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こじきいろ

出会い

こじき・・・・
その呼び名を聞いてあなたはどんな想像をするだろう。
定住先を持たずに放浪し、収入がないので物乞い等で飢えを凌ぐ。
多少の違いはあるだろうが、そんなイメージを抱く人が多いだろう。

これは、とある時代遅れの年老いたこじきと少女の物語。

こじきはその素性や略歴は不明なことが多い。話を聞けば、昔社長やっていたとか、没落貴族の末裔だとか、プロ野球選手だったとか、中には虹色のように複数の肩書きを名乗る人もいる。
その実は他人にはわからない。

とある街の高架下の河川敷に住み着いた老人もそんなこじきの一人だった。

いつ、そこに住み着いたかわからないが、気づいたらボロ切れを纏い、同じくボロ切れを使って簡易テントを作り、焚き火をするなど、もはやフィクションの中でも出てこないようなこじきの振る舞いをしていた。

あまりにも異様な空間となっていて、誰も近づかない。

仮に老人に近づいたとしても、彼が放つ殺気とも好意とも取れぬオーラに尻込みして、その場を後にしてしまう

そんなこじきだった。

彼がこの街にきて数日たったある日・・・・

「やれやれ、警察に目をつけられたし、ここにいるのも潮時だな。気に入っていたんだけどな。この場所・・・・」

いつものように焚き火をしていたところ、巡回していた警察に職質を受けた。今回は注意で終わったが、明日以降はどうかわからない。

そんなとき

「ちょっと宜しいですか?」

この空間に似つかわしくない。可憐な声が響いた。

老人が見上げると、一人の少女が立っていた。黒髪のショートヘアにセーラー服、背格好も考慮すると女子高生だろう。

「ここはお嬢ちゃんみたいなわけぇ子が来る場所じゃねぇぞ」

「そうですか?むしろ若者は河川敷は好きだと思いますよ。サッカーの練習したり、川縁で詩歌を誦じたりする人意外といるんです
むしろお爺さんみたいな身なりの人こそ絶滅危惧種ですよ。なんでそんな格好しているんですか?」

少女は、老人のつっけんどんな態度にも物怖じせず、むしろ積極的に質問さえしてみせた。

「それはお嬢ちゃんが世界を知らなすぎるからだ。川沿いに住む者はみんなこのように布切れを纏うのがしきたりになっているんだよ」

「聞いたことないですね。少なくとも日本では。」

そういいながら少女は老人の身なりを改めてみた。
たまに街中で見かけるホームレスと言われる人種ですら、既製品の服を身に纏い、ブルーシートや段ボールで家を作っているケースの方が多い。
老人のような格好は、もはやファンタジーだ

「日本でも20年以上前には沢山いたのだが。今は随分駆逐されたみたいだな。」

老人はさも見てきたかのように言った。

「本当ですか?なんかお爺さんが作った話じゃないですかね?なんか得意そうに見えますよ?」

「ふん。小娘が、抜かしおる」

少女が放った疑問に老人は笑みを浮かべた

「えへへ。生意気言っちゃった。

ところでお爺さんはなんでこんなところに住んでいるのですか?
普通に危ないと思いますよ」

「・・・・・」

老人は一瞬目線を上の高架に向けたが、すぐに少女の方に向いた。

「わしクラスになれば、そこらへんのごろつき、チンピラなど相手にならん。
昨日も2~3人でやってきた若造を可愛がってやったわい」

「そうは見えないですけど」

「連中は基礎がなっていないからな。ぬるま湯で生きていた連中の拳などぬるいぬるい」

「あはははは。まるで格闘家みたいな言い回しですね」

「その通り。わしは世界中を旅する格闘家なのさ」

「へぇ~”自分より強いやつに会いに行く!”ってことですかね。
昔何かのフィクションで見たことありますよ、そんな格闘家。」

「そこまでの求道者ではないよ。本職の片手間に護身術で身につけたようなもんだからな。」

「本職?」

「ふっ。せっかくだ。格闘家になった経緯も含めて少し昔話をしてあげよう」

老人の回想〜倉庫の事件

あれはいつだったかな。まだ公民権運動が全盛期だった頃。わしは仕事仲間に呼び出された。

そいつとは若い頃からの付き合いで、一緒にいろんな山に当たってきた。
相棒と言ってもいい存在だった。

その日は、ある大きな取引の最終仕上げに入る予定だった。
拠点に朝早く着いたわしは、すぐに相棒がいないことに気がついた。
しばらくたっても相棒は現れず、連絡すらこないので、わしは拠点を離れて探すことにした。

当時は携帯電話なんてものはなかったから、拠点に設置していた電話でしかやり取りできなかった。
だから相棒が訪れそうな場所をしらみつぶしに探した。

日中ずっと探し回っても見つからず、どうすればいいのか途方に暮れて拠点に戻ったとき、
狙い澄ましたかのように電話がかかってきた。

「とにかく今からいう倉庫まできてくれ!詳しいことはそこで話す」

そこで電話は切れた。

どう考えても罠でしかない。
こうなった時点で拠点を畳んで高跳びするのが普通だ。

だが相棒は当時のわしにとっては、なくてはならない存在だった。
切り捨てるという決断がどうしてもできなかった。

要は若かったのだ。

だから指定された虎穴に入る決意をした。

その日の夜。指定された倉庫に入ったわしはすぐに相方を見つけた。
相方を取り囲む無数の”取引相手”たちを含めて・・・

「すまない!俺が油断したばかりに」

「その話はまた後でだ。
全く、パーティーをするにしても、もっと明るい場所にしてもらいたいもんだな。こんな陰気なところじゃ飯も不味くなる。」

わしが周りを威嚇しながら相棒に近づこうとすると、

「豚にはお似合いじゃない?人の財産まで貪り食うような汚い豚にとってはね!」

そう言いながら、その場には相応しくない”女”が姿を現した。
「やれやれ、俺たちもヤキが回ったもんだな。こんな小娘に出し抜かれるなんて。今から養豚場にでも再就職するか?」

「再就職なんて選択肢、豚には存在しないわよ。背伸びした小悪党が!
まったく!大の大人が揃いも揃って、こんなガキ二人に振り回されているなんて、呆れてものも言えないわ。尻拭いさせられる私たちの身にもなってよね。ほんと」

相棒が口を開く前に女が呆れながら罵ってきた。
よく見ると首にはかなり豪華な装飾のネックレスをしている。
金と銀、そしてダイヤモンドが散りばめられており、これも女同様場違いなものに思えた。

多分良家のお嬢様だろう。

あとでわかったことだが、わしらが取引していた連中の保証人になっていたのが、彼女の経営する会社の一つで、そこから足がついたらしい。そういう爪の甘さもわしらが若かったが所以だ。まぁ後悔したって仕方がない。

「で、どうするんだ?ひき肉を作るには役者が多すぎねぇか?それにそんなことしても大切なものは戻ってこねぇぞ」

「おあいにく様。私はそんな汚い肉なんて食べないんでね。
でも・・そうね、豚が踊り狂うのは見てみたいわ。
ここには猛獣が揃っているしうってつけね。
踊っていうるうちに、話したくなるでしょうしね」

そういうとネックレスの女は周りにいる部下に向かって指示を出した。

パーン!

銃声がなると同時にわしの頬を銃弾が掠めた。
どうやらわざと外したらしい。

そのすぐ後に別の方向からも複数の銃声が響いた。

だがわしには1発も当たることはなかった。

ご丁寧にわしのすぐ横の地面に向かって打っていたのだ。

やろうと思えばいつでもやれるぞという意味で

「あら?意外と肝が据わっているじゃない。その強気がいつまで持つかしらね」

ネックレスの女がそういうと同時に無数の銃声が鳴り響いた。明らかに地面が抉れるほどの量の銃弾が打ち込まれているようだ。
そんなわしの様子を見て彼女は笑っている。明らかに品性のない笑いだ。
・・・・気に食わない。良家のお嬢様だかなんだか知らないが、
こっちは明日生き延びれるかどうかすらわからないことだってあるんだぞ。

なんとかして彼女に一泡吹かせたいと思い、思いつきでこう罵った。
「全く。最近のお嬢様とやらは、こんな汚い仕事もするもんかね。こんなんじゃ、せっかく身につけた高価なネックレスも裸足で逃げ出しちまうだろうよ」

ちょっと動揺させたかっただけだ。当時はこれを起点に脱出の算段を企てるほどの余裕なんて持ち合わせていなかった。若さに任せ、感情だけで放った妄言の一つに過ぎなかった。

だが、その言葉を聞いた瞬間彼女は顔を真っ赤にして激昂した。

「な、なんですって!
と、取り消しなさいその言葉!!このネックレスは我が家に伝わる由緒正しき家宝なのよ。受け継いだ私も正当な後継者であり、私の首元にあるのは必然なのよ!このネックレスを失うことなんてあり得ない!
下等人種が知った口聞きやがって!
もういい!遊びは終わりよ!
とっととひっとらえなさい!」

思った以上にクリティカルヒットだったみたいだ。
彼女は完全に取り乱し、部下と思われる人間が宥めながら彼女を奥へと引っ込めた。
それと同時に周りにいた。部下と”取引相手”たちが一斉に襲いかかってきた。

そこから先は乱戦だった。殴り、殴られ、撃たれの繰り返し。


「正直わしもどうやってそこを切り抜けたかは覚えていない。
気がついたら、倉庫を脱出して、近くにあった車に乗り込み、その街から脱出した。」

「相棒の人は・・・どうなったんですか?」

「わからん。乱戦になった当初はわしも相棒のところに向かおうとしたのだが、何せあまりにも大人数がそこにいたからな。脱出するのが精一杯だった。
あの時ほど後悔したことはない。自分の片腕といってもいい相棒を、見殺しにしたかもしれないという事実に。
その日以降、わしはこのような危機的状況を乗り切るために、格闘術を身につけたのさ」

少女の憂鬱

老人の話に少女を聞いた少女の顔は少し曇っていた。
その表情は、老人への同情以外の感情も見え隠れする。

「やっぱりお金が絡むと人って殺伐とするものなんですね」
「そりゃ命みたいなものだからな。たまをとられるとなれば、必死になるさ。人間ってやつは」

「それで本当に命を落としてしまうかもしれないなんて・・・」

そういって少女は目線を落とした。握りしめた拳が冷たくなるのを感じながら。

「どうやらお嬢ちゃんに話すべき話じゃなかったな。純粋な子に話すには少々刺激が強過ぎたみたいだしな。」

「そんなことないですよ・・・・。」

老人の話だけが彼女を曇らせているわけではない。少女の内側にある記憶もまた、彼女を蝕んでいるのだ。やがて、少女はこんな疑問を口にした。

「お金を持っていれば幸せになれますか?」
「ん?どうしたんだ?」
「多くの人はお金より愛や友情を大切にしろっていうけど、結局そういう人に限って、最後はお金を求めているような気がするんです。
お金、お金、お金、そんなにまでしてお金を求めて。
その結果、大切にしろといった愛や友情を失ってしまうじゃないですか・・・・。
こんなにまでなって金を得て、それって幸せなんですか!」

少女は堰を切ったようように捲し立てた。明らかに憶測や妄想で紡がれた言葉とは思えない。心のそこから湧き上がる叫び。
老人は決して彼女の声を遮ることなく聞き続けた。

やがて少女は落ち着いてこう続けた
「私はお金に幸せを見出せないんです・・・」
「なんでまた・・・」
「幸せを感じることはありますよ。学校で同級生と話をしているときや本を新聞を読んでいる時。あ、お爺さんと話している時も楽しいと思っていますよ」
「そりゃどうも・・・・。」
「でもお金の話をしている時は、いつも心は冷めたままです。
相手の目もまるで狩りをする獣みたいで、とても心を通わせれるような気がしないんです。
なんでしょうね、ロボットにでもなった感覚です。」

寒空のなか、焚き火だけでは温めることができないほど、少女は冷え切っていた。

「お嬢ちゃんのいうように、お金だけで幸せを得ることはできない。」
「・・・」
「お金とは、信頼の対価として得るものともとわしは思っている。相手が自分を信頼してくれる、自分が相手を信頼する。命をかけるのもその一環だな。そんな関係を可視化するためにお金というものを用いてるのさ。対して幸せというのは信頼のその先にあるものだ。一緒にいたら楽しい、安心する、もっとこの人と一緒にいたい。そんな気持ちになれることをわしは幸せだと思っている。だからお金と幸せはつながりはするが、直結はしていないと思っているよ。」
「・・・お金で幸せになれないわけではないんですね。」
少女の表情は少し和らいだ
「まぁお金を得ることと幸せになることは無理に繋げない方がいいと思うがね。
・・・お嬢ちゃんは優しい子だな」
「そんなことないですよ。」
「お金の本質について、ここまで真剣に考え、わしの話を聞いても、お金のことを安易に悪者にせず、良い面を模索しようとするのは、冷酷な人間にはとてもできないものだよ。」

老人の人生において、少女のような優しさを持った人間には何度か遭遇している。
そのような人間は大抵他責的な考えをせず、深い憂いや思慮をもって物事を考える傾向がある。

「どうでしょう?そんな人でも道を踏み外すかもしれないですよ」
「確かにその可能性もある。ただ、今のお嬢ちゃんのような思考を維持できれば、少なくとも大きな踏み外しはないだろう」
「成る程。肝に銘じておきます」

少女のこの悩みは、短い時間では解消できる代物ではない。ただ心の負担は幾分か軽減した。

「うふふ。なんかカウンセリング受けてるみたいですね」
「お嬢ちゃんが自分から色々話してくれたからな。
これくらい訳ないさ。わしはカウンセラーもやっているからな」
「格闘家の次はカウンセラーですか。色々やってますね」
「お嬢ちゃんの悩みほどではないが、結構厄介な話も聞いたことある。
どれ、今度はその時の話でもしようかな・・・」

老人の回想〜ネックレス事件


あれは相方を失って何年か経った後。
わしは各地を転々としていた。
最初は相方がいないのもあって、ミスは多かったが、
それでもなんとかやっていけるまでになった。
そんなある日。
雪がしんしんと振るある国の橋の上で、わしは一人の女性とであった。
お団子ヘアーに茶色のコートを羽織り、横には大きなスーツケースが置いてあった。

彼女がいたその場所だけ明らかに異様な空気が漂っていた。何人も寄せ付けない、近寄るものを全て拒絶するようなオーラを放ていた。
こちらがの視線に気づくと、明らかにナワバリに入った獣を威嚇するオオカミのような目を向けてきた。わしに対しても例外じゃなかった。

その後もその橋を通るたびに、そのコートの女を見かけた。同じ場所、同じ格好で・・・・。

そんな日々が何日か続いたある日、突如コートの女はいなくなった。正直彼女に興味が出てきた時期だったので、少し寂しくあったが、そもそも同じ場所にずっといること自体がおかしいわけだから、この状況の方が普通なのだと自分に言い聞かせた。結局なかなか軌道に乗らない仕事に追われるようにその場を離れて、その女性のことも忘れた。

そこから更に数日経った。
まだ仕事は忙しかったが、それでも相棒の抜けた穴を埋める術もようやく見つけることができ、心なしか余裕ができた。
そんなある日の夜。久々にその橋を渡ることになった。
そしたら・・・・・

いた!あのコートの女だ!同い場所に、同じ格好で!同じスーツケースを持って
ただ前と違うのは、その女性から拒絶のオーラがなくなっていた。
どちらかというと・・・・くたびれているようだった。
今なら話しかけれそうだ。そう思って、意を決して近づいて行った。

「こんなところで何をしているんですか?もしかして誰かを待っているとか?」
「・・・・放っておいてくれる?今は一人でいたいのよ」
「今は・・・ですか。私が知る限り、随分前からこの場所にいらっしゃったのような気がしますが。」
「何?私のことつけてたの?私のストーカーか何か?」
「確かに貴方は何か放っては置けないような空気が出ている。何か気品みたいなものを感じる。どこか高貴な身分の人ではないかと思ったくらいですよ」

これはいつもの口から出まかせだ。こんなこと口走ったところで基本無視されるのが基本だ。
ただ、少しでも会話を続けようという一心で言った。
だがその瞬間コートの女の表情が一瞬こわばった。何か触れられたくないものに触れられたような表情をしていた。

・・・しくじった・・・。
流石に怒鳴られて、追っ払われるだろうな。そう思って身構えてたが、コートの女からの返しは意外なものだった。

「へぇ・・・失礼な物言いとは裏腹に、人を見る目はありそうね・・・」
「それは光栄ですな」
「私はこう見えてもフランスのハプスブルク家から続く由緒正しき家系の出よ。本来なら下々が名前を聞くのも勿体無いのよ」

コートの女は得意げに話だした。色々言いたいことはあったが、ここで話を滞らすと、二度と口を聞いてくれないだろうという思いから、わしは彼女の話に乗ることにした

「なんと、王家の方ですか。確かに私には縁のない世界ですな・・・。もしよろしければその王家であったお話でも一つ、私めにお聞かせ願えないでしょうか」
「そうね・・・」

こうして女性は自分が”住んでいた家”について話し始めた。
「下々のものは朝の支度だなんだでいつも早く起きるみたいだけど、私のような立場になれば、起きる時間なんて気にしなくていいの。大体8時、9時くらいかしらね。執事がその頃には、食事の準備をしてくれるの。朝と昼を兼ねてるからブランチになるわね。そこで、ゆっくりと新聞を見ながら、その日の予定を確認するまでがルーティンになってたわ。大抵昼過ぎから友達とティータイムに洒落込み、夜にはディナーを兼ねた懇談会が始まるの。そこで、イギリス王室やスペイン王室のご子息、私のような由緒正しき貴族の娘、豪商や金融屋たちとの歓談という名の交渉をしてたわ。ここでのやり取りが我が家の新たなる繁栄に繋がるから、決して手を抜く訳には行かないのよ。そして会が終わったら、明日の予定を立てつつ、豪華なベットで寝るのよ」

コートの女は遠い目をしながら、自分の過去の生活と称する話をした。どこか憧れているような口調だった。見てきたものを述べているようにも感じられた。
この話が事実だとしたら、彼女がここにいるのはますます不自然ということになる。
だからわしはその点を聞いてみることにした

「成程、中々素敵な生活をなさっていたのですね。私も可能ならあやかってみたいほどですよ。それだけ高貴な生活をしていられる方が、なぜこのような下々が暮らすような場所に・・・」

「・・・・家出したのよ・・。ちょっと揉めて、家に居づらくなったの。」
「家出するほどの揉めごとだったのですか?」
「・・・・あいつが悪いのよ。私は間違いなく振る舞っていたはずなのに、いつも馬鹿にした口調で罵ってきやがって。私があんなに頑張っていたのに!あいつばかりチヤホヤされて!あいつばかり!あいつばかり!!」

ここにいる理由を聞く時点で、ある程度傷に触れる可能性があると思い、覚悟して質問したのだが、コートの女は予想以上に激昂した。もうその弁舌を止めることは不可能と思い、おとなしく聞くことにした。

「あの日、私はワインが飲みたくて仕方がなかったの。その日は夜でも汗ばむほどの暑さだったので、グラスに氷を入れて飲むことにしたの。リビングに1式を揃えて嗜んでいた時よ。
あの女が!あの女がやってきたのよ!まるでこちらを見下すような目をしながら!
そしてこう言い放ったのよ!
『全く下劣な生き物が場違いな場所にいると思ったら、こんなところで無教養を曝け出しているとはねぇ。氷を入れられたワインが可哀想だわ』」

高止まりだった彼女のボルテージは、”あいつ”の話に差し掛かった瞬間最高潮になった。

「ほんとあいつってば、人の傷口にいとも簡単に塩を塗りたくりやがるのよ・・・。私が好きで履いているヒールを『何処の馬の骨から作った靴を履いているなんて、服飾品は人を表すとはよく言ったものね。』となじったり、頑張って手に入れたネックレスを『あら、安物のガラスでできているの?その首飾り?私じゃ恥ずかしくて身に付けられないわ』なんて言ったり。
許せない!本当に許せない!
だから・・・
奪ってやったのよ・・・。
あいつが一番大切にしてたネックレスを・・・」

そう言って彼女はコートのポケットからネックレスを取り出した。
わしにも見覚えがある、金と銀、ダイヤが散りばめられたあの高貴なネックレスを・・・・・。



「・・・・」
老人の話を聞いた少女は少し目線を落とした。まるでその先の顛末が見えているかのように。

「詰まる所。コートの女はいわゆる”あいつ”のネックレスを盗んだのさ。
復讐のために。そして、彼女が追いかけて来れない街に逃げてきたわけだ。」
「・・・お金もそうですけど、身分やプライドもこんな感じで人を傷つける刃になってしまうんですね・・・・本当に・・・こんな・・・・こんな。」

老人の話に出たコートの女の感情に引きずられるかのように少女の語気にも怒りが混じる。
ただ、その怒りは明らかにそれはその場だけのものではない根深いものだった。

「中々難しいものさ・・・人と人が関わり合えば、大なり小なりそのようなことは起こる。
現にわしの最初の失敗だってそうだったしな」
「確かに。お爺さんはもっと恨まれてそうですね」
「やれやれ。身からでた錆ってやつだな。
さて、わしからしたら、その2人はどちらも悪いとしか言いようなかった。」
「私の目から見ても、同情の余地は感じられませんね。二人とも。ただ罪という点では、盗んだ女性の方が重いですよ。
どうしたんですか?その後・・・」
「明らかに話を聞ける状態じゃない彼女にどうやってその罪を伝えるか。正直今のわしじゃあとてもできない。」
「私も無理ですね。最低でもクールダウンするのを待ちますよ」
「それが普通だ。ただな・・・あの時のわしは・・・その彼女に真剣に向き合いたくなっていた。
それに彼女にシンパシーを感じたんだ。かつての相棒のように・・・。」




「・・・・それで、これからどうするつもりですか?」
「知らないわよ!”あいつ”が土下座してくるまで私は絶対に許さない!!」
「そうか・・・ならきっと仲直りはできないでしょうね。貴方か彼女のどちらかが折れない限りは・・・・。」

「!!!
私が悪いっていうの!?何を言っているの!そんなわけない!悪いのは全部あいつよ!あいつが悪いのよ!あいつがあんなこと・・・」

案の定コートの女はヒートアップした。
だが、わしももう自分自身を止めることができなかった。
ネックレスが原因であの日のことを思い出したせいなのもある。

「あぁ”あいつ”は確かに悪いことをした。人の心を平気で踏み躙る人間はどんなに高価な装飾品を身につけても、心は泥だらけのままさ」

そう言いながらわしは、かつての倉庫でのやり取りを思い出した。
コートの女が今持っているネックレスを最初に見たあの倉庫でのやり取りを・・・・
「そうでしょ!全部”あいつ”が悪いのよ!全部”あいつ”が・・・」
「そして人を傷つけた人間は、必ずしっぺ返しを受ける。今の”あいつ”はまさにその状態だ。」

あれだけ取り乱したネックレスの女のことだ、きっとあの時の比ではないほど荒れているに違いない。

「そうよ!ざまぁみなさい。今頃”あいつ”はない・・・・。」
そこまで言った時、女性から怒気が消えた。
何かを思い出したみたいだった。

「・・・・私が盗んだこのネックレスはね。彼女が母親から受け継いだものだったの・・・・。なんか由緒正しい家系を証明できるものらしいのよ。
ほんと、年がら年中家柄にこだわっている女だったわ。
本当に心の貧しい女よ・・・・。私みたいに」

語調は先ほどとは打って変わって、静かなものになった。まるで後悔しているかのように。

「そんな彼女だけど、そのネックレスをつけている時だけは、とても嬉しそうだったのよ。いつもは品のない笑みしか浮かべない彼女が、その瞬間だけは、まるで赤子のように無邪気で、素敵な笑顔をするの。みたことがないほどのとびきりの笑顔を・・・。」

わしにとっても意外な話だった。ネックレスの女にそんな一面があったとは。だからついこんな言葉が口をついて出た

「貧しい心に咲いた一輪の花か・・・。」

率直な感想だった。別にどうってことない言葉だ。
その言葉がコートの女に少しだけ響いたみたいだった。

「そうね。しかも私みたいに泥に塗れた女じゃ持ちえない花よ・・・。」
「・・・私には、あなたにも同じ花が咲くように見えますけどね。
多分今は種の状態なんでしょう。」
「ふふ、そうやって持ち上げたところで何も出ないわよ」

少しずつコートの女の心が溶けてきたみたいだった。だからこそ、今ここで、彼女を正しい道に導く必要があると思った。

「ただ、その種は今のままでは咲くことができない。」
「・・・・」
「他人から奪った土地には大輪の花は咲かない。種子がその土を拒絶してしまうんだ。
でも貴方には最初から持っている土があるはずだ。
貴方でも可憐な花を咲かせることができる土が。」

わしは必死になって、彼女への説得を試みた。言い回しは稚拙かもしれないが、気持ちが伝わればいい。そんな思いで話した。
その言葉が通じたのかどうかわからないが、彼女は完全に落ち着きを取り戻したみたいだった。

「・・・なんか馬鹿馬鹿しくなってきちゃった。
あいつのこともどうでも良くなってきたわ。
自分の道は自分で切り開く。
そうすれば、少しは私もましになれるかしら。」

コートの女は最初に話した”住んでた家”の話を忘れて、自分の身のふりを考え始めたようだった。

「そうですね。でもその前に・・・。」
「わかっているわよ。デリカシーないわね。
これはちゃんと返しに行くわよ。流石にケジメはつけないとね。」

そう言って彼女はネックレスをあの大きなバックの中へとしまった。




「結局、彼女はどうなったのですか・・・」
「しばらくして、彼女が国に戻った後、逮捕されたことを知った。
ちゃんと自主したみたいだったがな」
「やっぱり・・・。」

少女はスカートのポケットに手を入れながら、噛み締めるように言った。

「コートの女の罪状はその盗みだけじゃなかった。
身分を詐称しながら、お金持ちの家に入り込むことを生業としていたたことが発覚し、
10年程度豚箱にぶち込まれることになった」
「・・・・そういう経緯があったんだ」
「コートの女が釈放される日が分かった後、わしは彼女に会いにいくことにした。
あの時とは打って変わって、つきものが落ちたような表情をしていた。
ようやく自分だけの花が芽吹き始めたみたいだった。」
「お爺さんのおかげで更生したんですね。」
「まさか。本人が自分で気付いたのさ。今でも界隈では有名人だよ」
「あら、どの界隈ですか?」
「ふっ。ここから先はご想像にお任せしよう。」
「えー。ここまで話しておいて?」
「想像力を掻き立てるのも老人の仕事じゃよ。
・・・・ただ一つ言えることは、わしとはいい相棒になれたのにということさ・・・・。」

老人の意味ありげな笑みを見て少女にも察しがついた。
多分詳しい説明は必要ないだろう。
「あはは。なんかお似合いな気がしますね。新聞の1面に並んで載りそうなくらい」
「名誉なことでだったらいいんだけどな・・・・
さてわしはそろそろ行くとするかな。」

老人がそういうと同時に高架の橋の上に場違いな高価な車が止まった。

別れ。そして・・・・


「・・・・もう時間なんですね」
「まぁ腹も減ったし、飯を探しに行くのさ」
「また会えますか?」
「運が良ければな。
警察も来るようになって、いよいよ住みづらくなった。
そろそろ別の場所に住処を変えるかもしれない。
この場所気に入っているんだがな。」

老人がもうここから離れることになることを聞いて、少女は少し寂しそうに微笑んだ。
老人は焚き火を消すと、階段の方へ向かい始めた。

その時、少女は何か気がついたような顔をして叫んだ。

「お爺さん!もしかしてお爺さんがここを気に入った理由って、この橋があのコートの女性と会った橋と似ているからですよね!」

少女の声に老人は直接答えず。手を振って答えた。

「きっと!またいつか!どこかで会いましょう!」

老人はいつまでも手を振ってくれた。


老人が去った後、しばらくして、少女はスカートのポケットからあるものを取り出し、首にかけた。金と銀、ダイヤが散りばめられたあの高貴なネックレス。
老人の話に何度も出てきたあのネックレスだった。

そして河川敷を離れた少女は橋の上の車へと向かった。

車の中には一人の老婆が座っていた。
「全く。こんな小汚いところにこんな夜遅くまでほっつき歩いて、いつからそんな貧乏じみた行動をするようになったのかしら。親の顔がみてみたいものね」
「貴方の娘ですよ。私の母さんは・・・。」

老婆もとい祖母の悪態を難なく受け流す少女。
これが彼女らにとっての日常会話なのだ。

「ふん!どこで教育を間違えたのかしらね・・・。貴方も、貴方の母親も・・・。」

「大丈夫ですよ。私がいなくても、おばあさまには他にも優秀な孫がいっぱいいるじゃないですか。よりどり緑ですよ。」
「・・・でも貴方しかいないのよ。そのネックレスを身につけられるほどの才覚を持つ人間は、我が家には・・・。」

実際のところ、彼女の孫の中で実際に実績を残しているのは少女だけだった。

「・・・だからこそ今の立場に相応しい振る舞いをしなければならないのよ。わかる?」
「分かっていますよ。うるさいですね・・・。
・・・あのね、おばあさま。」
「なんだい?」
「おばあさまが昔話していたこのネックレスの話。
やっと信じれるようになった気がするの・・・。」

少女は思い出したようにネックレスを握りしめながら言った。

「あら・・・。ようやく信じるようになったのね。それでこそ我が孫。このぐらいの教養を身につけてこそ、我が家の時期当主に相応しいわ。
このネックレスはかのオーストリア ハプスブルク家から我が家に代々受け継がれてきた・・・」

祖母は相変わらず。過去の栄光と家柄に固執してた。故に記憶もそちらに偏ったものになっているせいで、かつて少女に寝物語として聞かせた”倉庫の事件”、”ネックレス盗難事件”のことはすっかり忘れてしまっていた。
だが少女にとってはそんなことはもうどうでも良かった。

少女はそんな祖母の話を聞き流しながら、助席のポケットに挟んであった新聞に目を通した。その新聞のトップ記事は何十年も前に起きた巨大投資詐欺事件が時効を迎えたというものだった。さらにその横には同じく時効を迎えた連続結婚詐欺事件についての記事も掲載されていた。

「ほら。やっぱり並んで載っているじゃないですか」

そう言って少女は微笑んだ。

「ん?何か言ったかい?」

「なんでもないわ。おばあさまの話がとてもためになるので、つい没入して、声が出てしまったのですよ。」
「ふん。そういうところさえなければ、我が家の基盤はより盤石になるというのに」
「そうですね。精進します。・・・ではいきましょうか。そろそろ」

そう言って少女は車を出させた。
少女はこの先もきっと辛い目に遭い続けるだろう。それこそ、幸せを感じることができないほど汚い仕事にも手を染めないといけないこともあるだろう。
祖母やコートの女、そしてあの老人のように。
それでも彼女はめげずに立ち向かうだろう。

こじきの老人が話た物語が少女の中で種となり、いつか七色の花を咲かせる

そんな未来を感じさせながら、車は街中へと消えていった。


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