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「星座になれたら」から読み解くぼっちの喜多ちゃんと結束バンドへの思い

10月から始まった「ぼっち・ざ・ろっく」もとうとう終わりを迎え、激しい喪失感に襲われる毎日を過ごしております。

そのような中、最終回である12話の文化祭ライブの劇中歌「星座になれたら」のリリックビデオを視聴していたら不思議と涙が出てきたのです。
最初は終わってしまったことを実感しての涙であると思っていたのですが、どうもそれだけではないようでした。

そこで何回も視聴し歌詞や映像に触れていくうちに、この曲は作詞したぼっちが喜多ちゃんと結束バンドへの思いの丈を綴ったものであると感じ、まさに最終回にふさわしい今までの総決算のような、そしてこれからの未来を感じさせるような曲であると理解できました。

そこで、とめどなく溢れるこの歌への思いをどうすれば消化できるかと考えた時、このnoteを使って歌詞や映像から感じたことを考察して述べていこうと思ったのです。

私はこうしてブログを書くのは初めてなので稚拙な部分もあるでしょうし、感じ取った意味も間違っている部分や他の様々な解釈もあると思いますが、どうか温かい目で見てやってください。

また本文は歌詞と共に、このリリックビデオの映像も引用して書き出しているので、まだ視聴していない方はぜひ先に以下の映像を見てから本文を読んでいただけると幸いです。

「星座になれたら」ー結束バンド
作詞:樋口愛
作曲:内藤英雄
編曲:三井律郎

1番 Aメロ
もうすぐ時計は6時
もうそこに一番星
影を踏んで 夜に紛れたくなる帰り道
どんなに探してみても
一つしかない星
何億光年 離れたところからあんなに輝く

Bメロ
いいな 君は みんなから愛されて
「いいや 僕は ずっと一人きりさ」

サビ
君と集まって星座になれたら
星降る夜 一瞬の願い事
きらめいて ゆらめいて 震えてるシグナル
君と集まって星座になれたら
空見上げて 指を差されるような
つないだ線 解かないで
僕がどんなに眩しくても

2番 Aメロ
もうすぐ時計は8時
夜空に満天の星
何億光年 離れたところにはもうないかもしれない

Bメロ
月が綺麗で 泣きそうになるのは
いつの日にか 別れが来るから

サビ
君と集まって星座になれたら
彗星みたい 流れるひとりごと
消えていく 残像は 真夜中のプリズム
君と集まって星座になれたら
切なる願い 誰かに届いたら
変われるかな 夜の淵を
なぞるような こんな僕でも

Cメロ
遥か彼方 僕らは出会ってしまった
カルマだから 何度も出会ってしまうよ
雲の隙間で

ラスサビ
君と集まって星座になれたら
夜広げて 描こう絵空事
暗闇を 照らすような 満月じゃなくても
だから集まって星座になりたい
色とりどりの光 放つような
つないだ線 解かないよ
君がどんなに眩しくても

https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/kessoku-band/hoshi-ni-naretara/


1. そもそも喜多ちゃんがいる場所はどこ?


まず最初に1秒だけ映る全体像、これが非常に興味深いのです。

https://www.youtube.com/watch?v=wSTbdqo-j74

最初に見ていた時にはなんとなく、物語の舞台であるライブハウスSTARRYから出た所かと思い込んでいました。しかしどうも真横の踏切や階段の手すり、そして北沢二丁目23という、STARRYのモチーフとなったライブハウス下北沢SHELTERとは異なる住所に違和感を覚えたのです。

そこで詳しく調べてみた所、ここは下北沢駅の西口南側の出入り口の階段から出た所ということが分かりました。


この下北沢駅を利用するのは、同じ学校から来ている喜多ちゃんとぼっちの二人であるため、映されてはいないものの喜多ちゃんの傍にはぼっちの存在があると考えられます。

そしてこの描写は駅の階段から出たところなのか、それとも入るところなのかという疑問も生じます。

そのことも考えながら、最初のAメロから考察していきましょう。


2. ぼっちにとっての一番星


もうすぐ時計は6時
もうそこに一番星
影を踏んで 夜に紛れたくなる帰り道
どんなに探してみても
一つしかない星
何億光年 離れたところからあんなに輝く

https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/kessoku-band/hoshi-ni-naretara/video/


もうすぐ時計は6時 影を踏んで 夜に紛れたくなる帰り道

https://www.youtube.com/watch?v=wSTbdqo-j74

時間は6時を示している上に帰り道とまで記されているので、映像の描写はSTARRYでのバイトやバンド練習を終え、喜多ちゃんとぼっちの2人が帰っている様子であることが分かります。

また喜多ちゃんの指している指だけ見るとまるで今からSTARRYに向かおうとしているようにも見えますが、これは進む方向を指しているのではなく、空に浮かぶ星を指していると考えられます。

https://www.youtube.com/watch?v=wSTbdqo-j74

また、「影を踏んで夜に紛れたくなる」という時のこの足元を映す描写は、ぼっちが、眩しい存在である喜多ちゃんの影に隠れてしまいたいと思っているようにも感じます。


もうそこに一番星 どんなに探してみても 一つしかない星 何億光年 離れたところからあんなに輝く

https://www.youtube.com/watch?v=wSTbdqo-j74

どんなに探してみても 一つしかない星

この歌詞が流れた時に、映されている喜多ちゃんにピンク色のフィルターがかかっています。これはつまり喜多ちゃんのことを見るぼっちからの視線であることを表現しているのではないでしょうか。

そしてぼっちから見える喜多ちゃんが、まるで星と同じような形になっているため、ここでの一つしかない星というのは喜多ちゃんであると考えられます。

つまりぼっちにとって喜多ちゃんは、何億光年離れていたとしても輝いて見える、そんな一番星のような存在であるということです。


3. “僕”と“君”


いいな 君は みんなから愛されて
「いいや 僕は ずっと一人きりさ」

https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/kessoku-band/hoshi-ni-naretara/video/

みんなから愛される“君”…これは喜多ちゃんのことで間違いないでしょう。

そしてみんなから愛される“君”のことを見る“僕”…これは喜多ちゃんとは正反対に、ずっと孤独だったぼっちのことであると分かります。

なのでこの歌の“僕”ぼっち“君”喜多ちゃんのことを指していると思われます。


4. 星座の意味とぼっちの願い事


君と集まって星座になれたら
星降る夜 一瞬の願い事
きらめいて ゆらめいて 震えてるシグナル
君と集まって星座になれたら
空見上げて 指を差されるような
つないだ線 解かないで
僕がどんなに眩しくても

https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/kessoku-band/hoshi-ni-naretara/video/

君と集まって星座になれたら

https://www.youtube.com/watch?v=wSTbdqo-j74

星座になれたらという時の映像には、結束バンドの4人のイメージカラーであるピンク(ぼっち)、(喜多ちゃん)、黄色(虹夏)、(リョウ)の4色の星が映されています。

これはそれぞれの星が繋がってひとつの存在になっている星座のように、4人それぞれがうまく繋がりあうことで結束バンドの成功へとつながることを指していると思われます。

つまり星座になる結束バンドの成功ということです。

しかしそれだけではなく、4つの星以外にもちろん喜多ちゃんも映されています。そして「“君”と集まって星座になれたら」という歌詞。

これらから、星座になれたらという言葉は結束バンドの関係と、喜多ちゃんとの関係の両方を表すダブルミーニングなのではないかと考えられます。


星降る夜 一瞬の願い事 君と集まって星座になれたら 空見上げて 指を差されるような

https://www.youtube.com/watch?v=wSTbdqo-j74
https://www.youtube.com/watch?v=wSTbdqo-j74

これは空を見上げた時に指を差される光輝く星のような、注目されるバンドになりたいということでしょう。

ただそれだけではなく、「星降る夜 一瞬の願い事」と「空見上げて 指を差されるような」という言葉が、上記の画像を見れば分かるようにピンク色赤色で示されているのです。

なのでやはり結束バンドだけではなく、ぼっちと喜多ちゃんの関係性もフォーカスされていると思われます。

そして「星降る夜 一瞬の願い事」はピンク色
空見上げて 指を差されるような」は赤色

つまりぼっちは、まるで一番星のような存在である喜多ちゃんのように輝きたい、という喜多ちゃんへの憧れからくる願いも持っているのではないでしょうか。


つないだ線 解かないで 僕がどんなに眩しくても


先程のBメロで示したように“僕”というのはぼっちである可能性が高く、
「僕がどんなに 眩しくても」の文字の“僕”と“眩”もピンク色になっているため、発言者はやはりぼっちであると考えられます。

https://www.youtube.com/watch?v=wSTbdqo-j74

そこを踏まえたうえで、この歌詞を結束バンドに向けた言葉と考えるとこの言葉は、ギターヒーローとしての自分がどれだけ優れていたとしても、輝いて見えたとしても、結束バンドの縁は解かないでほしいというぼっちの更なる“願い事”であると思うのです。

確かにギターヒーローとして一人で演奏した方が上手な演奏を見せられるし、もしかしたらギターヒーローとしてデビューした方があなたの為になる、と言う人が現れるかもしれない。

それでも私は結束バンドとして皆で演奏したいんだ
というぼっちの切なる願いが伝わってくるように感じられます。



そしてこの歌詞を喜多ちゃんに向けた言葉としても解釈してみましょう。

「僕がどんなに眩しくても」
喜多ちゃんにとって、ぼっちが眩しく見えるのはいつでしょうか。

そう、それはギターを弾いている時です。

ぼっちは結束バンドの中でも飛びぬけてギターが上手い一方で、喜多ちゃんはギターを始めてからまだ日が浅いです。
そんな中大きな実力の差や他の苦悩で、私じゃなくてもいいんじゃないか…
そう思ってしまうことがあるかもしれません。

実際原作でも、ぼっちのように人を惹きつけるような演奏はできないと感じたり、とあることで自信をなくしてしまったりすることもあります。

それでもぼっちは喜多ちゃんじゃないといやだ、私は喜多ちゃんがいい、だから何があってもつないだ線を、この関係を断ち切らないでほしい
そう願っているのではないでしょうか。


5. 離れ離れになった二人


もうすぐ時計は8時
夜空に満天の星
何億光年 離れたところにはもうないかもしれない

https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/kessoku-band/hoshi-ni-naretara/video/

もうすぐ時計は8時 夜空に満天の星

https://www.youtube.com/watch?v=wSTbdqo-j74

時間は8時を示しており、1番Aメロの6時の映像とは違い明らかに暗くなっています。
そのため帰り道から2時間が経過して空に満天の星が見えるほどの夜になってしまったことが分かります。

何億光年 離れたところには もうないかもしれない

https://www.youtube.com/watch?v=wSTbdqo-j74

そしてライブハウスSTARRYから家まで帰る時間が2時間であるぼっちは、既に喜多ちゃんと別れて帰宅しているでしょう。

そのためぼっちにとっての一番星であった喜多ちゃんの姿はもうそこにはいません

だから「何億光年離れたところにはもうないかもしれない」と不安になっているのです。


6. 月が示す存在と涙の理由


月が綺麗で 泣きそうになるのは
いつの日にか 別れが来るから

https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/kessoku-band/hoshi-ni-naretara/video/

月が綺麗で 泣きそうになるのは

https://www.youtube.com/watch?v=wSTbdqo-j74

このシーンでは喜多ちゃんの部屋が映し出されるのですが、「泣きそうになるのは」では「星座になれたら」の歌詞が映されます

そもそもこの言葉を作詞したのはぼっちで、歌詞も映し出されていることから、泣きそうになっているのはぼっちであると考えられます。

ではなぜ、月が綺麗で泣きそうになっているのでしょうか。

https://www.youtube.com/watch?v=wSTbdqo-j74

「月が綺麗で」のシーンでは喜多ちゃんのギターが月に被るように映し出されていますが、実はこの動画の最初にもこれと同じような映像が映されていたのです。

https://www.youtube.com/watch?v=wSTbdqo-j74

上は4つのシーンを1つにまとめたものですが、このように動画の最初の十数秒で4回も、月に喜多ちゃんを被せて映し出していたのです。

これらのことからおそらく喜多ちゃんを示す存在なのではないかと思われます。

そして月を見て泣きそうになるぼっち。

これはつまり、帰宅したぼっちは月を見た時に、喜多ちゃんを思いだして泣きそうになったということでしょう。

いつの日にか 別れが来るから

https://www.youtube.com/watch?v=wSTbdqo-j74
https://www.youtube.com/watch?v=wSTbdqo-j74

「いつの日にか 別れが来るから」で映される喜多ちゃんの部屋の周りには、1番の「いいや 僕は ずっと一人きりさ」で描かれていた筈の月が無くなっています

月が喜多ちゃんの存在を示すとすれば、喜多ちゃんとのいつか来るかもしれない本当のお別れが仄めかされているのでしょうか。

今はただお互いの帰り道で別れただけで、またすぐに学校やライブハウスで会えるけど、いつの日にか本当の意味で離れ離れになってしまう日が来るかもしれない、そう思っているのかもしれません。

やっぱりぼっちはずっと一人きりは嫌なのでしょう。中学までずっと話す相手もいなかったぼっちにようやくできた友達なのですから。

だからこそぼっちは、これからもずっと一緒に喜多ちゃんと居たいと願い、月を見て泣いてしまいそうになったのです。


7. 二つの願いと最初と最後に叶ったひとりごと


君と集まって星座になれたら
彗星みたい 流れるひとりごと
消えていく 残像は 真夜中のプリズム
君と集まって星座になれたら
切なる願い 誰かに届いたら
変われるかな 夜の淵を
なぞるような こんな僕でも

https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/kessoku-band/hoshi-ni-naretara/video/

彗星みたい 流れるひとりごと 君と集まって星座になれたら 切なる願い 誰かに届いたら


ぼっちの最も切なる願いを込めたひとりごとは何でしょう。
それは間違いなく、中学1年の時から言っていた“あの”言葉だと思います。

ここで1話冒頭のぼっちを思い出してみましょう。

「後藤ひとり中学1年生 たまに思う、このままでも良いんだろうかって」
「バンド組んだら私みたいな人間でももしかしたら輝ける…?」
「決めた、ギターうまくなる! それで、学校でバンド組んで…それで文化祭でライブして皆からちやほやされるんだ…!」

そう、ザ陰キャのような日々を過ごしていた自分でも輝きたいと思い、始めたギター。そして始めた時に強く願ったことは、学校でバンドを組むこと、そして文化祭でライブをすることです。

ですがその願いは中学3年間で叶うことはありませんでした。

しかしその願いは、高校1年生にして遂に“誰か”に届くのです。

https://www.youtube.com/watch?v=wSTbdqo-j74
https://www.youtube.com/watch?v=wSTbdqo-j74

ではその誰かとは誰を指しているのか、ですが…もうお分かりですよね。

それはもちろん結束バンドの皆です。しかしそれだけではありません。
喜多ちゃんだけにも届いているはずなのです。

1番サビと同じように見てみましょう。

彗星みたい 流れるひとりごと」はピンク色
切なる願い 誰かに届いたら」は赤色になっています。

なのでぼっちの彗星みたいに流れてしまったひとりごとは、切なる願いは、間違いなく喜多ちゃんにも届いているのです。


変われるかな 夜の淵を なぞるような こんな僕でも

https://www.youtube.com/watch?v=wSTbdqo-j74

中学までは、暇つぶしに夜の淵をなぞるくらい孤独だったぼっちですが、結束バンドに出会うことで、学校ではないもののずっとしたかったバンド活動をすることができ、今までの生活から大きく変わることが出来ました。

これがアニメ1話で叶ったぼっちのひとりごとです。

そして喜多ちゃんに届いて叶ったひとりごとは何か。
それは最終回である12話の…そう文化祭ライブです。

ずっとしたかったはずの文化祭ライブですが、ぼっちは勇気を出せずにせっかく書いたバンド出演用紙を捨ててしまいます。

そんなぼっちの背中を押し、ずっと思い描いていた願いを叶えるための一歩を踏み出させてくれたのは喜多ちゃんでした。

ぼっちの本当のかっこいい姿を皆に見せたかった喜多ちゃんが、捨ててしまったはずの用紙を出してくれたおかげで、文化祭ライブをしたいというぼっちの二つ目のひとりごとが叶うことになったのです。

つまり中学1年からのずっと叶えたかった願いがアニメの最初の1話と最後の12話で叶い、あの孤独だったぼっちが変われることが出来たのです。


番外1 「夜の淵」にもし他の意味があるのなら結構ぼっちちゃん大胆ですね


このぼっち・ざ・ろっくにはもう至る所にASIAN KUNG-FU GENERATION、通称アジカンのオマージュがありまして、結束バンドのメンバーもアジカンのメンバーが元になっています。(例えば主人公の後藤ひとりの元ネタは後藤正文さん)

そしてアジカンが流行った2000年代の邦ロックを語るうえで欠かせないのはBUMP OF CHICKENですよね。

そんなバンプの曲である天体観測、これってかなりこの「星座になれたら」と共通点があるんです。

「天体観測」-BUMP OF CHICKEN
作詞:藤原基央
作曲:藤原基央

午前二時 フミキリに 望遠鏡を担いでった
ベルトに結んだラジオ 雨は降らないらしい

二分後に君が来た 大袈裟な荷物しょって来た
始めようか 天体観測 ほうき星を探して

深い闇に飲まれないように 精一杯だった
君の震える手を 握ろうとした あの日は

見えないモノを見ようとして 望遠鏡を覗き込んだ
静寂を切り裂いて いくつも声が生まれたよ
明日が僕らを呼んだって 返事もろくにしなかった
「イマ」という ほうき星 君と二人追いかけていた

https://lyricjp.com/ats/a000673/l000beah

1番だけ載せましたが、午前二時というように時間を指していたりフミキリがあったり、だったりととても無関係とは思えないですよね。

そしてこの後の「星座になれたら」のCメロで出てくる、「遥か彼方」と「カルマ」という言葉は間違いなくアジカンとバンプを意識して作詞していると思います。「遥か彼方」はアジカンの、「カルマ」はバンプの曲ですからね。

ですので以上3つはおそらく意識されて組み込まれている楽曲だと思います。

ただ一つ気になるキーワードがあって、それが「夜の淵」です。
何が気になるかというと、夜の淵をなぞるって表現余りしないと思うんですよね。

それで夜の淵って調べると上の方は殆どRADWIMPSの曲としてヒットするんです。

ただ「夜の淵」自体は結構新しめの曲なんですが、RADWIMPSはアジカンのちょっと下の世代ぐらいのバンドだと思うので、絶対に関係ないとは言い切れないんですよね。

(アニメ3話でもモブ達がRADWIMPSらしきバンドの話をしていて、それにぼっちが反応していました。)

何より星とか星座とか、歌詞も結構似ているんです。

「夜の淵」-RADWIMPS
作詞:野田洋次郎
作曲:野田洋次郎

静かな 夜の淵
真っ黒な 空にぽつり
ひとつまた ひとつ光る
あれは いつかの光

もう少しで 朝がくる
眩しいほどの 光連れて
それまでは 心の中
小さなロウソク 大事に灯し
夢で手をつなぎ 一緒に眠ろう

あんなに近くで光る 隣同士の星よりも
僕らは ずっと近くで 息をする

運命めいて結ばれた あの美しい星座よりも
僕らは ずっと近くで 想いあう

何のため 生まれたのか
わからない 僕たちだけど
涙を流すためじゃ
ないことだけは たしかさ

それだけは たしかだ

あんなに近くに見える 隣同士の星よりも
僕らは ずっと近くで 息をする

運命めいて結ばれた あの美しい星座よりも
僕らはずっと近くで 想いあう
僕らは ぎゅっと手を 繋ぎあう

https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/radwimps/yoru-no-fuchi/

これってもしかして運命めいて結ばれた実際の星座よりも、もっと深い関係になりたい、ずっと近くで息をしたい、想い合いたいということなんでしょうか…?

そんな星座(関係)になるためにぎゅっと手を繋いでいたい…ということなんでしょうか…?

もしそうだったらぼっちちゃん喜多ちゃんに結構大胆な気持ちを伝えてますね。

あ、そういえば夜の淵が歌詞に含まれる曲が他にもヒットしたんですよね。


Mr.Childrenで、「君が好き


追記
(そういえばMr.Childrenには「星になれたら」っていう名曲があるんですね。なんだかシンパシーを感じざるを得ない曲名をしてますね。)


8. 結束バンドは運命で繋がっている


遥か彼方 僕らは出会ってしまった
カルマだから 何度も出会ってしまうよ
雲の隙間で

https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/kessoku-band/hoshi-ni-naretara/video/


https://www.youtube.com/watch?v=wSTbdqo-j74

この歌詞の映像には結束バンド4人の楽器が映されます。
つまりこれは結束バンドのことを示す歌詞であるということです。

ざっくり言うと、私たちは遥か彼方から出会ってしまっていたかのような関係で、それは宿命であり、運命であるから何があったとしてもやり直せるということでしょうか。

https://www.youtube.com/watch?v=wSTbdqo-j74

そして「雲の隙間で」の映像では月から黒い星が消えていく描写や、月に多少の雲がかかっている様子が分かります。

まとめると、例え光に曇りがかかったとしても、何か結束バンドに不穏なことが起こったとしても私たちは遥か彼方からの運命で結ばれているから絶対乗り越えられるはずだ、というぼっちの結束バンドへの思いが込められた歌詞なのではないかと思います。


9. これからも成長し続けるぼっちと結束バンド

君と集まって星座になれたら
夜広げて 描こう絵空事
暗闇を 照らすような 満月じゃなくても
だから集まって星座になりたい
色とりどりの光 放つような
つないだ線 解かないよ
君がどんなに眩しくても

https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/kessoku-band/hoshi-ni-naretara/video/


夜広げて 描こう絵空事


1番や2番のサビでは願い事ひとりごとしか出来なかったぼっちが、こうして最後のサビでは、「夜広げて描こう絵空事」みんなに語りかけています

ここからも、最初の孤独だったぼっちから、結束バンドの皆のおかげで変わることが出来てきていることが目に見えてわかるでしょう。


暗闇を照らすような 満月じゃなくても だから集まって星座になりたい 色とりどりの光 放つような

https://www.youtube.com/watch?v=wSTbdqo-j74

映像だと色とりどり(4色)の光が映され、その後まるで本物の“結束バンド”のような円になるために光がぎゅっと縛られています。
この縛られて余っている光の線も、ぎゅっときつく締めた時の本物の結束バンドの余っている部分によく似ていますね。

https://www.youtube.com/watch?v=wSTbdqo-j74

また光の結束バンドの中には、結束バンドメンバーの楽器があり、星座のように光が繋がろうとしています。

しかし4人の楽器は殆ど繋がっているものの、明確にぼっちのギターから喜多ちゃんへのギターに向かう光の線が途中で止まっています。

またピンク色“君”と“眩”という文字が黄色(虹夏)青色(リョウ)によって部分的に削られています。

これはまだぼっち本来の実力が未だに発揮できていない結束バンドが完成しきっていないという事を指しているのではないでしょうか。

これらからぼっちは、例えそれが絵空事であったとしても、暗闇を照らすように輝く満月のようにまだ完全ではなくても、少しでも4人の色を放てるような、そんなバンドに成長したい、そう思っているのではないでしょうか。

つないだ線 解かないよ 君がどんなに眩しくても


だからどんなに結束バンドが眩しい存在になったとしても、私はこの運命で繋がっているような縁を関係を絶対に離したくないというぼっちの強い意思も感じ取ることが出来ました。

そして最後はこの歌詞を、喜多ちゃんに向けた言葉として解釈して終わりましょう。

眩しいと聞いて何か思い浮かんだ歌詞があると思います。
そう、5話のオーディション回で初登場した劇中歌である
ギターと孤独と蒼い惑星」です。

この曲に「眩しい 眩しい そんなに光るなよ わたしのダサい影が より色濃くなってしまうだろ」という歌詞があります。

この時の眩しい存在は十中八九、喜多ちゃんで間違いないでしょう。

まだ喜多ちゃんと知り合って日が浅いこの頃のぼっちは、陰キャ度に拍車をかける喜多ちゃんの陽のパワーに屈しているような、まるで陽への反抗心からできた歌詞を書いていたように思われます。

しかし今回の「星座になれたら」はどうでしょうか。

つないだ線 解かないよ 君がどんなに眩しくても

眩しいから光らないでくれと言っていたぼっちが君がどんなに眩しいとしてもつないだ線を、築いた関係を決して離さないよと言えるようになったのです。

これってものすごく成長してますよね。ぼっちは本当に結束バンドや喜多ちゃんと出会ったことで、今まで全く出来なかった経験を得て、大きく成長し続けているんだなと感じます。

きっとこれからもぼっち、そして結束バンドは成長し続けていく姿を見せてくれることでしょう。
だからいつの日かその成長を、またアニメで見れる日を楽しみに待っています!

https://bocchi.rocks/special/present_ep12/


ここまで読んでくださった方へ


以上が私の「星座になれたら」の解釈であり、それと同時にぼざろアニメ1期への総決算です。

本当にここまでアニメ映像も、曲も、声もすべてを楽しむことができた最高のアニメは久しぶり…いや無かったかもしれません。

作者様や声優の方々、アニメや曲の制作陣の方々には感謝を伝えきれないほどです。

そして、もしここまで読んでくださっている方がいたら、本当にありがとうございます。ここまで書いた解釈は絶対というのは殆どなく、受け取り手の数だけの無数の解釈があって当然であると思います。

しかし、少しでもあなたのぼっち・ざ・ろっくと「星座になれたら」への理解の一助になれたのであれば幸いです。

それでは最後はぼざろらしく締めましょうか。

センキュー!

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