閉じこもっていたかった。でも、できなかった。

まだ「不登校」という言葉が今ほど浸透していなかった30年前、嫌悪感に耐えかねて学校を休むと、教育熱心な親にひどく心配されて、あれこれ小言をいわれた。「勉強だけ出来てもダメ」「協調性がないとダメ」「お兄ちゃんはあんなに社交的なのに、なんであなたはそうなの」。そんな言葉を聞くのもイヤで、私は我慢して学校に行き、週末までのカウントダウンを続けた。

学校を放火する計画を練ったり、化学室のガス菅を使って爆発を起こせないか計算したり。できるかぎり誰とも話さず、そんなことばかり妄想していた。病的で根暗な子供だった(幸い、行動には移さなかった)。

高校に進学して田舎を離れて、遠くの学校に通い始めて、少しずつ私は変化した。良い出会いに恵まれて、色々苦労しながらも、それなりに真っ当な大人になった(と願いたい……)。気がついたら、カレンダーを見ながらカウントダウンする習慣は消えていた。

しかし大人になってからも、田舎に戻ると黒い感情が蒸し返してくる気がして、そこはできれば足を踏み入れたくない場所だった。

大人になった私と田舎

田舎を出てから15年間、できるだけ遠い場所に住み続けてきた。ずっと都市部で働いているから、田舎から遠くに住むのは自然なことだった。うまく逃げ出したつもりだった。

ところが、ここ2ヶ月ほど、私はそんな「田舎」で寝泊まりしている。新型コロナウィルスを警戒して、2月から自主的に東京を離れ、ちょっとした疎開生活をしているからだ。

そして今週に入って、これから先もしばらく、この場所に滞在することを決心した。ずっと逃げ続けていた田舎に自主的に戻ると決めたのは、自分にとって大きな出来事だった。

親とお金について話し合いをして、都内で住んでいたシェアハウスへの退去通知をする。荷物の少ない身軽な身だから、これで手続きの80%は完了だ。

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田舎に寝泊りするようになって、朝の散歩が日課になった。

朝起きて身支度を整えたら、10分ほど山道をぶらぶら歩いて、家に帰ったらコーヒーを入れて、書斎に閉じこもる。夜までパソコンに向かってメールを書いたりビデオ会議をしたり。母親がリビングで見ているテレビからは、ひっきりなしに新型コロナウィルスの情報が流れてくるが、私の仕事は幸いにもコロナ以前とあまり変わらない。

「Webサービスの日本に関わることを全てやる」という何でも屋の私は、キャパオーバーなのがデフォルトで、150あった仕事が120に減ったからといって、最大値100を上回る業務量であることに変わりはない。いつもやることまみれで、慌ただしい。あふれるタスクに溺れそうになるときもあるが、焦っても何も解決しない。状況を整理して、自分にできることを確認して、できることを一つずつ積み上げる。それが私の、サバイバル術だ。

仕事中はイヤホンをつけて、BGMを再生している。ふとしたときに音楽が止まって、集中力が途切れると、なにも音がしないことに気づいて、はっとする。ここは「翔んで埼玉」にも取り上げてもらえないほどの、埼玉トップレベルの田舎なのだ(というと真のトップに怒られそうだが、けっこうハイレベルだ)。

鳥の鳴く声が、遠くで聞こえる。

何軒か向こうの家にいる子供の高い声が、かすかに聞こえる。

東京で住んでいたシェアハウスは決してうるさい場所ではなかった。それにこの「田舎」も住宅街として開発された場所なので、人はそれなりに住んでいるはず。だけど、やはり、密度が違う。空気中に漂う音の数が少なくて、騒がしい社会を遠くに感じる。

新型コロナウィルスが奏でる音

世界はいま新型コロナウィルスによるパンデミックに襲われていて、日本でも多数の感染者が出ていて、私の勤め先も原則在宅勤務を決定して、そして私はそんな社会の影響を受けて、田舎に戻っている。その事実を忘れさせるくらい、ここは、静かだ。

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この文章は、「書く」とともに生きるコミュニティ「sentence」で行われている「コラムリレー〜希望」のために書いている。希望をテーマに、有志メンバーで順番でコラムを書いて、リレーをつなごうという趣旨だ。

私は三番走者。二番手のくらげさんは、「世界中から音が聞こえる」で始まり、終わる、温かさのあふれる文章を書いていた。その文章を読んで、気がついた。今回の感染症大流行では、とにかく、世界中の音が聞こえてくる。

感染者数などの統計数や、暗い気分になる研究結果や、嘘か本当かわからないつぶやきで、SNSのタイムラインが埋め尽くされる。圧倒的な量の情報が、毎日流れてくる。

静かな田舎にいるせいか、リアルで聞こえてくる音の少なさと、オンラインで伝わってくる音の洪水との落差が、身に沁みる。あるときから、新型コロナウィルスに関する情報は意識的に制限するようになった。ゼロにするのではなく、自分が聞き取れる音量までボリュームダウンするイメージだ。

代わりに、こういう時は過去の歴史に学ぶべきだろう……と思って、ちょうど100年ほど前に世界中で流行し、日本でも多数の感染者を出した「スペイン風邪」についての文献いくつか読んだ。

時代は繰り返す……になって欲しくはないけれど、もし今回も、スペイン風邪のときと似たような経過をたどるなら、事態が落ち着くまで、数年単位の時間が必要だ。第1波が収まっても、第2波、第3波がある可能性もある。焦ってもしかたない。腹をくくって、自分が生き延びる方法を探すしかないだろう。サバイバルだ。

そう決めたら、自然と、東京都内のシェアハウスには戻らないという結論に至った。幸運なことに、ここには私を受け入れてくれる家がある。この静かな田舎で暮らしながら、世界の奏でる音に耳をすませてみようと、自然と、そう考えていた自分に驚いた。そこに、田舎に対する嫌悪感はなかった。

変わらないもの

散歩に加えて、もうひとつ新しい習慣ができた。いつも決まった場所で立ち止まって、写真を撮る。3月下旬〜4月上旬まで咲いていた桜の花があらかた散って、最近は山が新緑の色合いになってきた。

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たぶんこの田舎では、30年間変わらず繰り返されてきた風景だ。

小学生のときのわたしは、自宅から徒歩5分の場所から見えるこの風景には目もくれず、早く世界が終わればいいと願っていた。今の私は、季節の変化を感ぜられるって豊かなことだと感じられるくらい、大人になった。

ある朝、いつもの道を歩きながら、ふと「世界は今日もきれいだな」という想いがこみあげてきた。いろいろ嫌なこともあったけど、でも今の私は嫌な思い出も受け入れて、この場所にいられるようになった。

新型コロナウィルス(COVID-19)という自然のいたずらで多くの人が生死を脅かされるいっぽうで、この世界は、以前と変わらず、美しい自然の芽吹きにあふれている。この風景は、これからも何十年もきっと変わらず、四季を紡いでいく。私も、生きていれば、またそれを見る事ができる。それって、たぶん尊いこと。

一人の人間が成長する間も、人類が新しいウィルスに遭遇してそれに対する解決策を模索する間も、地球は変わらず回り、季節は巡る。来年の春も再来年の春も、桜は咲き、新緑が芽生える。

人間の苦悩なんて何も知らずに、世界は美しい。ひとは苦しんでいる最中、美しさに気づき、愛でることは難しい。でも、生き続けていれば、その美しさを味わうことができる日がきっと来る。世界の美しさは、変わらずにいつもそこにある。それは希望だと、私は思う。

感染症の流行は、恐ろしい。しかしそれは歴史上、何度も繰り返されてきたこと。人間はそのたびに科学を進歩させ、社会を適応させ、生き延びてきた。今回のパンデミックにも、必ず終わりはある。

焦っても何も解決しない。状況を整理して、自分にできることを確認して、できることを一つずつ積み上げていこう。

「書く」を学び合い、「書く」と共に生きる人たちの共同体『sentence(センテンス)』にて実施中のコラムリレーに参加しています。今回のリレーテーマは「希望」。希望をつなぐ次なる走者は せとあやな さんです。お楽しみに!
#書くと共に生きる #sentence #希望

1番手、はなさんのコラム

2番手、くらげさんのコラム


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