吹奏楽部は夏の季語

 毎年この時期になると、高校野球関連のニュースでメディアが埋め尽くされるが、中高時代に吹奏楽部に所属していた私にとっては、夏のコンクールの話題をよく目にする時期である。最近ネットで見た記事に、「稲川淳二」が俳句協会によって夏の季語に指定されていた、というものがあったが、「吹奏楽」とか、「コンクール」とかいった言葉も、きっと季語に指定されているのだろう。調べたわけではないけれど、あれだけよく目にするのだし、「稲川淳二」が季語なら、それくらい造作もないことだろう。
 といっても、吹奏楽部の思い出は、(特に部長をしていた高3の時期は)しがらみやらなんやらで割と憂鬱で、あまり明るいものではない。今でもたまに夢に出てくることがある。大学生だった頃は、大学の授業の間に部活に顔を出して、揉めまくってるホルンパートの仲裁に駆り出され、コンクールに向けての練習をし、練習後は、受験勉強に勤しむ、といったような、恐怖の夢を見るとこもあった。どちらかといえば「稲川淳二」寄りである。
 そうはいっても、悪い思い出ばかりではない。吹奏楽部に所属していて一番良かったと思うのは、恩師と出会えたことであろうか。基本的に、先生という職業の人間があまり好きではなかったのだけれど、高校の吹奏楽部の顧問は、高校までに出会った中で唯一恩師と呼ぶに相応しい先生だったと思う。
 私の所属していた吹奏楽部は、毎年東関東大会までは予選を突破する、所謂中堅校というところだったが、先生は、それなりの成績を残す部活の顧問とは思えないほど、怒ったりすることのない先生だった。練習中に、急に自分の話したいエピソードトークを勝手にぶっ込んでくるなど、ユーモアがありながら、感情的に生徒を叱ったりしない、冷静な部分を持っていて、練習に厳しさを求めない寛容な人だった。とはいっても優しいという印象はあまりなく、なんというか、「他者にあまり興味がない」「周りにあまり期待しない」といった印象だった。
 先生とのエピソードで特に印象的だったのが、私が冬休みに箱根旅行に行った際に、先生に買って行ったお土産にまつわる話である。記憶が確かなら、寄木細工のコースターを、確か何となく選んで、休み明けに先生にお渡ししたはずである。先生は、「おーありがとー」と言って、お土産を受け取ってくれた。その後、年度末に音楽室の大掃除をしたときである。私は、楽器庫兼顧問部屋を担当していたのだが、ゴミを捨てようとゴミ箱からゴミ袋を外すと、下の方に私がお土産で買った寄木細工が捨てられていた。嘘だろ?と、一瞬目を疑ったが、でもあの先生ならやりかねない、と腑に落ちた。折角先生のために買ったお土産が捨てられていて、ほんの一瞬落ち込んだけれど、その後は先生の人となりに確信が持てたような気がして、お土産を捨てられたのに、何故か嬉しい気持ちになり、どこかのべつのお土産のクッキーの袋と一緒に捨てられた寄木細工をまじまじと眺めていた、そんな記憶がある。
 先生は、人に興味がない人だったので(少なくとも私の認識では)、私にもそんなに興味がないだろうと、私には思え、その結果、あまり気負いをせずに信頼を置くことができる、そんな恩師だったように思う。今年の4月には、ふと思い立って、高校卒業後6年ぶりに、近況報告の手紙を出してみたが、8月現在未だ返事は来ていない。返事が来て欲しいようにも思うし、来ないことを願っている自分もいる。私にそう思わせている時点で、やはり先生には敵わない。また人生の節目だとか、ふと思い立ったときに、手紙を出してみようと思う。
 

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