最近のこと・闘病と介護と仕事

めちゃ久々。11月からしばらく開いたけど、その間末期がんの母を看取ったり実家を処分したりしながら闘病を続けた。
結局、12月まで自宅療養、その後母の介護のためのテレワーク、忌引、手続のための休みとなり、本格復帰したのは3月だった。

今なんで書き始めたかと言うと、夕飯のプログラフを飲み忘れたことに気づいて、今飲もうかな、でも土曜の朝はボナロンがあるから……と服薬スキップすることを決めて落ち着かないから。まあ薬局で謝ろ……。
実は先週も金曜日寝落ちて同じことをやり、その時は反射でプログラフ飲んでしまったため、ボナロンの方を日曜に動かした。

薬の方はステロイド12.5ミリまで減った。ただ、間質性肺炎のkl-6がずっと700で一定なせいか、2月からプログラフが追加された。肺はすりガラスっぽくて、なんだか良くなってるのかわからない。先生もわかってないのでは?というぐらいいつも変わらないね〜。という。CKは基準値以下。
症状はやはり息切れ感がある。早歩きは全然いけるけど階段登るのなんかキツイ。一人だけハアハアしている。皮膚症状はほぼなくなった。レイノー現象はある。あと指定難病の認定がおりた。

仕事のほうは4月に異動になったらめちゃ激務で、ハ…???と言う感じであった。
そもそも病気してから家族の介護してる人を異動させるのおかしくない??

昨年まで4人でやってた仕事が1人にきた感じ。しかも外回りで不特定多数の人と接する。体のこと伝わってないんか?と思って新たな上司に聞いたら「そんなの聞いてない」と言われ愕然としてしまった。
嫌だなと思いつつ上司大集合で病気のこと話したら、まあ配慮しますとは言ってくれたけど口だけだろうなと言う感じ。まず目の前の仕事を分散してくれ。
新人の時気難しい人に好かれていたことから能力があると勝手に思われており君なら大丈夫っしょ!という感じであった。とりあえず外回りだけ外してくれ……。同じ職場にSLEをずっと闘病している方がいるが、その人もいつも夜中までいて心配になる。

介護のことはあっという間だった。介護と言ってもホスピスに入れたので毎日会いに行って話をしていただけだけど。
最後の方、アイス半分こしか食べれなくなっていて、いつも分けて食べてた。
この年で両親を亡くすのもめずらしいよな…と思いつつ、ちゃんと改めてまとめたいなとは思うけど、そろそろ寝よ……。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?