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生成系AIが書いてくれるのにブログを書くのは

ども、かにかまトマトです。カナダでアプリとかを作ってます。

これからAIの時代に「文章書くこと」って必要なのでしょうか?
毎日noteを書いていて思うわけです。

使ったことある人なら分かると思いますが、最近の生成系AIって本当にすごいんですよ。
全部やってくれます。

Chat-GPTに適当に「〇〇についてブログっぽく文章」書いてって言ったらものの数秒で文章が出来上がります。


では、僕はなんのためにこんなことしているんだろうと思うわけです。

文章を書くことを続けたところで、なんの訳にもたたないのでは?
文章が上手く書けたからってなんだ?

文章を書くことのメリット

そもそも文章を書く・書けるようになるメリットってなんでしょう?

頭の中を整理できること。
文章を書くには、普段から考えているけどまとまっていない意見や思いを言葉にしなければいけません。
やりたいこと、感じたこと、新しいアイデア、シェアしたいことなど。

文字にすると自分の考えていることがより具体的になってきます。

そしてどんどんそれが構造化されていくと、自分が見えてなかった部分や新たな疑問が湧いてきたりします。

「そうか、自分はこういうことを考えていたんだな」とか
「改めて考えてみるとちゃんと理解できてないんだな」とか。
思いのほかにいろいろな発見があります。

記憶に定着し、深く考えることができること。
文章を書く時は一度自分の頭で書きたいことの情報を消化しないといけません。
頭の中だけで考えるのって結構難しいです。

同じところをグルグル回っていたりします。

それを言語化することで自分の考えを客観的に見れるようになります。
思考はより深くなるし、記憶にも定着しやすくなります。

そういった深く考えるクセを文章を書くということで身につけておけば、新しい発想であったり自分の意見が生まれくると思います。

言葉のスキルが上がること。
取捨選択ができる編集能力といいましょうか。

読みにくい文章は無駄に長いし、おもしろくない話をする人も話が長い。
端的に言いたいことを心地よい長さでお相手に伝える。長ければいいってもんではない。
むしろどれだけ削れるか。

いい文章を書けるようになるとそのへんが上手くなるのではないかなと思います。

思いを伝えられること。
誰かに何かを伝えるには言葉しかありません。

言葉には一撃で人の気持ちを動かすチカラがあります。
人は「人の言葉」に突き動かされます。
これはまだまだ生成系AIが生み出すのは難しいのではないでしょうか。

ヘンテコな文章であっても、その人の思いや体験がのった文章に僕らは魅了されてしまします。
これからはそういう文章に価値がでてくるのではないでしょうか。

生成系AIもどんどん進化していって、その人が書いたような文章もそのうち真似できるようになるかもしれません。

でもそれは、インターネットから拾い集めた過去のサンプルをつなぎ合わせて作ったもっともらしい内容なだけです。

でも「言葉のチカラ」ってどこまでいっても、やっぱり人から生まれるのではないかなと思います。

ということで

自分で文章を書くというのは、自分を表現したり、人間としてのコミュニケーションであったりするわけです。

どれだけ生成系AIが発達したとしても人は何かを「書きたい」と思ってるはずだし、人が書いたものを「読みたい」と思ってるはずです。

きれいな文章や情報としての文章はAIで生成できるようになるかもしれませんが、僕が今考えていることは僕にしか書けないはずなので。

生成AIで出来る文章と自分が書く文章とでは、そもそもの目的が全然違うのかもしれません。

ということで今日も頭を抱えながらなにかを書いてるわけでございます。

ではでは。

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