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誰かの期待と戦うこと

誰だって、誰かに期待して、誰かに期待されてる。それは悪いことじゃないけど、でも時々苦しくなるよね。


裸の王様

わたし、そんなに文章を書くことは得意じゃなくて、感じてることをストレートにうまく表現できないんですが、まずはとりあえず、今感じてる期待について詩みたいにしてみました。

裸の王様
わたしは裸の王様で
服を着てないことは薄々わかっていて
それでもまわりは素晴らしい服と持て囃す
まわりにそういわれている限りは
わたしは王様として振る舞わなければいけなくて
裸の王様なんておかしな話だと
そう思いながらも、求められるままに王様として過ごす
それで万事よしなにすぎるのならば、と
けどこんなこと、いつまでつづく?
いつ暴かれる??
暴かれて後どうなるか、ビクビクしながら
わたしは今日も王様をする
やがて子供に言われる
王様、裸だ
あんなに恐れていたのに、少しほっとした
騒ぎが少し収まって
わたしは王様をやめることにした
やめると伝えて、引き留められた
それでも王様をやれる人はあなたしかいないと
けれど、そんなことはないはずだ
わたしにだってできたんだから
そして伝えた
もう透明な服など着させてやるな
みすぼらしくても、形のある服を着させてやれと

私なりの戦いかた

元気なときは、期待を引き受けよう、応えようと思うし、少し疲れてたら、迷惑に感じるし、裏切ってしまえたらどんなにいいものかと思う。

けれど、期待が大きくなればなるほど、裏切った後の代償な大きくなって、簡単には裏切れなくなる。

そんな時は、やることを細分化し淡々とする。そしてそこにほんの少し、自分らしさを。

どんなに頑張ったって時間も体力も集中力も限られてる。だから、決められた時間だけ淡々とやることをこなして、それを報告する。その中に少しでも自分らしさをいれるあそびがあれば、心が豊かになる。

これでたいてい乗り越えられるけど、それでもだめなときは、裸の王様と同じ。わたしにできることは、きっと他に誰か出きる人がいる。そう信じて、逃げていい。


逆に期待することもある

けれど、人は誰かに期待せずには生きられない。だから、少し立ち止まって考えたい。誰かに大きな期待をかけすぎていないか。自分に出きることを棚にあげて、誰かがやってくれることだけを期待してないか。

ほんの少しの心配りが誰かを救うこともある。

できれば、期待は誰かを縛り付けるものではなく、誰かを空へ羽ばたかせるために使いたい。

そのためには、もう少し期待の頻度を下げたいと思う。

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