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タバスコはトマトじゃありません

唐突だが、私は辛いものが好きである
正確に言えば、辛くて美味しいものが好きである

そんな私の人望を示すかのように、昔から、赤い辛い物をいたるところから献上される
唐辛子に至っては正直、小さな食堂もびっくりな量を持ってるし、デスソースは何本あるか分からない
別にすべての食べ物に一味唐辛子やらデスソースやらかけてる訳じゃないので、時々途方に暮れる
生命を終えるまでに使い切れるのだろうか…

話を戻して

先日、韓国出身の友人と食堂でパスタを食べる際、「なぜタバスコは押したら出る方式を採用しないのか」という議論になった
ここで注意したいのが、むしろ焼きそばソースかお好み焼きソースのように出したいという要望である、これは

そもそも、逆さにしても傾けても1滴1滴しか落ちてこないのである
言うて時間の無駄
ここは昨今のゲリラ豪雨なみ…とまでは言わないけど、もう少し一気に出てくれたら、タバスコの瓶を一心不乱に振り続けるラテンな私からは解放されるはずなのである

ちなみに、韓国人としては辛さが得意じゃない(自己申告。私はそうは思わない)という友人に、「タバスコの会社にも企画部とかあってね…、そのマーケティングにより決まってるんだよ、この瓶の形も出る量も」とたしなめられてしまった

いや、だってさ、あんなに一度に出る量が少なかったらずっと瓶振ってて恥ずかしいじゃん、とぶーたれると、「そもそもみんなそんなにかけない」という至極真っ当なご返答をいただいた

そう言われてしまうと、こちらも黙るしか無いのである…だが、ここで閃いた
つまり、量を多くしなければいいのだ

じゃあさ、タバスコじゃなくてデスソース置けば良くない?
なんでデスソースって名前か分かってる?

取り付く島もない
そんなん言うてさぁ…

タバスコなんてトマトソースみたいなもんじゃん
トマトに謝れ

残念ながら、友人にはついぞ理解してもらえなかった
いつか、食堂のタバスコがデスソースに変わっていればいいな、と祈るばかりである

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