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離れても、故郷と繋がっていくために 〜『ギフップ!』運営・宮部遥さんの話 〜

「ギフップ!」は、岐阜の魅力を伝えるウェブメディア(以下ブログ)。岐阜出身の宮部遥さんが2014年に開設、ひとりで運営しています。彼女に6年以上ブログを書き続けているモチベーションをどう維持しているのか訊ねたところ、こんな答えが返ってきました。

「実は、今まで続けてきて『ギフップ!』が岐阜の役に立ったという手応えがないんです。でも『手応えがない』のが逆にモチベーションになっている面もある。『ちゃんと届くところまでやりたい』と追い求めているから、続いているのかもしれません」

「手応えがないのが逆にモチベーションになる」とは、どういう意味でしょうか。私も長年ブログを書いていますが、自分の出身地については書こうと思ったことすらありません(笑)。ですが、縁あって「ギフップ!」を読むうちに、遥さんがどんな想いでブログ運営しているのか、詳しく聞きたくなりました。

このポストでは遥さんへのインタビューを通して、地方について情報発信する楽しさや難しさ、個人として発信することの意義を考えていきます。

この記事は「書く」とともに生きる人たちのコミュニティ『sentence』の、ペアインタビュー企画に参加して執筆しました。

岐阜のひとにもっと岐阜を好きになってもらいたい

生まれも育ちも岐阜の遥さんは、結婚を機に神奈川へ引越しました。2020年2月に出産、2021年のいまは育児休業中で、年内にライター・編集者として会社員の本業に復帰予定。私と同じ30代、仕事にプライベートに多忙な年代です。

「ギフップ!」は、どんな経緯で始めたのでしょうか。

「結婚前は岐阜の市役所で働いてて、広報担当をしている時期もありました。実は、岐阜のひとって岐阜のことを良く言わないというか、『岐阜は何もないよ』と言う人が多いんです。だから『岐阜のひとにもっと岐阜を好きになってもらいたい』と願いつつ、市役所で働いていました。退職後も何かできることはないか…と考え、2014年3月に引越したタイミングで『ギフップ!』を始めました」

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ブログ開設当初は、岐阜関連イベントのレポートや観光地に関する記事が主でしたが、ここ数年は岐阜に直結しない記事も掲載しています。その背景を、遥さんはこう語ります。

「岐阜をメインに据えていますが、とらわれず運営しています。2019年3月からインタビュー記事の掲載を始めましたが、「1分の1のドラマ。」というカテゴリ名にして、岐阜ゆかりではない方も取り上げています。音楽が好きで、神奈川に引越してからも岐阜のジャズビッグバンドに参加していたので、地域と音楽の関わりについての記事も載せています」

ブログ名と同じメインカテゴリ「ギフップ!」の他に、岐阜以外の地域を取り上げる「ギフップ彷徨」や「音楽×地域!」というカテゴリもあり、いずれも多くの記事が掲載されています。とらわれずに枝を広げ、のびのびと情報発信していることが伝わってきます。

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伝えたいことは全て載せる

インタビュー記事カテゴリで執筆された取材記事は10以上あり、取材先は漫画家、喫茶店店長、ジャズのサックス奏者など、多岐にわたります。個人ブログでこのように幅広いインタビュー記事を掲載している例は、決して多くはありません。どんな思いで始めたのでしょうか。

「本業でもインタビュー記事を書く機会がありますが、メディアの方向性や文字数の兼ね合いで、面白いと感じた部分がカットになり『自分はここを伝えたいのに!』と思うことも。自分のブログなら伝えたいところを余さず載せられるので、『ギフップ!』では、伝えたいことは全て載せることにしました。長くてもいいと考えています。2019年になると岐阜についてのWebメディアも増えてましたが、ロングインタビュー記事を載せているところは見当たらなかったので、他と違うことを…という狙いもありました」

定まった編集方針を気にせず書きたいことを書くことができるのは、個人メディアの強みです。その反面、会社やメディアの名前を使って取材先を見つけることはできません。「ギフップ!」で多彩な面々への取材を実現している背景を教えていただきました。

「いまはブログ上やcocanなどのウェブサービスを使って取材先募集もしていますが、はじめのうちは全て自分で探して取材申込みをしていました。どういう感じで掲載されるのかわからないと、公募しても応募は来ないと思って。最初にインタビューしたのは、漫画家の石田意志雄先生でした。まだ何も形になってないときに引き受けていただき、とても感謝しています。その後、他の方が意志雄先生の記事を見て『取材OKです』と言ってくださることもありました」

名刺代わりになる仕事を作り、それを土台に実績を重ねていく…どんな仕事にも通ずる原則です。本業を持ちながら趣味で情報発信を続けている遥さん。控えめな口調ながらも、強い意志をもってブログ運営している様が伝わってきます。

インタビューを通して、ひとりで書く記事とは一味違う喜びも得ているようです。

「取材先が喜んでくださると、思い出に残りますね。出来上がった文章を読んで『他の人から、自分はこんなふうに見えてるんだ』と喜んでもらえたり、お話を聞き終えた後に『楽しかったです』と言ってもらえると、すごく嬉しいです」

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取材をしたり書いたりすることを通して、岐阜や岐阜ゆかりの人と繋がっていたい

本業、趣味の音楽活動、結婚生活、出産育児、……日々の暮らしを切り盛りしつつブログを書き続けるのは、容易なことではありません。情報発信を続けるための時間やお金は、どのように捻出しているのでしょうか。

「本業は季刊雑誌を作る仕事で忙しさに波があるので、育児休業に入る前は、原稿を抱えていない時期に『ギフップ!』をがんばっていました。原稿を書いたり推敲したりするのに、よく昼休みを活用してましたね。神奈川に引越してからも趣味のジャズビッグバンドは岐阜でやってたので、岐阜での取材は、バンド練習や帰省にタイミングを合わせて入れてました。本業が忙しいと原稿を仕上げるのが遅くなることもあるので、そうなりそうなときは事前に取材先に「時間がかかります」と伝えていました」

周囲に理解を仰ぎつつ無理のないペースで運営していく……長く続けるコツですね。ちょっと聞きづらい、お金の面についても質問しました。

「ブログ運営に直接かかる費用は年間4000円のドメイン代程度なので、お小遣いでまかなえています。取材の交通費は、バンド練習に合わせて岐阜に行ってたので、音楽活動のための費用ですね(笑)。自分が好きなことなので、家族にも理解してもらえる範囲で、お小遣いから捻出しています」

やはり「無理なく」「楽しめる範囲で」がキーワードのようです。時間・お金と来たら、次に欠かせないのは、やる気。モチベーションの維持についても伺ったところ、冒頭で紹介した言葉が飛び出しました。

「実は、今まで続けてきて『ギフップ!』が岐阜の役に立ったという手応えがないんです」

「手応えがない」のが逆のモチベーションになっている、追い求めているから続いている…と、遥さんは続けます。逆説的な言葉を受けて私は少し戸惑いつつ、「手応えがなくても続けたいと思えることを書いている、ということでしょうか?」と質問しました。

「岐阜が好きで、いつでも帰れる場所であったらいいなと思っています。『ギフップ!』は、私にとって、岐阜と繋がる手段なのかもしれません。取材をしたり書いたりすることを通して、岐阜や岐阜ゆかりの人と繋がっていたいです」

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「ギフップ!」を通して、自分の子にも、岐阜のことを好きになってもらいたい

その土地を離れてもブログを通して故郷と繋がりたい。そんな思いで情報発信を続けている遥さんに、今後の方向性をお尋ねしました。

「岐阜のひとに必要とされるような存在になりたい。たとえば、岐阜の人や団体から文章を書く依頼をいただけたら良いなと思います。ですが、そのためには自身の技量がもっと必要。ブログでも本業でも、インタビューをして記事を書いて修業を続けて、もっと成長していきたいです」

やりたいことを実現するためには実績を作る必要がある。わかっていても大変なことにひるまず、まっすぐ取り組んでいく遥さんのひたむきさが伝わってきます。

まだ形にはなっていませんが…と前置きしつつ、取材を通して生まれた構想も教えていただきました。

「取材先公募をきっかけに出会ったライターの方と一緒に、新しい岐阜のウェブマガジンを立ちあげようと話をしています。その方は同じ岐阜でも飛騨方面の出身なので、私とは違う視点もありそうです。ひとりで運営していると限界があるので、協力して発信していけたら、もっと強く届けられるのではないかと思って。とはいえお互いに仕事や家庭があるので、ゆっくり進めています」

マイペースでやりたいことを実現できるのは、自分のメディアを持つ利点ですね。

最後に、これからの目標を伺いました。

「『ギフップ!』の読者に、岐阜には面白い人がいる、面白い場所がある、行ってみたいと思ってもらいたい。(神奈川で生まれた)自分の子にもいつか、岐阜のことを好きになってもらえたらいいですね。そういう情報発信ができるように、力をつけていきたいです」

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取材後期

同年代ではあるものの、遥さんと私は仕事も趣味も出身地も異なります。ですが、ふたりとも長年ウェブで情報発信を続けています。

今回のインタビューでは、その共通項を通してお話を伺うなかで、
●マイペースに楽しみながら、書きたいことを書くことができる
●自分なりの方法で「好きな何か」とコミュニケーションを深めていくことができる
…という、個人で情報発信することの楽しさを、私は再発見していきました。

遥さんにとっての「好きな何か」は生まれ故郷の岐阜で、私にとってはパラグライダー。そんな違いはありますが、「登る山は異なるが、登り方は似ている」ような印象もあるな…と勝手ながら感じています。

お話できて楽しかったです。ありがとうございました。
これからも自分の歩幅で、発信し続けていきましょう!

本ポストの写真は、すべて宮部遥さんにご提供いただきました。

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