中学受験の話

私は中学受験経験者だ。現在39歳、約27年前の1990年代前半の頃の話になる。結果として希望の中高一貫校へ進学することは出来たが、小6の1年間で手の爪はボロボロになり身体中に謎の湿疹が出来た。その時の話などを書いていこうと思う。

アラフォーが中学受験したきっかけ

約30年前、中受はそこまでメジャーではなくクラスの1/4が中学受験に挑戦するくらいの感覚だったように思う。私も大多数と同じように公立の中学校へ行くはずだった。しかし学区の中学校が統合によりなくなり、別の学区へ移動することになった。

移動先はいわゆるガラが悪いとされる地域。母は謎の危機感を抱き、私に中学受験させる方向へ舵を切った。当時の私は小5。受験のための勉強を始めるには少し遅かったが無理やり近所の個人塾へねじ込まれ、急ごしらえの受験生が出来上がった。

受験勉強の日々

それまで受験のための勉強なんてしたことがなくてとても戸惑った。学校が終わったら週3で塾。国語算数理科社会。全部が学校でやることよりもレベルが高かった。

今までの習い事を全部やめて塾に集中する毎日。それでもなんとかついていった。しかし受験勉強なんて初めてするもんだから自分がストレスを溜めていることにも気づかない。

爪噛み開始

ある日、いつもと同じように塾で勉強をしていたら、ふと爪が伸びていることに気付いた。嫌だな、今すぐ切りたいなと思ったが爪切りはない。それで授業を受けながらなんとなく爪をいじっていたら少し欠けた。

そこをかじったらぺろっと爪が向けた。

覚えてないけど快感だったのだろう。

それをきっかけにして毎日爪を噛むようになった。勉強をしてるとき、なんとなく暇なとき、イライラしたとき、とにかく爪をかじっていた。かじる爪がなくなったら皮を噛んだ。私の指の皮はどんどん分厚くボロボロになっていった。

ボロボロになった指がもとに戻ったのが中学に入ってからだったので受験ストレスだったのだと今ならわかる。

謎の湿疹

小6の夏、謎の湿疹が身体中にできた。蕁麻疹のようなものがお腹、腕、足、そこかしこに出来た。アレルギーはないし原因は謎のまま、皮膚科に行って薬をもらって塗っていたら2週間ほどしてよくなった。今から思うとあれもストレスだったのかもしれない。夏休みも塾だらけだったから。模試も受けていた。

受験に対する当時の気持ち

そもそも中学受験にやる気があったのかと言えば、自ら進んで受けたい!と親に頼んだわけではない。どちらかと言えば母親にしつこく説得されてまあそこまで言うなら…的な感じで始めた。勉強をやるうちに面白くなってきたのはあるがそれでも遊びたかったし、行動が制限されるのは嫌だった。帰ったらゆっくりしたい。ただ、受験をやめる!と反抗することはなかった。ヤメ時を見失ったという言葉が一番しっくりくる。もしくは、勉強にパワーを吸い取られて軌道修正するパワーが残されていなかったか。

中学受験で嫌だったこと

とはいえなんで周りのみんなが遊んでるのに自分だけせっせと塾に通い、月例テストと模試の結果に一喜一憂しなければならないんだという気持ちはもちろんあった。それが先ほど書いたように体に現れたりもしたのだろう。

アニメが見たい(塾で見れない)

ゲームがしたい(攻略本を読んで気を紛らわしていた)

友達と遊びたい(塾で遊べない)

成績がよくないと怒られる(単純に嫌だ)

でも何より嫌だったのはもし落ちたらすべての勉強時間がムダになるという理不尽さだった。中学は落ちれば公立に行けばいい。しかしまた高校を受験しなおさなければいけない。2年間必死こいてやりたいこと我慢して勉強してそうなるのはどうしても避けたかった。

そして地味に嫌だったこと。落ちた時を考えてか親に志望校のことは周りに言うなと言われていた。違う塾に通う中受をする友達に志望校はどこ?どこ?としつこく聞かれてそれがすごくすごく嫌だった。相手のも知らなくていいから教えたくなかった。受験しない友達からは「お受験するんだ~(笑)」と若干バカにするように言われた。それもマジ勘弁って感じだった(1990年代の話です)

受かった。親の反応

勉強のかいあり第一志望の学校に通うことができた。合格通知を手にした瞬間肩の荷がすべて降りた気がした。2月の勝者だ。親はそこから一週間、うまい晩酌を楽しんだらしい。我が事のようにめちゃくちゃ喜んでくれた。キリキリしていた母は浮かれ、普段は感情を表に出さない父もどことなく嬉しそうだった。そのことを今でも思い出す。なんやかわ思うことはあれどそれはとても感謝している。

落ちた人

同じ学校を受けて落ちた人が5人くらい周りにいた。親戚だったり、クラスメイトだったり。関わりをなくすことは出来ないのでとても気まずかった。喜ぶこともできない。その人の前では縮こまった。当時小6、どのような立ち回りが正しいのかもわからず不快な思いをさせたんだろうか。後述するが、妹も2年後に同じ学校を受けて、落ちた。それも非常に気まずかった。

その後

晴れて第一志望の私立中に通うことができた私だったが、やはり背伸びして入った学校だったので中学一年時での成績は散々だった。成績表を見せる度に親に叱られた。戦いは終わりじゃないのだと悟った。しかも中学2年3年と仲間外れにあった。しんどかった。地元の公立に入ってればこんな思いはしなかったのかなぁと何度も思った。でも公立に入っていたら高校受験でまた苦しむことになったのだろう。もうやだ。受験システムやだ。

親の狂気というけれど

現在中学受験は母親の力が9割という風潮。でも実際のプレイヤーは子供たちだとわかって欲しい。爪がなくなりながら、全身蕁麻疹になりながらプレッシャーに耐えて戦うのは子供自身。そして受かればまだいい、落ちた子のケアがなにより重要。本人が納得したといえ大切な学童~思春期の3年を奪いプレッシャーを与え続け何も残らないなんてあんまりすぎる。しかも同じ兄弟で明暗が別れるのは想像に耐え難い。受かってのうのうと生きてる兄弟、落ちた自分、同じ屋根の下。兄弟は自分が行きたかった学校の制服を着ている。妹はどんな気分だっただろう。私にも幼い姉妹がいるけど現状中学受験させることに積極的ではないのはそんな理由。

まあ、2人ともまだ小さいので2人が受験を考える頃にはまた事情が変わってるかも知れないけど。

後日談

「いじめられたし、小5小6と遊びたかったし、受験しなくてもよかった」という旨のことを母親に言ったことがある。そうしたら「あんたが中学遊べたのは私立に入れたからだ。公立に行ってたら絶対ゆっくり遊べてない。せっかく行かせてやったのに(経済的にも)」と返ってきた。まぁ親にしたら狂気に身を置きながら必死のパッチで受からせてお金もかけてこんなこと言われたらたまったもんではない。でも恩着せがましいしそもそもいじめられたからのびのび遊べなかったし私も受験頑張ったのに…と反感しか覚えなかった。万が一自分の子供たちを中学受験させることがあったら母親を反面教師にしようと思います。

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